「あ……」

 船のはるか後方に消えたロケットを、唖然と見つめるミリアに。
 紅茶色の髪の青年は、困ったように苦笑すると、ロケットが滑り落ちたはずの片掌をミリアの前でパッと広げた。

「あ、ロケット!」

(今度こそ、本当に落とされてたまるもんですか!)

 手品のように湧いて出たロケットに、サッと手を伸ばすミリア。
 だが、紅茶色の髪の青年はそれよりも早く掌を閉じ、ロケットをどこかに隠してしまう。
 そんな青年の悪戯じみた嫌がらせに。
 ミリアは堪らず、こう怒鳴った。

「もう、何でこんな酷いことするんですか!」

(この人、いったい何を考えているの?)

 いい加減やめて欲しい、と心の底からそう思いながら、ミリアは眉を怒らせ青年に食って掛かる。
 そんな、怒り心頭のミリアをまじまじと見つめると。
 青年は、思いあぐねるように「うーん」と唸り、少し困ったような顔でこう言った。

「さっき、君……船から落ちそうになっていたのに、手すりを掴むどころか叫び声ひとつ上げなかったじゃない?」
「だ、だから? な、何だっていうんですか」

 確かに、少し悲しい気持ちになって、「このまま何処かへ飛んでいけたらなぁ」とか、思ったりはした。
 だからと言って、このまま海に飛び込もうとか、消えてしまいたいとか、そんな考えは――。

(否定は……できない、よね)

 そんなミリアの心の声を肯定するかのように、青年は恨みがましくこう言った。

「このまま海に落ちるつもりなんじゃないかって、ちょっと冷や冷やしちゃったよ」

 そう言って、ため息をひとつ吐く青年の顔は、少し青ざめて見えなくもない。
 なんだかすごく申し訳なく思い、ミリアはもごもごと、小さな声でこう言う。

「そ、それは、その……ごめんなさい」
「いいよ、気にしなくて。ただ、ひとつ聞きたいんだけど」

 青年はそう前置きすると、ミリアの青い瞳をじっと見つめながら真面目な顔で尋ねて言った。

「君さ、何のためにロケット見てるの?」

(なんの、ため?)

 ミリアの思考が一瞬止まる。

 そんなミリアに追い打ちをかけるように、青年は続けざまにこう言う。

「それを見て、元気でるの? 力が湧いてくる?」

 そう問われ、ミリアは思わず硬直する。

 屈託なく笑うエリックに、幸せそうに寄り添うクレア。
 一か月前まで、クレアのいるその席は……ミリアのものではなかったか。
 
 ロケットを見る度に感じるのは、懐かしさでも、愛おしさでもなく、怒りや悲しみ、そしてクレアを羨むどす黒い嫉妬の炎――。

「それ、は……」

 そう言って口ごもるミリアに。
 青年は、一呼吸置くと、ミリアの顔をじっと見つめながら率直にこう言った。

「俺には、これを開いて眺める君の瞳に、涙しか見えない」
「あ……」

――エリックとクレアはいずれ結婚する。

 その現実を、改めて突き付けられたミリアの瞳から、ポロリと涙が零れ落ちる。
 そんなミリアに、青年は強い意志をもってこう言い放った。

「ロケットは返さないよ。返して欲しいならこのロケットの経緯、話してくれる?」
「そん、な……」
「あっと、その前に」

 狼狽え、不満そうな声を上げるミリアなどお構いなく。
 青年はミリアに改めて向き直ると、ニヤリと笑ってこう言った。

「遅ればせながら、初めまして。俺は、アキ。アキ・リーフウッド。ヨッパ島からの王都移住者だよ」