「何を知ってるの!?」
「……いや……特に何も?」

 尋問内容を聞き終えたゾフィーは、アルブレヒト宮殿の一角にフェルディナント・マクシミリアンを連れ出し追及した。
 掴みかからんばかりのゾフィーから逃れるようにフェルディナント・マクシミリアンは両手を上げて後退(あとずさ)る。
 どうやら次男は犯人に心当たりがあるらしい。

「嘘おっしゃい! 襲撃犯のことを知ってるわね! あなた、まさか……」
「母さん、俺はオーストリア帝国の皇帝にはなれない立場(・・・・・・・・・・)だってことはよく弁えてるよ」

 フェルディナント・マクシミリアンはいつになく真摯な表情でゾフィーに真実を問うように見つめてくる。
 大きな青い海のような瞳は吸い込まれるように美しい。

 ゾフィーは能面のような冷たい顔で撥ね退ける。
 唇を真一文字にして何も語る気はない。 

 やがて諦めたのかフェルディナント・マクシミリアンはため息をついた。

「神に誓って、犯人のこと(・・・・・)は知らない」
「犯人のことは? 知ってることは何でもいいから吐きなさい!」

 陽気で明るい次男の顔に戻ったフェルディナント・マクシミリアンは、気まずそうにポツリポツリと自白する。

「……えーっと、その……兄さんが懇意にしてた踊り子の苗字が……確かリベーニだった気がするんだよねぇ」
「フランツィが、ハンガリー女と(ねんご)ろになっていたってこと!?」

 ゾフィーの身体から血の気が失せていく。

(本当に男ってやつは役立たずばかり!)

 帝国の臣民たちに“宮廷内のただ一人の本物の男”として畏怖されるゾフィーは、呆れ果てて言葉を失った。

「いや~、どこまで懇ろになってたかまではよく分からないけど、溌剌として兄さんの好みの可愛い子でさ、どうも舞踏学校の費用を用立ててやってたみたいだよ」
吝嗇(ケチ)なあの子が、何も関係のない女に金を出すものですか!」

 こんな馬鹿げたことを起こさないために、選定した女性を身の回りに置いてたというのに。
 
 尋問内容が書かれた報告書にゾフィー大公妃は目を通す。

 帝都ウィーンにあるプラーター公園に出店していた屋台主の姪、マルギット・リベーニと皇帝フランツ・ヨーゼフは知り合いになった。
 
 襲撃犯ヤーノシュとその妹マルギットの故郷、ハンガリーのチャクヴァールの村では、ハンガリー人の血で染まったブルートユングカイザー(血染めの青年皇帝)の恋人になった村娘の噂が広がり大騒ぎになった。
 兄として妹を弄んだ皇帝に何らかの制裁を加えないことには、狭い田舎で年老いた母親は生きていけなくなる。

(こんなところにも孝行息子がいるわ)

 ゾフィーは薄く笑った。
 襲撃犯に、守りたいものがあるのは重畳(ちょうじょう)なこと。
 どんな困難でさえ、ゾフィーを打ちのめすことはできない。
 戦うのだ! 戦い勝利を掴むことで、愛する者を守ってきたように。

「エーィエン、コシュート」
「……母さん、何だって?」
「ハンガリー人の襲撃犯ヤーノシュ・リベーニは、捕まった際、『エーィエン、コシュート!』と呟いたらしい。さぁ、ウィーン中の酒場にこの噂をばら撒いてきなさい!」

 尻を叩くように追い立てると、フェルディナント・マクシミリアンは逃げるように宮殿を後にした。
 『エーィエン』はハンガリー語で『万歳』を意味し、『コシュート』はハンガリー独立運動の指導者の名だ。

 “青年皇帝フランツ・ヨーゼフは、君主国オーストリア帝国に独立運動を鎮圧されたことを恨んだハンガリー人の凶刃に倒れたのだ”

 帝国に真摯に身を捧げる若き皇帝の姿にオーストリア帝国の臣民は感動の涙を流すだろう。

 ゾフィーは暖炉に報告書を放り込んだ。
 歴史は勝者が綴るものだ。

 尋問官には、民族的自決を阻むオーストリア帝国に対する怨恨についてのみ記し、個人的事情は触れないように指示しよう。

 襲撃犯ヤーノシュ・リベーニは死刑を免れない。
 母親の身の安全と年金の支給を約束することを条件に、妹と皇帝のスキャンダルには口を噤んでもらう。

 暖炉の中で灰になったのを確認したゾフィーは、見合いが中断した姪のヘレーネをバイエルン王国に一旦帰らせることに決めた。

 このままヘレーネをウィーンに留まらせていては、兄を困らせるのが好きなフェルディナント・マクシミリアンが、余計なことを吹き込みヘレーネを不安にさせるだろうから──。