(だが、今やエリーザベトを妃にする以外の選択肢はない)
何の落ち度もないヘレーネを蔑ろにして辱めたのだ。
ヨーロッパ中探しても、新たな皇妃候補に応じてくれる姫君は見つかるまい。
息子を諭しエリーザベトを諦めさせ、へレーネを慰め勇気づけ……二人をくっつける予定は、従順なはずの姪っ子の頑な拒絶によりご破算となった。
「母上、どうか私の願いを聞き入れてください」
懇願するフランツに、ゾフィーは微笑んだ。
事態の急変はよくあること。
臨機応変に対応せよ。
ゾフィーは息子に恩を売り、手綱を握ることにした。
「……分かりました。エリーザベト姫と婚約を認めましょう」
「ありがとうございます、母上!」
ゾフィーの脳裏に、帝都ウィーンのみならずオーストリア帝国中が湧き立った、あの日の光景が蘇る。
結婚六年目、二度の流産を経て、ようやく大公妃としての役目を果たしたあの日。
小さな身体で力強く泣く赤子の姿に、安堵の涙が止まらなかった。
立ち上がって息子の頬を挟み瞳を覗き込むと、ゾフィーの心をときめかした透き通るような青い海が見える。
「誕生日おめでとう、フランツィ」
よくぞ無事に大人になってくれた。
ゾフィーは万感の想いを込めて息子の頬に祝福のキスを贈る。
母の了承を得たフランツ・ヨーゼフは、顔を紅潮させ満面の笑みを浮かべて喜んだ。
帝位についてすぐ、革命派を抑えるために処刑を行い“血染めの若者”と悪評がついた息子。
不憫に思い慶事で悪評を覆そうとしたのだが──。
(……まさか、こんなことになるなんて)
その結果、不満の残る縁組を選択する羽目となってしまった。
最愛の息子の幸せそうな顔を見ながら、ゾフィーは虚脱感に襲われた。
息子は天井を仰いで神に感謝している。
意中の相手と結婚する許可を貰い喜色満面だった息子は一転、不安気に表情を曇らせた。
「母上、決してエリーザベトに無理強いをしないように、くれぐれもお願いします」
強要する気がなくても皇帝が望めば、一公女の意志など確認するまでもない。
心優しい息子だ。
それ故に、皇帝という重圧に不憫にもなる。
「ええ、心得ておりますとも」
ゾフィーの返答に、フランツ・ヨーゼフは安堵したように顔を緩ませ部屋を退出した。
息子を見送った後、ゾフィーは再び吐息をついた。
ルドヴィカは花嫁になる娘が入れ替わったことに納得してるのだろうか。
「全く、腹の立つこと」
面倒で甘ったれた末娘気分が抜けない気分屋のルドヴィカは、重責などない公爵夫人という立場を得てからは糸の切れた凧のように緩みきった暮らしをしている。
感情的な母親を説得するのは、長女として忍耐強く相手をしてきたへレーネにとって容易かろう。
ゾフィーは確信していた。
ルドヴィカとヘレーネの母娘二人を招待していたが、予期せぬエリーザベトの登場で番狂わせが起こった。
真面目に皇妃教育を受けていたヘレーネだが、内心、縁談に気乗りしていなかったのだろうか。
オーストリア皇妃を断るために、皇帝好みの妹を連れてきた?──。
未婚の皇帝の母親として、息子の遣る瀬無い本能を散らすために、無害で魅力的な女性を宛がうのも仕事のうちだ。
また、到底容認できない女性に皇帝が恋心を抱いた時は、彼女に縁談を用意してウィーンから逃したこともある。
息子の女性トラブルを未然に防いできたゾフィーは、自分の息子の趣味嗜好をよく把握している。
エリーザベトは奔放で、王族らしさがない。
華奢なヘレーネと違い、ふっくらとしていて弾けるような若さがある。
性格は幼く、永遠に乙女のような可愛らしさをもつだろう。
皇妃に相応しい性格とは程遠い少女。
──息子の女の好みのド真ん中である。
(そんな、まさか……)
ゾフィーは頭を振る。
隣国バイエルンにまで、そのような皇帝の嗜好の些事が漏れているわけがない。
ヘレーネは聡い娘ではあるが、策略を張り巡らせる質ではない。
思惑が蠢くウィーン宮廷で長く暮らしているせいか、随分と疑り深くなったものだ。
今は、エリーザベトを素晴らしい皇妃にする算段を考えなくては……。
ゾフィーは胸のざわつきを抑えながら目の前の難問に取り組むことにした。
何の落ち度もないヘレーネを蔑ろにして辱めたのだ。
ヨーロッパ中探しても、新たな皇妃候補に応じてくれる姫君は見つかるまい。
息子を諭しエリーザベトを諦めさせ、へレーネを慰め勇気づけ……二人をくっつける予定は、従順なはずの姪っ子の頑な拒絶によりご破算となった。
「母上、どうか私の願いを聞き入れてください」
懇願するフランツに、ゾフィーは微笑んだ。
事態の急変はよくあること。
臨機応変に対応せよ。
ゾフィーは息子に恩を売り、手綱を握ることにした。
「……分かりました。エリーザベト姫と婚約を認めましょう」
「ありがとうございます、母上!」
ゾフィーの脳裏に、帝都ウィーンのみならずオーストリア帝国中が湧き立った、あの日の光景が蘇る。
結婚六年目、二度の流産を経て、ようやく大公妃としての役目を果たしたあの日。
小さな身体で力強く泣く赤子の姿に、安堵の涙が止まらなかった。
立ち上がって息子の頬を挟み瞳を覗き込むと、ゾフィーの心をときめかした透き通るような青い海が見える。
「誕生日おめでとう、フランツィ」
よくぞ無事に大人になってくれた。
ゾフィーは万感の想いを込めて息子の頬に祝福のキスを贈る。
母の了承を得たフランツ・ヨーゼフは、顔を紅潮させ満面の笑みを浮かべて喜んだ。
帝位についてすぐ、革命派を抑えるために処刑を行い“血染めの若者”と悪評がついた息子。
不憫に思い慶事で悪評を覆そうとしたのだが──。
(……まさか、こんなことになるなんて)
その結果、不満の残る縁組を選択する羽目となってしまった。
最愛の息子の幸せそうな顔を見ながら、ゾフィーは虚脱感に襲われた。
息子は天井を仰いで神に感謝している。
意中の相手と結婚する許可を貰い喜色満面だった息子は一転、不安気に表情を曇らせた。
「母上、決してエリーザベトに無理強いをしないように、くれぐれもお願いします」
強要する気がなくても皇帝が望めば、一公女の意志など確認するまでもない。
心優しい息子だ。
それ故に、皇帝という重圧に不憫にもなる。
「ええ、心得ておりますとも」
ゾフィーの返答に、フランツ・ヨーゼフは安堵したように顔を緩ませ部屋を退出した。
息子を見送った後、ゾフィーは再び吐息をついた。
ルドヴィカは花嫁になる娘が入れ替わったことに納得してるのだろうか。
「全く、腹の立つこと」
面倒で甘ったれた末娘気分が抜けない気分屋のルドヴィカは、重責などない公爵夫人という立場を得てからは糸の切れた凧のように緩みきった暮らしをしている。
感情的な母親を説得するのは、長女として忍耐強く相手をしてきたへレーネにとって容易かろう。
ゾフィーは確信していた。
ルドヴィカとヘレーネの母娘二人を招待していたが、予期せぬエリーザベトの登場で番狂わせが起こった。
真面目に皇妃教育を受けていたヘレーネだが、内心、縁談に気乗りしていなかったのだろうか。
オーストリア皇妃を断るために、皇帝好みの妹を連れてきた?──。
未婚の皇帝の母親として、息子の遣る瀬無い本能を散らすために、無害で魅力的な女性を宛がうのも仕事のうちだ。
また、到底容認できない女性に皇帝が恋心を抱いた時は、彼女に縁談を用意してウィーンから逃したこともある。
息子の女性トラブルを未然に防いできたゾフィーは、自分の息子の趣味嗜好をよく把握している。
エリーザベトは奔放で、王族らしさがない。
華奢なヘレーネと違い、ふっくらとしていて弾けるような若さがある。
性格は幼く、永遠に乙女のような可愛らしさをもつだろう。
皇妃に相応しい性格とは程遠い少女。
──息子の女の好みのド真ん中である。
(そんな、まさか……)
ゾフィーは頭を振る。
隣国バイエルンにまで、そのような皇帝の嗜好の些事が漏れているわけがない。
ヘレーネは聡い娘ではあるが、策略を張り巡らせる質ではない。
思惑が蠢くウィーン宮廷で長く暮らしているせいか、随分と疑り深くなったものだ。
今は、エリーザベトを素晴らしい皇妃にする算段を考えなくては……。
ゾフィーは胸のざわつきを抑えながら目の前の難問に取り組むことにした。