王女に生まれながら格下の公爵家に嫁いだゾフィーの妹ルドヴィカは、娘を帝室に嫁がせることに意欲をみせた。

 バイエルン公爵の長女ヘレーネは控えめで大人しく、ゾフィーの与えた膨大な課題に、泣き言ひとつ漏らさず黙々と取り組んだ。
 従妹という血の近さは気になったが、健気に努力するへレーネの様子にゾフィーは好感と信頼を持った。

 ヨーロッパで最も厳格な礼儀作法が求められるオーストリア皇妃は、何よりも『忍耐』が不可欠。
 皇帝に蔑ろにされた誕生前夜祭の舞踏会で、ヘレーネは取り乱すことなく最後まで冷静さを保ち、忍耐強さを示した。

 マリア・テレジア時代はウィーン宮廷も寛容であった。だが、ナポレオンの登場で一変する。

 神聖ローマ帝国解体のためにナポレオンが周辺領邦を唆し新興国が台頭。
 ハプスブルク家を脅かす中で、ウィーン宮廷は偏屈な老人のように『伝統』と『格式』に固執するようになった。

 厳粛で自由のない宮廷暮らしに耐えかねて、若かりしゾフィーは幾度となく涙で頬を濡らしたものだ。

「母上、お願いがあります」

 扉が勢いよく開け放たれ、フランツ・ヨーゼフは、興奮冷めやらぬ様子で足早に入ってきた。

「エリーザベトを私の妃に迎えたいのです」

 頭の中にズキズキと鈍痛が広がっていく。
 ゾフィーは眉をひそめ、息子を見つめる。

 栗毛色の髪。ハプスブルグの血を示す厚い唇とやや長めながら整った顔立ち。若さに溢れた皇帝は凛々しい。
 金糸刺繍の純白の上着、金の線の入った赤ズボンに金ベルト。

 赤と白──オーストリアを象徴する軍服に身を包み自信に満ちた自慢の息子の姿が、今は腹立たしく映る。

「誕生前夜祭で、然るべき手順を取らずへレーネ姫を蔑ろにして傷物にした責任を取ろうとは思わないのですか?」
「それは……へレーネ姫はお気の毒だと思いますが、仕方ないじゃないですか! 母上もご覧になったでしょう? エリーザベト姫の美しさを! まるで咲き初めた巴旦杏(はたんきょう)のように可憐で美しい……。あの愛くるしい瞳! 苺のような唇を!」

 恋は息子を詩人に変えたようだ。
 ゾフィーは、頭を抱えたくなった。

 エリーザベトはバイエルン公爵の次女だ。変わり者のバイエルン公に甘やかされたため、周囲が手を焼くほど奔放な性格をしている。

 ヴィッテルスバッハの良くない兆候を宿した、夢見るように煌めく瞳は、頑固で拘りが強くトラブルを招くことだろう。
 エリーザベトにオーストリア帝国の皇妃としての適性が、あるようにはみえない。