静かに開いた扉から西陽が溢れ、目映ゆさに包まれる。
 黄金の光の矢を放つ中央に影法師が立っていた。

 黒い影が展示室の中央に向かうにつれ、輪郭がはっきりとしてくる。
 赤金の髪が揺れて夕陽を跳ね返し、炎のような光がヘレーネの網膜を射貫いていった。

 影法師は展示室を見渡すと、白いモスリンの貴婦人の肖像画へ吸い寄せられるように近づいた。
 大粒の真珠の首飾りと耳飾りと薄紅の薔薇を胸に飾った美女は、儚げで寂しそうな瞳をしている。

「ここの絵より、母上の絵姿の方が綺麗だな」

 西陽を背に受けて呟いた声音は、静かな展示室に不思議なほど大きく響いた。

 驚いたヘレーネが身じろぎすると、振り返った少年の見開いた碧眼と視線がぶつかる。
 
「……どなたかしら?」
「これは失礼をしました。商人の息子アントンです」

 へレーネより幾つか年上にみえる少年は、すぐに平静を取り戻すと、洗練された仕草で胸に手を当て一礼する。

 襟と縁取りには天鵞絨(ザムト)があしらわれ、金糸銀糸の刺繍が施された絹の上着を身に纏っている。

 豪奢な身なりや立ち居振る舞いから、家格の高い子弟のようにみえた。

 (本当に、商人の息子?)

 訝しんだヘレーネはアントンに探りを入れることにした。
 姿勢を正してアントンに向き直り、努めて淑やかな微笑みを浮かべた。

「お母様、お綺麗なのね?」

 へレーネが確認すると、アントンは大人びた表情を一変させ、幼子のように大きく頷いた。
 その素直さが可笑しくてへレーネは笑いを噛み殺す。
 
「でも、そんな美しい方なら、国王から美人画モデルの声がかからなかったかしら?」

 ルートヴィヒ一世の美人画モデルに社会的階級による障壁はない。
 高貴な姫から町娘まで、身分を問わず美貌の持ち主が選ばれている。

 少年の端正な面立ちを印象づける大きな碧い瞳は、哀切な色を秘めて柔らかく揺れている。
 アントンが母親似だとすれば、その麗容は母親譲りのものだろう。

 底意地の悪い質問だと認識しながらも、美しいものに目がないヴィッテルスバッハの血が騒ぎ、へレーネは単純に興味が沸いた。

「国王陛下に逆らい、母は不興を買いました」
「不興?」

 不穏な言葉にヘレーネは、アントンの翳りのある横顔をまじまじと眺めた。

「国王に反対されるような無謀な結婚を決行しました。到底、美人画モデルになるのは無理ですね」
「まあ……」

 無神経なことを聞いてしまったとへレーネは己の軽率さを恥じたが、一方で疑惑が湧き上がり、へレーネは眉を顰めた。

 貴族ならいざ知らず、一商人の結婚に国王が介入するだろうか──そのような条件を満たす家門をへレーネは一つだけ知っていた。