冷たい一陣の風が二人の間を通り抜ける。
夜空を引き裂くように西の空に光が迸り、雷鳴が轟く。
(ああ、そういうことか……)
ヘレーネは彼の意図を悟った。
アントンが公爵宮殿のあるミュンヘンまで訪れてエリーザベトと秘密裡に会っているのを、へレーネは知っている。
贈り物を持参して定期的にエリーザベトに会いに来たアントンの後ろ姿をへレーネは何度も目撃していた。
「私がエリーザベトの姉だから、でしょ?」
「違います! 私は、ただ」
へレーネの言葉にアントンは弾かれたように顔を上げて首を振る。
タクシス家の侯世子マクシミリアン・アントンは、妹のエリーザベトに懸想している── ヘレーネが知る秘密だ。
皇帝とエリーザベトの恋をへレーネが妨害すれば、アントンは想い人と結ばれる機会に恵まれるかもしれない。
生憎、ヘレーネは皇帝と妹の恋を妨害するつもりは全くない。それがヘレーネの未来を閉ざすことだとしても──。
「ただ?」
「……私はただ……貴女のお役に立ちたいだけです」
「私を助けて下さっても、貴方が願った未来は叶わない。後悔なさらないかしら?」
「決して、後悔はいたしません」
ヘレーネが念を押すと、アントンはきっぱりと言い切った。
再び俯いた彼の表情は見えない。
だが、アントンの声音は痛みを堪えるかのように苦しげに掠れていた。
湿り気の強い風がヘレーネの身体に吹き付け、間近に迫る雨の訪れを告げる。
「───分かりました。この手紙を預けます」
しばしの沈黙の後、ヘレーネはアントンの提案を受け入れた。
彼は大切な宝物を扱うように恭しく手紙を受け取ると立ち上がり、胸に手を当て一礼する。
「必ずや御期待に応えてみせます。──貴女の輝かしい未来に幸多からんことを」
アントンは踵を返すと、夜の闇に溶けるように去っていった。
雨がポタポタと降り始め、石畳に雨染みが広がっていく。
(輝かしい……未来?)
前途有望な候世子が落魄れた公女に何という皮肉を投げつけるのだろうか。
小走りで宿に引き返しながら、アントンが植え付けた密かな憧れをヘレーネは苦々しく思い出していた。
夜空を引き裂くように西の空に光が迸り、雷鳴が轟く。
(ああ、そういうことか……)
ヘレーネは彼の意図を悟った。
アントンが公爵宮殿のあるミュンヘンまで訪れてエリーザベトと秘密裡に会っているのを、へレーネは知っている。
贈り物を持参して定期的にエリーザベトに会いに来たアントンの後ろ姿をへレーネは何度も目撃していた。
「私がエリーザベトの姉だから、でしょ?」
「違います! 私は、ただ」
へレーネの言葉にアントンは弾かれたように顔を上げて首を振る。
タクシス家の侯世子マクシミリアン・アントンは、妹のエリーザベトに懸想している── ヘレーネが知る秘密だ。
皇帝とエリーザベトの恋をへレーネが妨害すれば、アントンは想い人と結ばれる機会に恵まれるかもしれない。
生憎、ヘレーネは皇帝と妹の恋を妨害するつもりは全くない。それがヘレーネの未来を閉ざすことだとしても──。
「ただ?」
「……私はただ……貴女のお役に立ちたいだけです」
「私を助けて下さっても、貴方が願った未来は叶わない。後悔なさらないかしら?」
「決して、後悔はいたしません」
ヘレーネが念を押すと、アントンはきっぱりと言い切った。
再び俯いた彼の表情は見えない。
だが、アントンの声音は痛みを堪えるかのように苦しげに掠れていた。
湿り気の強い風がヘレーネの身体に吹き付け、間近に迫る雨の訪れを告げる。
「───分かりました。この手紙を預けます」
しばしの沈黙の後、ヘレーネはアントンの提案を受け入れた。
彼は大切な宝物を扱うように恭しく手紙を受け取ると立ち上がり、胸に手を当て一礼する。
「必ずや御期待に応えてみせます。──貴女の輝かしい未来に幸多からんことを」
アントンは踵を返すと、夜の闇に溶けるように去っていった。
雨がポタポタと降り始め、石畳に雨染みが広がっていく。
(輝かしい……未来?)
前途有望な候世子が落魄れた公女に何という皮肉を投げつけるのだろうか。
小走りで宿に引き返しながら、アントンが植え付けた密かな憧れをヘレーネは苦々しく思い出していた。