「ぎゃっ!」

声を上げてよろついた女を見て、俺は途方もない苛立ちを覚えた。

今まで誰かとぶつかったことなど、覚えているうちでは1度もない。

冷たい目でその女を見下ろす。

安そうな服、靴、乱雑に束ねられた髪。
見るからに平凡な女で、大した特徴もない。

「す、すみません、、、」

一応謝られはしたが、軽く頭を下げられただけで土下座もなし。
とても誠意が感じられないと頭に血が上る。

財布を忘れて無性に苛立っていた俺が、そんな軽い謝罪で許すはずが無かった。

「、、なんだお前?俺にぶつかるなんていい度胸だな」

俺ほどの人間がこんな女に舐められるなんて許せない。
そもそも何でこの女は俺を見て怯えないのか。テレビ、ニュース、雑誌、、あらゆるメディアで取り上げられている財閥の御曹司だぞ?

俺が睨んでも再度頭を下げようとする気配は無い。

「、、、」

それどころかその女は俺のことなど微塵も心配する様子がなく、その視線が明らかに地面に転がったアイスに向けられていた。
庶民向けの、大したことない味のアイスだ。

「なんだよお前、言葉喋れないのかよ?俺はお前に当たったせいで今も肩が痛いんだけど?何?慰謝料払ってくれるの?」

ここまで強く言えば、流石にこの女も事の重大さに気づいて頭を下げるだろう。と思っていた。しかし、

「、、、」

彼女は依然黙ったままで、それどころか敵意を含んだ目でこちらを見てきた。

「は?本当になんなのお前?何か言えよ!俺が誰だか分かってその態度なのか?俺は、、、」

あまりの怒りに、足元で転がっている安っぽいアイスクリームを踏み潰してしまった。

俺が親切にも話しかけてやってるのに、こんな態度を取るなんて人として有り得ない。

この澄ました顔の女が泣いて謝るまで、俺は絶対に許さないと決めた。

しかし、その決意とは裏腹に、俺が全ての言葉を出し終える前にその女は殺気の籠った目で俺を睨みつけ、1歩前に踏み出したかと思えば、口を開いた。

「、、、はあ?私の歩き方に問題があるの!?へえ、じゃあ私がカニみたいに横歩きして姿勢悪くなっちゃえばいいんだ?そのせいで通院する羽目になって金どんどん飛んでいってうちが破産すればいいんだ?破産して高校生の私も働かなきゃいけなくなって過労死しちゃえばいいんだ?」

突然、早口言葉のように女が捲し立て始めた言葉に、俺は思わずたじろいだ。

一般庶民に怒鳴られたのは初めてで、あまりの衝撃に俺の思考はストップする。

「は、、、?お前、誰に何言ってるか分かってんのかよ?俺は綾川財閥の御曹司、綾川湊だぞ!?」

俺は引き攣る顔をなんとか元に戻し、この女が絶対に怯えるであろう切り札を出した。

きっとこの女は綾川財閥の御曹司である俺が1人でこんな場所を歩いているはずないと思っているのだろう。

俺がそっくりさんではなく、その御曹司本人だと気づかせてやったんだ。すぐに謝罪の言葉が涙声で聞こえてくるに違いない。

得意げな表情で、憎らしい女の顔を見る。

「綾川 湊、、、?聞いた事もないわ。この辺じゃ有名な金持ちの息子か何か?歯にスネの欠片ついてんぞ」

しかし耳に入ってきたのは、反省の色などまるで感じられない、忌々しい台詞だった。

「なっ、、、!!!」

聞いたことがない?この俺の名前を?
俺の心では次第に怒りよりも困惑のほうが強くなってきていた。

そんなわけがない。強がってるだけに決まってる。1度暴言を吐いてしまって、引くに引けなくなったに違いない。

言い返そうとした時、俺のボディーガードが辺りを見回しながら歩いている姿がその女越しに、遠くに見えた。
きっと俺を探しているのだろう。
見つかるのも時間の問題だ。

早くここを離れなければと思うが、舐められたまま立ち去る訳には行かない。

「お前なんて、俺の権力があればどうにでも出来るんだぞ!!!お前を殺しても揉み消せるくらいの力がうちにはあるんだ!生意気な口聞いてられんのも今だけだからな。次会ったらどうなるか覚えとけ!」

最後にそう怒鳴り、女に背を向けた。
急いでいるため、どんな顔をしているかは確認していないが、震えているに違いない。

その時何故か俺の心は今まで感じたことの無いような高揚感を感じていた。