「はぁ?菊地ってやつに声かけられた?」

 亮輔は驚いた表情で話す。
 雪は、どよんとした顔をした。

「ああ、でも顔を思い出せないし、
 なんか、そいつと話したくなくて…。」

次の電車までしばらく時間があったため、
公園のブランコにそれぞれ座った。

「あいつも懲りないねぇ。」

「へ?」

「お前、思い出せないの?
 凄い嫌な思いしてんのに…。」

「嫌な思い?」

「あー、だめだこりゃ。
 雪の頭の中から消したいんだ。
 無意識にそうなってるんだわ。」

「……。」

 左手をつかんで、思いなやむ。

 全く思い出せない。 
 そんなに嫌なことなら、
 すぐに出てくるはずなのに。


「石川亜香里が関係してる?」


「ああ、ドンピシャ。
 なんで忘れるのさ。」


「高架下のトンネル。あるだろ。
 あそこでなんかされた?」


「集団リンチ。」

 亮輔がボソッとつぶやく。
 その言葉に
 水がドバドバと蛇口から出てくるように
 雪の頭の中に鮮明に記憶が映し出された。
 走馬灯のように一気に思い出して、
 頭を掻きむしった。

 石川亜香里を狙っていた菊地。
 片想いのはずなのに
 それを漆島雪が告白したら
 俺の女に手を出すなと
 2人の仲間を連れて
 高架下に呼び出されて
 殴る蹴るの暴行を受けて、
 未成年のはずの中学生の菊地たちは
 タバコに火をつけて、
 根性焼きをしてきた。
 
 左腕についた跡は今でも残っている。

 これはホクロなんだと言い聞かせて
 どうにか過ごしてきた。

 不登校期間ができたのもそのせいだった。
 
 亮輔が献身的に毎日、宿題プリントやら
 授業のノートを持ってきてくれた。
 学校の様子も伺っていた。

 男だったが、
 彼女かと惚れ直すくらいだった。

 一線は超えていない。

 
 久しぶりに登校したら、
 集団リンチに参加した3人は
 昇降口で土下座して謝ってきた。

 それでチャラにしてくれって
 都合の良い話。
 
 担任に進路に関わるぞとか
 内申点に響くぞとか脅しをかけられての
 行動だったらしいが、
 本当に謝る気があったら、
 不登校になった時点で
 家まで来るべきだろと思う。

 そんな思いこれっぽっちも
 ないヤツらだった。

 名前も思い出してきた。
 菊地雄哉《きくちゆうや》だ。

 和解したと勘違いしてるのか
 高校に入った途端、
 普通に話しかけてくるなんて
 どんな神経してるのか気がしれない。

 でも、
 ここは違う誰かであることを妄想して、
 演じ切った方がいいのだろうか。

 
 過去の自分が可哀想だが、
 同じ高校を過ごすには、関わらないのは
 無理に等しいのかもしれない。
 
 次は、やられっぱなしは
 男としてよろしくない。
 
 筋肉を鍛えて、
 女子を守れる男にならないといけない。

 こと尚更、桜の隣の席で
 仲良くしちゃってるのは
 この菊地雄哉なのだから。

 雪は、誓いをたてた。

 自分自身に。

 過去の自分を捨てた。


 ◇◇◇



「おはよう。」

 教室を入るとすぐに、前の席に座る
 桜が声をかけてくれた。

 雪は、目を丸くして、
 信じられなかった。

 一瞬止まった。

 後ろから亮輔が背中を押す。

「おい、何してるんだ?
 前、進めよ。」

「ああ、悪い。」

「漆島くん、珍しいね。
 遅刻するって…。」

「…え、あ、ちょっと
 電車乗り遅れちゃって。」

「そうだよ!
 俺が、電車間に合わないと思って
 声かけたのに返事しなくてさ。」

 隣にいた菊地が話に割って入ってきた。

「えー、そうなの?」

 桜は返答する。
 雪ははじめ不機嫌そうにしたが、
 スイッチを切り替えて、
 違う自分を引っ張り出した。

「あーー、ごめんごめん。
 ちょっと、用事あってさ。
 菊地くん、教えてくれたのに
 本当、申し訳ない!!」

 顔の前で手を合わせて謝った。

「ああ、まぁ、別にいいけどさ。
 遅刻するくらいの用事だったんだな。」

「えー、あー、まぁ、そうだね。」

 後ろ頭をポリポリとかく。
 自分じゃない自分を出すのは労力が
 半端ない。

 席に座るとどっと疲れていた。
 朝だというのに
 授業を受けられるのかという勢いだった。

 桜に声をかけられたのに、
 隣の菊地と話している。
 
 せっかくの会話のチャンスを失った。

 腕の中に顔を埋めた。

 その雪の様子をしっかりと桜は見ていた。

 どうしたんだろうと気にしていた。