夏近づいていた。
梅雨はまだ明けない。

雨が降ったり止んだりの繰り返しの毎日
紫陽花の花の葉に乗っかるカタツムリが
ズルズルと滑り落ちる。

ぽたんぽたんと傘から落ちる雨粒が
水たまりに波紋を作っていく。

今日の天気もずっと雨予報。

それでも小学生みたいに長靴履くのが
楽しみみたいなテンション高めになんて
過ごせない。

高校生になると
水を弾く機能性のあるウインドブレーカーを着て少しだけご機嫌になる。

もっぱらスニーカーで十分だ。
びしょ濡れになっても厚底だから
多少耐えられる。


学校の昇降口の前、傘を閉じた。

「雪、おはよう。」
 マスクをつけた亮輔が声をかける。

「あ、やっと来たのか。
 風邪ひきさん。」
 くすっと笑いながら、雪は言う。

「まだ完全に治ったわけじゃないけどな。
 とりあえず、熱は下がったし、
 最後はなぜか喉痛みでほら、
 ガラガラ声だ。」

「あちゃー、それじゃぁ、
 カラオケもできないな。」

 ひどくしゃがれた亮輔の声に
 同情した。

「カラオケ?
 あー、今日、金曜日だな。
 なんだよ、行くつもりだったのか。」

 亮輔は、靴箱から上靴を取り出して、
 外靴を入れる。
 雪は廊下の方に足を進める。
 たくさんの生徒が行き交っていて
 ざわついていた。

「亮輔は、その声じゃ無理だろ。」

「タンバリンやマラカスを
 鳴らすことしかできない。
 あと、のどに潤いをってことで
 とりからあげ食べるくらいか。
 フライドポテトと。」

「なんだよ、それ。
 ただ、食い意地張ってるだけだろ。」

「喉は痛くても食欲はあるからな。
 任せておけ。」

「おいおいおい。
 無理すんな。
 俺は桜とデートってことにするから。」

「え?!なに、もう、進展してるの?
 菊地は?大丈夫だったのか?」

 亮輔は雪の言葉にびっくりした。
 
「うん、想像していたより
 全然大丈夫だった。
 今の彼女に夢中だったみたい。」

「……あー、あの彼女ね。
 それなら、良かった。
 菊地の脅しには本当困るよな。
 でも、大丈夫ならな、よかったよ。
 幸せ者だな、雪。」

 亮輔は、雪の頭をワシャワシャと
 撫でた。

「あ、ああ。」

 撫でられてふと思う。
 亮輔は、自分のことを放っておいて、
 雪自身のことをいつも考えていた。
 それでいて、今回の風邪の影響で
 1人で行動しなくてはいけなかったが、
 結果、亮輔が力がなくても大丈夫で
 あったが、もし、これが雪が反対の
 立場だったら、亮輔と同じように行動
 できたのだろうかと想像した。
 いや、無理だろう。
 何の見返りもなく、人に尽くすなんて
 できない。
 何の恩返しもすることなく、
 やり過ごすのだろうか。

「おい、雪。
 遅刻するぞ。」

 ひどくガラガラの小さい声で話す。

「大丈夫か?かなりひどいな。」

「もう、悪いけど。 
 声がどうとか、スルーしてもらっていい?
 どうしようもないからさ。」
 
 亮輔はバックの中からハーブののど飴を
 取り出して、舐め始めた。
 声を出すのもひどそうだ。

「やだなぁ。そのままさ、
 おふくろさんよって歌ってよ。
 モノマネになるって。」

「絶対やだ。」

 亮輔は、雪の話を無視して、
 教室に向かう。
 尽くしてくれる友達に
 急に優しくできないものだ。

 一緒にいるだけで楽しいのだから。

 始業チャイムが鳴る。

 クラスメイトたちが次々に席につく。

 桜がこちらを見て、手を振った。

 堂々とこちらも手をふれる。

 気持ちは平常心にいることができていた。