「そう言えばフィオラには妹がいたな。たしか名は……イルヴァだったか。気の毒に心臓が悪いそうだな」
「……はい」

 顔を伏せているため彼の表情は見えないが、頭の上から聞こえるマルセルの言葉で嫌な予感が走った。今、イルヴァは関係ないはずだ。

「隣国に名医がいる。妹を一度診せてみるといい。心配するな。特効薬が必要ならその費用も出す。どんなに高額でもな」
「だ、旦那様……」
「ただし、お前がカリナの身代わりになるならの話だ」

 (イルヴァを人質に取られた……)
 フィオラは瞬間的にそんな気持ちにかられた。

 もしも断れば、ブロムベルク家ではもう働けない。そうなると今まで通りに仕送りができないから、イルヴァが現在服用している高額な薬は買えなくなる。
 ―――イルヴァの命を危険にさらしてしまう。
 妹と自分の身を天秤にかけた上で、病弱な妹を見捨てた極悪非道な姉にはなりたくない。

「悪いが、考えている時間はない。どうするかすぐに決めてくれ」

 じっと考え込んでいると、再び頭上からマルセルの声が降ってきた。まるで脅されているみたいだ。
 しかしフィオラがノーという返事をしたならば、マルセルは早急に次の手を打たねばならない。時間がないというのも理解できる。
 もし外国に逃亡するのなら、留学中のエルヴィーノにも連絡を入れて身を隠すように伝えるつもりなのだろう。

 幼少のころ、元気に庭を走り回る自分とは違い、いつも部屋の窓際の椅子に座って外の様子を眺めていたイルヴァの姿が頭に浮かんだ。
 それでも妹は心やさしく、ひがんだりする子ではなかった。常に笑顔を絶やさなかった。
 だからこそ元気な身体にしてやりたいと、フィオラも両親もずっとそれを願って生きてきたのだ。

「あの……イルヴァに……妹に必ず治療を受けさせるとお約束ください。どんな高度な医療であろうとも。……私が望むのはそれだけです」
「ああ。よく決心してくれた。いいかフィオラ、わかっていると思うが、この件は口が裂けても絶対に他言するな。漏らせば全員の首が飛ぶ」

 フィオラはガタガタと全身を震わせながら首を縦に振った。
 サマンサは終始なにも言わず、ポロポロと涙をこぼすフィオラの背中を申し訳なさそうにさするだけだ。

 この決断でよかったのだろうか。答えが出ないままフィオラは大きな渦に飲み込まれていく。