*
「今日も不倫日和だね」
そんな事を言って笑うのは京極紫門さんだ。
「あの……京極さん……」
「菫花さん、言ったでしょう。私は京極だが紫門だと」
「えっと……紫門さん……」
「はいはい、菫花さん何かな?」
「いえ……別に何も」
そう言って私は視線をすぐに逸らした。そんな素っ気ない態度をとっても、紫門さんはニコニコとしている。
「今日はお菓子を持ってきたんだよ。ほら」
紫門さんは持ってきた可愛らしい袋を開け、こちらに見せてくれた。袋の中には美味しそうなクッキーが沢山入っていた。紫門さんは袋の中から一つクッキーを取り出すと、私の口元にもってくる。
「ほら、あーん」
紫門さんがそう言いながら、クッキーを私の口に押し当ててきた。仕方なく渋々口を開けて、押し当てられていたクッキーをほおばる。それを見ながら紫門さんが微笑んだ。一連の動作はまるで餌付けだった。
「美味しいかい?」
「はい」
紫門さんと出会い二ヶ月が過ぎようとしていた。この頃には私の凝り固まった表情筋も、少しは動かすことが出来るようになってきていた。しかし口角を上げることは出来ず、菫花は顔を曇らせたが、私の変化に紫門さんは嬉しそうに笑いながら頭を撫でてくれた。
少しずつで良いんだよと、いつもそう言ってくれていた。
紫門さんの手は大きくて温かかった。
優しい手……。
胸がほっこりと温かくなる。
また人としての心を取り戻せた気がした。
少しずつ、少しずつ雁字搦めに絡まった感情が、解きほぐされて変化がやって来る。
私は父親とそう変わらない年齢のこの人に、惹かれている。
紫門さんは冗談の様に不倫と言葉にするのだが私は……。
私は紫門さんの事が……。
言葉に出来ない思いが、感情がそこにあった。


