*
ふと目を覚ますと、そこは清掃を委託された会社の医務室だった。大きな会社には医務室もあるんだなと、思った日を思い出しながら、ボーッと天井を見つめた。そしてもう少し先ほどの優しい夢の中にいたかったと思っていると、何故か温もりのようなモノを感じた。まるで今まで本当に誰かに頭を撫でられていたかのような感覚……。
自分の頭に手をのせ、その余韻に浸っていると声を掛けられた。
「菫花さん大丈夫かい?」
部屋に入って来たのはいつも挨拶をしてくれるグループ会社の若社長さんだった。社長はつやつやな髪を掻き上げながらホッと息を吐き出した。
「倒れたと聞いて驚いたよ。今日はもう帰りなさい」
「ですが……」
優しい言葉を掛けてくれる社長には申し訳ないが、仕事を放り出して帰るわけにはいかない。そう思い眉を寄せると、それを察したように社長が微笑んだ。
「大丈夫だよ。私の方から清掃の山田社長に話しておくから」
ポンポンと頭を優しく叩かれ、菫花さんは驚きながら固まった。そんな菫花を見つめながら社長は眼鏡の奥にある瞳を、意味ありげに細めた。
私は清掃員用の制服から私服に着替えると外に出た。すると太陽は高い位置から低い位置に移動していて、オレンジ色に変わり始めていた。暗くなる前に帰ろうと一歩足を前に出したとき、その人は現れた。
「おい、お前……やっぱり女狐だったんだな。社長までたぶらかしているなんてな」
先ほど壁ドンで威圧してきた男性が、ジリジリと近づいて来た。それに合わせる様に菫花は後ろに後ずさる。
私はどうしてこの人に言いがかりを付けられているのだろう。
こうやって威圧を掛けられ、侮辱される理由が分からない。
「お前、この会社を辞めろ」
男性は二言目にはそう言って、睨みつけてくる。
どうしてこの人は私を辞めさせたいのだろう。
考えても分からない。分からないなら、この人に従う必要は無いと思う。
ここは紫門さんが紹介してくれた場所だ。
絶対に辞めたくない。
私は息を吸い込み、下腹に力を入れた。
「私は辞めません!」
それだけ言って私は男性に背を向け逃げるように走り出した。


