「菫花ちゃん、どうした?」

「あっ……いえ……」

「仕事は終わりそう?」

「あっ、はい。もう少しで終わります」

「そう、終わったらお昼にしよう」

 そう声を掛けてくれたのは清掃会社の社長さんで、紫門さんのお友達の山田勤さんだった。

「菫花ちゃんの事は紫門から任されているからね。無理はいけないよ。何かあったらすぐに相談するんだよ。良いね?」

 紫門さんのお友達なだけあって、世話の焼き方が紫門さんに似ていてジワリと心が温かくなった。少しずつ紫門さんのいなくなってしまった毎日に慣れていったある日の事だった。階段の踊り場で、空気を震わせるような冷たい声が放たれた。

「おい、お前」

 私はビクリと体を震わせながら声を放った男性を見た。目の前の男性は眉間に皺を寄せ、こちらを睨みつけていた。

 何……どうして私はこの人に声を掛けられた?

 睨みつけてくるその目は、全く好意的では無く、むしろ天敵でも見るような目だ。

 怖い……逃げ出したい。

 しかし足がすくみ、床に縫い付けられてしまったかに様に動かない。男性は更に眉間に深く皺を寄せ、一歩前に出た。

「お前はここで働いているのか?」

「…………」

「何故何も言わない?」

「…………」

「ふん、調べれば分かることだ」

男性はそう言って階段を降りていった。菫花は男性の足音が消えるのを待ってから体の力を抜いた。すると膝から力が抜け、その場にへたり込んだ。

 こっ……怖かった。

 元上司のような……それ以上の高圧的な態度にガタガタと体が震えた。あのブラック企業での日々を忘れかけていたと言うのに、一気に時間が遡ったかのような感覚に陥った。

 奴隷のような日々……上司からの威圧的な態度と、罵声を浴びせられる毎日。もうあんな日々を送るのは嫌だ。

 私はゆっくりと呼吸を整えると立ち上がった。

 ここはあのブラック企業では無い。

 紫門さんが与えてくれた場所だ。

 それだけで勇気が湧いてくる。

 私はここで、この場所で頑張ると決めたんだ。