応接室には祖父が惚れ込んだ大きな振り子時計があります。
しばらく点検されておらず、少しばかり遅れてはいるものの、振り子は規則正しく揺れていました。
カチカチと音がするたびに、時間を削り取って行くようでした。

あなたはわたしの目の前まで進み出て、手を差し伸べました。
いつか秘密の約束を交わした小指もそこにあります。

「お望みならどこへなりと」

そんなことを冗談みたいにさらりと言うのです。
しかし、珈琲ゼリー色の瞳は力強く、そこにはわたしだけが映されていました。
口に含んだらきっと、つるりとあまい。
最後のひと欠片まで飲み干してしまいたいと思いました。

でも、わたしの答えは最初から決まっておりました。
家の力は衰える一方で、それは姉たちの結婚でも立て直すことはできませんでした。
そして、わたしもまた焼け石に水のような結婚をしなければならないのです。
それで、漏れ出る水の量が少しでも減るのなら。

あなたは、わたしがその手を取らないこともまた知っていたのでしょう。
伸ばしたくなる右手を左手で押さえて返事をしないわたしに、あなたはいつものように笑いました。

「お嬢さまは相変わらず嘘の扱いが下手ですね」

差し出した手を引き取って、しずかに握ります。

「こういう時は『冗談よ。本気にしたの?』と笑ってくださるものですよ。僕も『まさか本気なわけないでしょう』って笑い飛ばしましたのに」

そう言って、狡くて弱いわたしを許してくれました。
大切なものを冗談にしてくれたのです。

それなのにわたしときたらてんで子どもで、最後まで何でもないふりを続けることができませんでした。

「ごめんなさい。ミモザのお花は、見に行けない」

堪えても溢れる涙で、あなたの姿は見えなくなりました。

一度拒まれたあなたにできることは何もなくて、きっと困らせましたよね。
本当にごめんなさい。

「それでも、あの木は伐らずにおきます」

あなたは最後に、どんな眼差しをわたしに向けてくれていたのですか?
泣くばかりでなくちゃんと見ればよかった。
ちゃんと笑ってお別れすればよかった。


あれから間もなく、日本も戦火に包まれました。

戦時中は夫の親戚を頼って新潟の方へ疎開しました。
おかげで空襲は免れましたが、家も、学校も、写真館も、みんな焼けてしまいました。
そして「華族」という存在もなくなりました。

だいぶ経ってから東京に戻ったとき、写真館のあった場所にも行ってみたのです。
でも、区画ごと変わってしまっていて、どのあたりにミモザがあったのかさえ、わかりませんでした。

実家も焼けましたので、手元にあなたの撮ってくれた写真はありません。
形に残るものは何ひとつありません。

でも、形のないものは今も胸に残っています。
暗室のことも、あなただけに許した世界があったことも、お墓まで持ってまいります。