ルーリエが言葉を失っていると、男は流れる所作で一礼した。

「申し遅れました。私の名はイグナーツ・クラインといいます」
「クラインというと……魔法伯と有名なクライン伯爵閣下でしょうか?」
「ええ、そうです。先ほど、あなたが覚束ない足取りでバルコニーに消えるのが見えまして……。どうやら顔色も優れないようですね。急ぎ、あなたの家の従者を呼び寄せましょう」
「ま、待ってください。わたくしは……大丈夫です。ちょっと夜風に当たりたかっただけなので」

 必死に否定すると、意外にもすんなりイグナーツは引き下がった。

「身体に異常がないということは、何か悩み事ですか? でしたら、ここで吐き出してみてはいかがでしょうか。すっきりすると思いますよ。もちろん、乙女の秘密は他言無用にします。そうですね……私のことは壁とでも思ってくださって結構ですよ」
「壁……」
「はい、壁です」