追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

 コルティノーヴィス香水工房を後にしたシルヴェリオを乗せた馬車は、王都にあるコルティノーヴィス伯爵家の屋敷(タウン・ハウス)に着いた。
 
 馬車に乗ってすぐに伝達用の魔法を使ってヴェーラに帰宅を知らせているが、急なことには変わりない。当主としても商団の長としても忙しい彼女のもとを急に訪ねて申し訳なく思う。
 
 出迎えてくれた使用人が扉を開けた先に顔を向けたシルヴェリオは、深い青色の目を見開く。そこには、満面の笑みを浮かべたヴェーラがいるではないか。

 ヴェーラは白いシャツに深みのある赤色を基調としたジャケットとスラックスを着ており、ジャケットには金糸で精緻な刺繍があしらわれている。
 夕空に浮かぶ一番星のごとく輝く白金色の髪は三つ編みに結わえている。かっちりとした装いのため、シルヴェリオはヴェーラに重要な来客があったのだと察した。
 
「おかえり、シルヴェリオ。疲れているだろうから座って話そう」
「急に帰ってきて申し訳ございません」
「何を言っている。ここはシルヴェリオの家なのだからいつでも帰ってくるといい。むしろここから黒の魔塔に通ってほしいと思っているほどだ」
 
 澱みなく言い切るヴェーラの言葉に嘘はない。本気でそう思ってくれているのだとわかるだけに、シルヴェリオは渋面を作りそうになる。
 
 もしもシルヴェリオがこの屋敷に戻れば、傍系家門の者たちはシルヴェリオが妾の子でありながらも当主の座を狙っているのではないかと邪推するだろう。
 たとえシルヴェリオが幼少期に継承権を放棄しているとしても、用心深い彼らはシルヴェリオを警戒するはずだ。
 
「気持ちだけいただきます。俺が当主の座を望んでいないことを示すためにも、屋敷から離れるべきですから」
「シルヴェリオ……」
 
 ヴェーラは柳眉を下げる。まるでヴェーラの方が傍系家門の者たちに疎まれているかのように、傷ついた表情だ。
 それほど自分を大切に想ってくれているのだろうと、シルヴェリオは弟想いな姉の愛情を感じた。
 
 しかし世界は二人の事情だけでは回らない。由緒ある貴族の家門の歴史を背負う以上、どうしても血筋の問題に敏感な者たちが介入してくるのだ。
 
「ところで、夕食は食べたか?」
「いえ、まだです」
「ちょうど私もこれからだ。せっかくだから、話しは一緒に夕食をとりながらにしようか」

 ヴェーラの誘いにシルヴェリオが首肯すると、ヴェーラは花が綻ぶように美しい笑みを浮かべた。くるりと優雅に踵を返すヴェーラの後をついて行く。
 
「仕事終わりにヴェーラ様から労ってもらえるなんて羨ましい」

 ギリギリとリベラトーレが歯軋りする音が聞こえてきたが、敢えて見ないようにした。

     ***

 屋敷の食堂は既に二人分のカトラリーが置かれていた。長いテーブルの一番奥、当主の席にヴェーラが座り、その手前の席にシルヴェリオが腰掛ける。
 
 湯気の立つ出来立ての料理を手にした使用人たちが次々と現れてはテーブルの上を彩る。
 豪快に厚切りされた銀牛(シルバー・ビーフ)のステーキ、柔らかな白身が特徴の華魚(フロール・フィッシュ)とアサリがトマトとオリーブで彩られたアクアパッツァに、甘じょっぱいオレンジマスタードソースがかけられたクリームチーズとズッキーニのスモークサーモン巻きと、薄切りの仔牛の肉に生ハムを乗せてバターとセージで味付けしたソテー――。
 シルヴェリオの帰宅を聞いてヴェーラと調理長が張り切ったため、まるで晩餐会のようだとシルヴェリオが思うほどたくさんの料理が用意されていた。
 
「それで、手紙に書いてあった急を要する話とは何だ?」

 ヴェーラはコルティノーヴィス伯爵領の特産品である赤ワイン『バラの宝石』が入ったグラスをくるりと回しながらシルヴェリオに問う。

「今日の夕方、工房にイルム国から来たジャウハラ商会の商人を名乗る者とその護衛が訪ねてきました。商人のなはハーディといい、フレイさんが調香した香水がネストレ殿下を目覚めさせたという噂を聞いて訪ねて来たそうです」
「イルム王国のジャウハラ商会か……初めて聞く名だな」

 話を聞いたヴェーラは手に持っていたワイングラスをテーブルの上に置くと、顎に右手を添えて思案する。

「エレナさんも初めて聞く名だと言っていました。ハーディという商人は既製品の香水をイルム国で売りたいそうですが、不可解な部分があるまま取引しない方がいいと助言をもらいました」
「そうだな。ジャウハラ商会がイルム国でどのような立場にある商会なのか把握しておいた方がいい。既製品の取引はできるだけ先延ばしにしておいてくれ。その間に調べよう」
「仕事を増やしてしまってすみません」
「私の商団が取り扱う商品の価値を保つためでもあるから重要な仕事だ。むしろ相談してくれてありがたい」

 商品の価値は取り扱う商会によっても左右される。
 平民を中心に販売している商会が取り扱えば安物とされてしまうし、後ろ暗いことをしている商会が取り扱えば商品への心証が悪くなり、誰も手に取りたがらなくなる。
 
「まずはハーディという商人を探ってみるか。イルム王国と最も親交がある商会の者に調べさせよう」
「ありがとうございます。調査の礼として、次の既製品の新作は卸価格を融通します」
「ふふっ、ありがたくその礼をいただこう」
 
 ヴェーラは薔薇のように赤い唇で弧を描く。商団の長としての抜け目ない一面が垣間見えた。

「ところで、今年の建国祭はどう過ごすつもりだ?」
「魔導士の仕事が入っています」
「おや、そうだったのか。今年は忙しいのだな」
「ええ……急に決まったので、せっかくの予定を取り潰されてしまいました」

 やや気落ちした声音で答えながら、シルヴェリオは自分でも気づかないうちに上着のポケットがある辺りを手で触れる。フレイヤからもらった小瓶が指先に当たった。
 
「それは……ご愁傷様だな」

 いつもは感情を露にしないシルヴェリオがどことなくしおらしい。その様子から取り潰された予定を察したヴェーラは心底同情する。

「祭の日に素敵な奇跡が起こって、シルヴェリオが祭を楽しめるよう祈るよ」

 ヴェーラはワイングラスを再び手にすると、シルヴェリオに向かった掲げて見せた。