追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

 ザッハトルテを堪能したフレイヤとオルフェンはシルヴェリオと別れてコルティノーヴィス香水工房に戻る。
 
 まだ魔導士団の仕事が残っているためシルヴェリオは王宮に残っているが、仕事が終わったら今日もまた工房に立ち寄ることになっている。

「あ、そうだ。工房のみんなにお土産を買って帰りたいな」

 コルティノーヴィス伯爵家の馬車に揺られながら外の景色を眺めていたフレイヤの脳裏に、レンゾとエレナとアレッシアの顔が浮かぶ。
 
 留守を預かってくれているみんなを差し置いてザッハトルテを食べていた事が少々後ろめたい。
 フレイヤは馬車の中と御者席の間にある小窓を開けて御者に途中にある菓子店で降ろしてもらうよう相談した。

 買い物を終えたらオルフェンと一緒に歩いて帰るつもりだったが、親切な御者は外で待つと言い、帰りも乗せてもらえることになった。
 
 そうしてフレイヤは帰り道にお気に入りの菓子店でレンゾとエレナとアレッシア、そして親切にしてくれた御者に焼き菓子をいくつか買い、帰路についた。

     *** 
 
 フレイヤたちを乗せたコルティノーヴィス伯爵家の馬車がコルティノーヴィス香水工房に着く頃には、橙色の夕日がゆっくりと海の水平線に沈み始めていた。

「ここまで送っていただきありがとうございました。良かったら食べてください」

 フレイヤは菓子の入った包みを御者に渡す。御者はたいそう感激して両手で包みを受け取ると、何度も礼を言いながら工房を後にした。

 御者を見送っていると、馬車の音を聞きつけたレンゾとエレナが扉を開けて出迎えてくれた。

「副工房長、おかえりなさい。お疲れでしょうからお茶を淹れますね」
「ありがとうございます、エレナさん。ちょうどみなさんへのお土産を買ってきたので、みんなでお茶にしませんか?」
 
 そう言い、フレイヤはエレナに紙袋を渡す。エレナは紙袋を受け取ると柔らかに微笑んだ。

「ちょうど営業時間が終わったところですので、残りの事務仕事前に休憩できて嬉しいです」

 コルティノーヴィス香水工房は終業時間の一時間前に店を閉めており、その後エレナはいつも事務処理をしてくれている。

 在庫の補充や客からの要望をまとめた資料の作成なども黙々とこなしてくれており大変助かっている。

「そうだ、アレッシアさんを呼んできますね」
 
 フレイヤは工房の中に入ると、階段を上がって二階にある調香室へと向かう。

 調香室に入ると、アレッシアが香水を瓶に詰め終わり、空いている調香台(オルガン)の上に並べているところだった。
 フレイヤは調香台を覗き込むと、小さく歓声を上げる。香水が入っている香水瓶が、昨日よりもうんと増えているのだ。
 
「アレッシアさん、お疲れ様です。こんなにたくさん作ってくれてありがとうございます」
「香りを再現するだけだから、これくらいは簡単だわ。それに、ちゃんと再現できているか確認しておいてね」

 アレッシアはぶっきらぼうに言うが、その表情はどことなく嬉しそうだ。そんな彼女の表情を見ていると、フレイヤも嬉しくなって頬がにまにまと動いてしまう。
 
「朝からずっと作業して疲れたでしょうし、これからみんなでお茶をするので一緒に休憩室へ行きましょう?」
「私も行っていいの?」
「もちろんです! アレッシアさんはコルティノーヴィス香水工房の一員なんですから!」
「……私、まだ正式にここの調香師になるとは言っていないけど……」
「そ、それでも、今ここで一緒に働いているのですから工房の一員なんです。美味しいお菓子を食べて明日からの英気を養いましょう!」

 両手で拳を作って熱弁するフレイヤに、アレッシアは声を上げて笑った。
 
     ***

 フレイヤとアレッシアが一階の応接室の隣にある休憩室へと向かうと、お茶の準備はすっかりできていた。
 レンゾが菓子を皿に盛りつけてくれており、エレナは人数分のカップを用意してくれている。
 オルフェンはというと、既に座って紅茶を飲んでいる。
 
 五人で世間話をしながらお茶を飲み、お菓子をつまんでいると、カランと鈴の音が鳴った。どうやら客人が来たようだ。

 音を聞きつけたエレナはハンカチを取り出して手早く口元と指先を拭いて立ち上がる。

「閉店の札を出しているのに入って来るなんて……ひとまず見に行ってきますね」
「ああ、待ってください。泥棒の可能性もあるから俺も行きます」

 レンゾはエレナに続いて立ち上がった。
 エイレーネ王国の王都は基本的には治安が良いが、犯罪が全くないわけではない。

「レンゾさんの言う通り、閉店なのにわざわざ入ってくる客はろくでもなさそうね」

 アレッシアは不安そうに扉の外を見遣る。

 微かだが扉越しに人の声が聞こえてくる。レンゾとエレナ、そして若い男性の声だ。上手く聞き取れないが、男性はレンゾとエレナになにか話している。
 双方が声を荒げていないから泥棒ではないのだろう。しかしわざわざ閉店後の店に入ってくる客の存在がどうも気がかりだ。

 自分も様子を見てこようと思ったフレイヤがティーカップをソーサーに置いたところで、ちょうど休憩室にエレナが戻ってきた。

「副工房長、店に来たのは異国から来たお客様でした。閉店の札に気づけなかったそうです。今日はもう閉店だと伝えたのですが、どうしてもこの工房の調香師に会いたいと言っていまして……」
「異国のお客様なら、滞在できる日が限られているから焦っているのかもしれませんね。わかりました、お話してみます」
 
 フレイヤは立ち上がると、エレナに続いて休憩室から出た。

 店先に近づくにつ入れて、甘い花の香りがする。今までに嗅いだことのない、異国情緒のある香りだ。

 フレイヤは出入り口がある方向に顔を向けた。そこには白く丈の長い、フード付きの外套を羽織った二人の男性が佇んでいる。
 外套の中には見慣れないデザインの白色の長衣を着ており、それに併せてゆったりとしたズボンを履いている。

 一人はフレイヤと年近い見目で、柔和な雰囲気がある。しなやかな体つきで、肌の色は褐色。宵闇のような黒髪は肩の辺りまであり、やや長めの前髪から見える目の色は星のような黄金色だ。

 もう一人は屈強な体格で、こちらはやや年上だ。姉のテミスぐらいか、彼女よりもさらに年上に見える。
 肌の色はもう一人の男性と同じく褐色で、紺色の髪を短く切っており、額に髪がかからないようにかき上げている。前髪がないためはっきりと見える切れ長の目の色は深い緑色だ。
 
「君がこの工房の専属調香師の、フレイヤ・ルアルディ殿だな」

 黒髪の男性は金色の目でフレイヤの姿を捕らえると、確信めいたように言った。それも、流暢なエイレーネ語で。
 
 低く、穏やかな声にはどことなく威厳がある。生まれながらそう話すように教育されてきた身分――貴族らしい話し方だ。

 もしかすると彼は、貴族なのかもしれない。
 そう判断したフレイヤは、右手は胸に当て、左手でスカートを少し摘まんで貴族式の礼をとる。
 
「はい、私はコルティノーヴィス香水工房の副工房長兼調香師のフレイヤ・ルアルディです」 
「私はイルム王国にあるジャウハラ商会の商人、ハーディと申す。後ろにいるのは護衛のマドゥルスだ」

 マドゥルスという男性は寡黙なのか、それともエイレーネ語を話せないのか、黙ったまま両手を合わせてフレイヤに向かって頭を下げる。どうやらイルム王国式の挨拶らしい。
 
「イルム王国……ですか。遠路はるばるお越しいただきありがとうございます」

 騎士団の本部で聞いたばかりの国だ。それも、ネストレたちが警戒している国だけに顔が強張りそうになる。
 
「今日は店が終わった時間に来てすまない。貴殿の噂を聞いて、ぜひとも会って約束をつけたかったのだ」
「私の噂……もしかして、競技会(コンテスト)に優勝したことでしょうか?」
「いや、君が調香した香水がこの国の第二王子を呪いの眠りから目覚めさせたという噂だ」

 フレイヤは目を瞬く。まさか異国にその話が渡っているとは思ってもみなかった。

「あれは一時的なもので、正確にはその後司祭様の祈りで第二王子殿下がお目覚めになったのです」
「それでも、呪いの効果を一時的に弱めたとは素晴らしい力だ。ぜひ私にも香水を作ってほしい」

 ハーディはフレイヤの香水に呪いに対抗する力があると思っているようだ。

 フレイヤは子どもの頃、カリオから聞いた話を思い出す。イルム王国は昔から魔除けに関する興味が高く、人々は日ごろから護符を持ち歩いているらしい。
 
 本来備えているはずのない効能に期待されては困ると思ったフレイヤは慌てて首を横に振った。
 
「実際のところ、私にはそのような特別な力はなく、あくまで普通の香水しか作れないのです。ご希望に添えず申し訳ございません」
「ふむ、そうか。それでも奇跡を起こした調香師が調香する香水に興味があるから、ぜひ私にも作ってくれないか? それにわが国でも売りたいから既製品も購入させてほしい!」

 ハーディは熱のこもった声で早口でまくし立てると、黄金色の目を輝かせてずいずいとフレイヤに迫る。すっかり彼の勢いに呑まれたフレイヤは、こくこくと首を縦に振った。

「それでは明日、改めてお邪魔しよう」
 
 ハーディは満面の笑みを浮かべ、マドゥルスと共に工房を後にした。

「なんだか、嵐のような人でしたね」

 フレイヤはふらふらと覚束ない足取りで壁によると、ぐったりと力なく寄りかかる。

「ハーディという商人は随分とエイレーネ語が堪能でしたね。あれだけ話せたら看板に書かれている言葉も読めそうですが……もしかすると、本当にフレイヤさんにすぐにでも会いたかったのかもしれませんね」

 レンゾもまた疲弊した表情で壁に寄りかかった。
 
 一方でエレナは窓の外を見遣り銀縁メガネの奥にある紫色の目を鋭く光らせる。
 
「ジャウハラ商会……ねぇ。今までに一度も聞いた事がない名前だわ」

 コルティノーヴィス商団で働いていた時、イルム王国の商会の名前はほぼ全て覚えたつもりだった。彼の国はエイレーネ王国で作る塩や真珠の宝飾品を高値で取引してくれるからだ。

「念のため、ヴェーラ様とシルヴェリオ様に伝えておいた方がよさそうね」
 
 エレナはどこか釈然としない表情でもう一度、彼女が今までに聞いた事のない異国の商会の名前を呟いた。