「フラウラ、ひとりで探すのは辛くて寂しかったね」

 フレイヤはポケットからハンカチを取り出すと、フラウラに手渡す。

「私で良ければ力になるよ。だからその話、もう少し聞かせて?」

 シルヴェリオが魔法の拘束を解くと、フラウラは後ろ足で着地する。
 前足でフレイヤからハンカチを受け取り、目元の涙を拭った。
 
『いいけど……どうして?』
「もちろん、フラウラとパルミロさんがもう一度一緒にいられるよう手助けしたいからだよ」

 カルディナーレ香水工房にいた頃、アベラルドや彼のお気に入りの調香師たちから心ないことを言われて落ち込む日々を送っていた。
 そんなフレイヤを、パルミロは店に行く度に気遣い、励ましてくれたのだ。その恩返しをしたい。
 
 おまけにフレイヤは、パルミロがフラウラの帰りを待ちわびていることを知っている。
 本人は気づいていないようだが、彼女の話をするたびに、寂しげに目を潤ませているのだ。
 
「俺も協力する。パルミロには世話になってばかりだからな」
 
 シルヴェリオがそう言うと、フラウラはハンカチをぎゅっと引き寄せて顔を隠してしまう。
 
『……ありがとう』

 ハンカチ越しに、くぐもった声で礼を述べられる。その後は小さなしゃっくりが聞こえた。
 
 協力してくれる人がいるのは、なんとありがたいことだろう。
 
 フレイヤの言う通り、フラウラはずっと辛くて寂しかった。
 巨大蛸(クラーケン)討伐の最中にパルミロとの繋がりが途切れた時以来、ずっと孤独に苛まれていた。

 戦闘中、強制的に使い魔の契約が解除されたことにより、フラウラは強い喪失感に襲われた。
 だから魔力回路の損傷の痛みで倒れたパルミロを前にして、茫然と立ち尽くすことしかできなかった。
 何が起こったのか理解するのに、時間が必要だったのだ。
 
 王立治癒院に搬送されたパルミロに付き添った時、パルミロはもう魔法を使えないのだと聞かされて目の前が真っ暗になった。
 
 フラウラにとって、パルミロは大切なパートナーだ。
 使い魔と主人の関係性を越え、家族や恋人や友人といった分類では説明できないほど、かけがえのない存在。
 
 そんな彼との繋がりを失ってしまったことを、受け入れられなかった。
 目を覚ましたパルミロがフラウラの姿を認識できないかもしれないことが、恐ろしくなったのだ。

 ――そんな現実、認めたくない。

 フラウラはパルミロの目覚めを待たずに治癒院を離れ、パルミロとまた一緒にいられるための方法を探した。
 
 パルミロが魔法を取り戻せるか、もしくは契約を結ばなくてもフラウラを認識できる方法を。
 
 とにかく無我夢中で探した。
 王国中の図書館にある本を読んだし、研究を生業とする魔導士の工房にこっそり入っては、役に立ちそうな情報を探したのだ。
 
 四年もの年月をかけてあらゆる手を尽くしたが、わかったのはたったひとつだけ。
 人間の魔法では、もう手の打ちようがないということだった。
 
 そこで、今度は妖精たちの魔法に注目した。
 妖精の中には長い命に退屈を覚えて魔法の研究をしている者がいる。
 人間では考えつかないような魔法を編み出している可能性がある。

 出会う妖精たちに片っ端から声をかけ続けてようやく、件の長命妖精(エルフ)の話を聞いた。
 これでようやくすべてが解決すると喜んだのも束の間で、相手から出された条件に心が挫けかかっていたのだ。

「大丈夫。みんなで力を合わせたら、きっと答えが見つかるはずだよ」
 
 フレイヤは小刻みに震えるフラウラを抱き上げると、優しく背中を撫でた。
 
     ***
 
 ひとしきり泣いたフラウラが落ち着くと、フレイヤたちは台所にあるテーブルにつき、ケーキと紅茶を堪能しながらの作戦会議を始めた。
 
「んー! 美味しい」

 フレイヤはシャルロットをひと口ずつ丁寧に食べては、感嘆を零す。
 頬に手を添え、うっとりとした表情で咀嚼するフレイヤを、シルヴェリオがちらちらと見ている。

「フレイヤさんって、本当に美味しそうに食べますよね?」

 視線に気づいたレンゾに声をかけられると、そっと視線を外す。

「そうだな」

 まるで誤魔化すように、いつもは食べようともしないケーキを口に入れる。
 そうして、ケーキの甘さに驚いてむせるのだった。
 
「だ、大丈夫ですか?」
「気にしないでくれ。それより、件の長命妖精(エルフ)はどこに住んでいるんだ?」
『王都を出て少し西へ向かうと、森があるの。そこにいるわ』

 エイレーネ王国の王都は南は海に面しているが、その他は広い草原に囲まれている。
 その昔、森にはびこっていた魔物から王都に住む市民たちを守るために、森を切り開いて後退させ、代わりに草原にしたのだ。
 
「西の森の長命妖精(エルフ)……妖精たちがたまに噂話をしているのを聞いたことがあります」

 以前の工房でも妖精と一緒に働いていたレンゾは、彼らが仕事をしながら話している噂話を一緒に聞いていた。
 その噂話の中に、件の長命妖精(エルフ)のものもあったらしい。
 
「……ただ、あまりいい噂ではありませんが……」
「いい噂を聞かない……? 悪さをしているということですか?」
 
 フレイヤは少し身構える。
 ただでさえ長命妖精(エルフ)は未知の生き物なのだ。その相手が悪さをしているとなると、どうしても怖気づいてしまう。
 
『そうね、このあたりに住む妖精たちは彼を恐れているわ。ここ数年、彼は不気味な魔法を研究しているのよ』
「その人にパルミロさんのことを相談して大丈夫なの?」
『大丈夫よ。あいつは手持ち無沙汰に魔法を研究しているだけなの。だから害意を持って研究中の魔法をパルミロに試したりはしないわ』

 それを聞いてフレイヤたちは、ホッと胸を撫でおろした。
 
「今までにその長命妖精(エルフ)には何を持っていったんだ?」
『魔法石、珍しい薬草に、小人妖精(ドワーフ)が作った綺麗で頑丈な剣――思いつく限りのものを集めて渡したけど、どれも気に入らないと言って受け取ろうとしないの』
 
 それらの品々を持っていっても、オルフェンは手に取とろうとすらしなかったらしい。
 
『本当は、私の願いを聞く気がないのかもしれないわ』

 フラウラはしゅんと肩を落とす。
 
「ねえ、フラウラ。少し話をしたいから、会わせてくれる?」

 フレイヤがそう問うと、シルヴェリオが眉間の皺を深める。
 
「ダメだ。長命妖精(エルフ)は凶暴な種族ではないが、機嫌を損ねたら厄介だ。わざわざ会いに行く必要はない」
「いいえ、絶対に必要なことです!」
 
 フレイヤの若草色の目が、シルヴェリオを真っ直ぐ見据える。
 いつもは控えめな彼女が絶対に譲らない時に見せる表情だ。

 シルヴェリオは言い返そうとした言葉を、呑み込んだ。ややあって、「理由は?」とぶっきらぼうな声で言う。
 
「お客様が求めている香りを作るために、いくつか質問をするんです」

 表情の変化などの些細な要素を汲み取り、より好みに合った香りを提案する。
 香りは人の心に強く作用するものだ。だからフレイヤは妥協せずに相手の好みに合わせた香水を調香する。
 
『いいわ、案内してあげる。だけど、あなたは妖精を見ることができないから、そこの二人も来てよね』
「俺はいいが……レンゾさん、すまないが明日一緒に来てもらえるだろうか?」

 レンゾはニカリと笑う。

「いいですよ。長命妖精(エルフ)に会える機会はそうそうないので、むしろ大歓迎です」
「決まりだ。明日の昼になったら二人を迎えに工房へ行く。それから森へ行こう」

 果たして長命妖精(エルフ)とは、フラウラの言う通りひねくれものなのだろうか。
 人間の自分なんかの話を聞いてくれるのだろうか。
 
 早くも緊張してきたのか、フレイヤの心に不安が影を差す。
 
(妖精と話すのは今日が初めてだから、正直に言うとどうなるのかわからないけれど……でも、パルミロさんとフラウラの力になりたい!)

 決意を一つ胸にして、イチゴのシャルロットを頬張るのだった。