フレイヤは翌朝から新しい職場を探し始めたが、どの工房へ行ってもいい返事をもらえない。

「悪いねぇ。あのカルディナーレ香水工房をクビにされたのなら雇えないよ。うちは小規模の工房だから、カルディナーレさんに目をつけられるようなことはできないんだ」
「……あ、あの……私はお客様のために香りを作れたらそれでいいんです。お客様にとってお守りや宝物になるような香りを作りたいんです。だから、裏で作業するだけでもいいので、雇ってください……!」
「そうもいかないんだよ。工房は仕入れ業者が出入りするからいずれ君を雇っていることがカルディナーレさんに知られてしまう。そうなればどんなことをされるかわからない。できることならやとってあげたいんだが、すまないねぇ」
 
 今回訪ねた工房の工房長は初老の柔和そうな男性で、申し訳なさそうにフレイヤの頼みを断るのだった。
 フレイヤの真摯な眼差しと、客のために香りを作りたいという強い想いには惹かれるものがある。

 エイレーネ王国の調香師たちは、化粧品である香水の他に美容用の香油や医療用の香り水、そして革製品の匂い消しを作る。
 どの仕事にも必要なのは、知識と経験と感性――そして客の要望を正確に汲み取る力。だからこそ客のためを想うフレイヤはいい調香師になれるだろうと直感が働いたのだ。それだけに、彼女を雇えない事情が恨めしい。
  
 逃すのは惜しい人材だが、しがらみのせいでどうしても雇えない。
 小規模とはいえ工房長を務める彼は、自分の部下たちを守らなければならないのだ。
 もしもフレイヤを雇い、その事が原因でカルディナーレ工房の工房長であるアベラルドとその妻に目を付けられてしまうと工房の存続が危ぶまれてしまう。そうなると、部下たちが路頭に迷うことになるかもしれない。
 
「辛いだろうが、早く諦めて別の職に就きな。カルディナーレさんに辞めさせられたとなれば、王国中のどの香水工房を訪ねても断られるよ。お嬢ちゃんは若いんだから、新しい仕事にもすぐ慣れるさ」
「……でも……」
 
 それができるのであれば、王都中の工房を巡りなんてしない。
 四年もの間必死に積み重ねてきた努力を自らの手で崩して夢を諦めるなんて、できなかった。

(諦めたくなかったのに……、諦める道しか残されていないの?)
 
 初めは僅かながらも希望を抱いていたフレイヤだが、一件また一件と断られていく間に世間の厳しさを実感し、落ち込んでいった。
 何十件もある香水工房を片っ端から訪ね、最後の工房から出る頃には夜の帳が下りてしまった。

「どこも……ダメだった」
 
 フレイヤはのろのろと頭を上げて、空にぷかりと浮かぶ三日月を仰ぎ見る。
 手にしているリストをぎゅっと握りしめ、深く溜息をついた。断られた工房に横線を引いていたため、リストはすっかり真っ黒になっている。

「故郷に……帰るしかないんだね……」

 真っ黒になってしまったリストを見て溜息をつく。
 
「明日……帰ろう」
 
 ――もう調香師にはなれない。それにも関わらず王都に居続けると、やるせない思いが募るばかりだろう。これ以上傷つく前に、王都を離れた方がいい。
 
「……権力者なんて嫌い」

 積み上げてきた努力をたった一言で踏みにじられたフレイヤは、権力を振りかざすアベラルドと彼の妻を恨めしく思う。
 
 その時、フレイヤのお腹がぐうっと鳴った。
 どんな時でもお腹は空いてしまうもの。ましてや王都中の香水工房を訪ねて回るために昼食を抜いたフレイヤはお腹がペコペコだった。

「今夜は<気ままな妖精猫(ケット・シー)亭>へ行こうかな。王都を離れる前に、挨拶をしたいし……」
 
 <気ままな妖精猫(ケット・シー)亭>はフレイヤの行きつけのレストランだ。フレイヤが王都に出てきてすぐの頃に見つけた店で、居心地がいいからよく行っている。
 王都の平民区画にある隠れ家のような店で、仕事で上手く行かない時はそこへ行って、美味しいご飯を食べて自分を励ました。
 店主のパルミロ・サルダーリはフレイヤより十歳年上の気さくな男性で、彼を慕うリピーターが多い。面倒見のいい性格の彼は、フレイヤを自分の姪ように気にかけてくれている。
 
 フレイヤの足は、王都の平民区画へと向いた。