追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

 コルティノーヴィス香水工房の休憩室へ行くと、他の面々はすでに集まっており、お茶やカトラリーの準備をしてくれていた。
 その中でオルフェンだけは、椅子に座って本を読んでいる。
 
 シルヴェリオを意識してしまっていることを彼らに知られないよう、フレイヤは両手で頬をむにゅりと押して表情を整えた。
 
 気を取り直して、彼らに声をかける。

「お疲れ様です。準備してくださってありがとうございます」
 
 テーブルの上にある、箱から取り出されたリンゴのローズタルトを見たフレイヤは、思わず感嘆の息を零した。
 リンゴのローズタルトはホールケーキで、シルヴェリオが話してくれた通りとても美しい。
 タルト生地の上にバラの花を模した色鮮やかでつやつやした薄切りのリンゴが並んでおり、まるでバラの花束みたいなタルトだ。
 
「それではレンゾさん、お願いします」
「任せてください。綺麗に切りますね」 
 
 ケーキを切るのは、細やかな作業が得意なレンゾが担ってくれる。
 包丁を持つ彼の周りを妖精たちが飛んで応援しており、微笑ましい光景だ。
 
 部屋の中には、リンゴの甘酸っぱい香りや焼き立ての生地特有の甘い香りにアーモンドの香りが漂っており、心が満たされる。
 くんくんと鼻を動かして匂いを嗅ぎ続けていると、くすりと笑う声があちこちから聞こえてきた。
 辺りを見回すと、部屋にいる全員がこちらを見て笑っているのだ。

 気恥ずかしくなったので、コホンと空咳をして、甘い香りに夢中になっていたことを誤魔化した。
 
「レンゾさん、ケーキを切ってくれてありがとうございます。――さあ、できたてのうちに食べましょう!」

 そう言って促すと、シルヴェリオたちは口元に笑みの名残がありながらも、笑い声を止めて椅子に腰かける。

「いただきます!」

 個別の皿に取り分けてもらったリンゴのローズタルトにフォークを入れて、ひとかけらを頬張った。
 噛み締めると、つるりとしたナパージュ――ゼラチンと砂糖と水から作られたコーティング越しに、煮たリンゴの甘みと食感を感じる。
 生地にはアーモンドの芳ばしさやバターのコクがあり、リンゴの甘酸っぱさとを引き立てていておいしい。

 一口ずつ丁寧に味わって堪能していると、シルヴェリオがエレナに話しかけた。
 
「実は、新しい商品の販売方法のことでエレナさんに相談がある」
「どのような商品ですか?」
「今までは貴族を主な客層としていたから、今後は平民も手に取れる香水を展開していきたいと思っている。そうした二つの客層に販売する際の良い方法はあるだろうか?」
 
 シルヴェリオはさっそく、先ほど話していた内容をエレナに相談してくれている。
 二人の話を聞いたレンゾとアレッシアが小さく歓声を上げた。
 
「いいですね! 実は知り合いたちがうちの香水が気になっているけれど、貴族専用の店といった印象があって近づきがたいし、高級品だから買えそうにないと零していたんですよ。王都の平民たちにとって憧れの香水なんですよ」 
「私の友人たちも、気になっているけど近寄り難い印象があると言っていましたので、平民も買いやすくなると嬉しいです。それに、調香する香りの幅が広がってありがたいですね」
 
 これまでは貴族が好みそうな香りを調香していたが、平民に向けた香りを作るとなると、違った趣の香りを調香することができる。
 アレッシアの言う通り、調香師としては嬉しい試みだ。
 
 エレナはアレッシアとレンゾの反応を見て、微笑みを浮かべる。
 
「そうですね……これまでの常連客にとってより特別感のある対応をすれば、問題ないかと」
「特別感か。特別な客を個室に案内するようなことか?」
「はい、低価格帯商品が並んでいる場所で購入するのは抵抗があるでしょう。ですので、別館を建てて棲み分けするのです」
 
 別館の建築には多額の費用がかかるから、そう簡単に実現できはしないだろう。
 
 コルティノーヴィス香水工房は開業してまだ一年も経っていない。
 開業して間もないのに新しい建物を建てるのは、さすがに時期尚早な気がする。
 
(それなら、どうしたらいいのだろう?)
 
 建物を建てないとなると、まずは卸すことから始めるのはどうだろうか。
 そして、軌道に乗れば、店舗限定の香りを用意して、平民にも来てもらえるようにすればいい。
 
「わかった。店の建築に秀でた、腕の良い職人を探す」 

 そう考えていたのに、シルヴェリオはほぼ即答でエレナの提案を受け入れた。

 (えっ、いいの!?)

 あまりにもとんとん拍子で進むため驚いてしまい、リンゴのローズタルトを食べる手が止まってしまっている。
 明日には職人も決まってそうな勢いだ。
 
「ヴェーラ様に相談なさってはいかがでしょう? 商団に所属する商会を通せば、話しが早く進むはずです」
「そうだな。今日はこの後、屋敷に戻って姉上に話そう」
 
 コルティノーヴィス伯爵領の領主としても商団を率いる団長としても活躍しているヴェーラなら、きっと腕の良い職人をすぐに紹介してくれるに違いない。
 今日だけであっという間に夢に近づいたようで、胸がドキドキとし始めた。
 
 その時、微かだが工房の出入り口の扉を叩く音が聞こえてききた。
 自分の聞き間違いだろうかと思ったが、シルヴェリオたちも扉のある方に顔を向け始める。

「今、扉を叩く音が聞こえてきましたよね?」
 
 レンゾの言葉に、皆が頷く。
 そして、お互いに顔を見合わせた。
 
 休憩室の出入り口に近い席に座っているエレナが立ち上がる。
 
「こんな時間にお客様が来るなんて……いったいどうしたのかしら?」
「まさか、またイルム王国の王太子殿下たちなのでは……」

 レンゾの言葉に、その場に居た全員が沈黙する。
 イルム王国の王太子ことアーディルが突然訪問してきた時も、こうして閉店後にみんなでお茶をしていたことを思い出したのだ。

「まさか、またお忍びでここに?」
「さすがに、今度は正式に王太子としていらっしゃるのでは」

 思わず零した言葉に、アレッシアが自信のなさそうに答える。 

 エレナとレンゾが二人で様子を見に行くと、すぐに戻ってきた。
 二人の背後には、小柄で可憐な雰囲気の女性がいる。
 
 女性は蜂蜜濃い金色の髪と夕日のような色の目を持ち、年齢は十代の後半くらいに見えた。
 服装はブラウスに焦げ茶色のスカートといった簡素な組み合わせだ。
 
 「あ、あの……この工房に祝福の調香師と呼ばれる方がいると聞いて、王都まで来ました。いくらかかるのかわからなくて……この袋の中に入っているお金の額でできる範囲の香りを調香していただくことは、できますか?」

 女性は不安そうな顔で飴色の革袋を差し出してきた。