追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

 シルヴェリオに告白されてから、一週間が経った。
 本日の営業を終えたコルティノーヴィス香水工房の二階部分には明かりが灯っている。
 そこではフレイヤとアレッシアが自分の調香台(オルガン)でそれぞれの仕事をしているところだ。

 フレイヤは新しい香りの調香、アレッシアは彼女が調香した定番商品を生産している。
 
 束にした試香紙(ムエット)を動かして香りを嗅いでいたフレイヤだが、なにかに耐えるようにギュッと目を閉じると、そのまま調香台(オルガン)の上に突っ伏した。

「うぅ……っ、集中できない……」 
 
 どうしても脳裏に浮かんでしまうのは、舞踏会の日にシルヴェリオから告白された時のこと。
 次第に近づいてくる彼の眉目秀麗な顔や、自分を見つめてくる深い青色の瞳。
 そして、自分の髪を恭しく手で掬い、あの形が整った唇で触れていた彼の姿を思い浮かべては、胸の中で様々な感情が暴れ出してしまう。

 シルヴェリオへの愛や、彼もまた自分を愛してくれている喜び。
 平民の自分がシルヴェリオと結ばれてはいけないと抑止する気持ちに、彼と結ばれないことへの絶望。
 そして、彼への想いを諦めることへの葛藤――。

 あの夜から、ふとした時に思い出してしまっては、悩んでいるのだ。
 
 そのようなこともあり、シルヴェリオとの接し方が分からずギクシャクしているのだが、シルヴェリオは以前と変わらない態度で接してくる。
 そんな彼を見る度に拍子抜けした。
 
 まるで、あの告白はなかったかのように、いつも通りなのだ。
 もしかすると、あの告白は現実で怒ったことではなく、自分にとって都合の良い夢だったのではないかと思ってしまう。
 
「とにかく、新しい香りを調香するために集中しないと……!」 

 深呼吸をすると、再び手に持っている試香紙(ムエット)を顔に近づけて香りを嗅ぐ。
 
 今回調香している香りは特注品ではなく、コルティノーヴィス香水工房の定番商品として発売するための香りだ。
 とはいえ、これからシルヴェリオに提案するために調香している香りであるため、実際に店頭にならぶかどうかは未定だった。

 これはあくまで、フレイヤがコルティノーヴィス香水工房で実現したいと密かに思っていることを実現するために準備しているもの。

「いい香りだけど……本当はリリーの香りを入れたいなぁ。でも、原価を安くするには使えないよね」

 リリーとはユリの花のことだ。
 精油の抽出方法が複雑で手間暇がかかるうえに、得られるのはごく少量。そのため、精油自体の値段が高い。香水に使うと、原価が上がってしまう。
 フレイヤの密かな夢のためには、香水の値段が上がってはいけないのだ。

 う~んと唸っていると、調香室の扉が開く。
 すると、焼き立てのお菓子特有の甘い香りがした。
 
 香りに釣られて振り返ると、魔導士団の制服を着たシルヴェリオが手に真っ白な紙箱を持って立っている。
 その紙箱から香りがした。
 
 大好きな甘い香りを肺いっぱいに吸い込もうとして息を吸いこんだ時、シルヴェリオと目が合ってしまい、心臓が変な音を立てる。
 
「二人とも、お疲れ様。新しくできた店の菓子を買ってきたのだが、休憩室で食べるのはどうだろうか?」 
「新たなお菓子……!」 

 お菓子という言葉に反応してしまい、意識がそちらに向く。
 未知のお菓子へのときめきが、シルヴェリオへのときめきよりも少しだけ大きくなった。
 
「リンゴのローズタルトだ。薄く切ったリンゴをバラに見立てたケーキで、美しい見た目のケーキだった。一階にいる二人には既に声をかけたのだが、アレッシアさんもどうだ?」
「お言葉に甘えて、いただきます。休憩室へ行って、お茶の準備をしてきますね」 

 そう言い、アレッシアは調香室から出ていってしまった。
 急に、シルヴェリオと二人きりになってしまう。
 
 お菓子の誘惑はあっという間に効かなくなってしまい、ドキドキと心臓が早く打ち鳴らし始めた。
 
「新たな特注品の依頼があったのか?」
「いえ、実はシルヴェリオ様に提案しようと思って、新しい香りを調香していたところなんです」

 シルヴェリオはフレイヤが手に持っている試香紙(ムエット)に興味津々で、目が釘付けだ。
 
「そうだったのか。今その話を聞かせてもらえるか?」 
「かしこまりました。こちらは平民向けの香水です。コルティノーヴィス香水工房の主なお客様である貴族のお客様に認めていただけるのは嬉しいのですが、私は自分が調香した香りで多くの人を幸せにできたらと思っていますので、できれば平民のお客様にも気軽に来店してもらえるようにしたいと思っていまして……」
「たしかに、今のコルティノーヴィス香水工房の香水は貴族を主な客層として設定しているから、訪問客は貴族か裕福な平民に限られているな」 

 シルヴェリオは腕を組んだ片手を顎に添えると、目を伏せて思案する。
 難色を示す様子はなくて安心した。

 実を言うと、平民への販売には乗り気でなかったらどうしようと、心配していたのだ。
 
「平民でも購入しやすいように価格を抑えるつもりですので、高価な精油を使わない香りを調香していきます」 
「なるほど、それで難しい顔をしていたのか。完成した香りが楽しみだ。販売方法についてはエレナさんに相談してみよう。これまでの経験をもとに、良い方法を教えてくれるかもしれない」

 シルヴェリオの中では平民への販売が既に決定事項のようだ。
 まさかここまですんなりと事が進むとは思ってもみなかった。

 驚きと安堵が入り混じった気持ちでいると、ふとシルヴェリオから視線を感じる。
 顔を上げると、シルヴェリオが深い青色の瞳を蕩けさせて自分を見つめてきていたため――思わず息を呑んだ。

 その様子を見たシルヴェリオは、ついと目を逸らす。

「すまない。今日もフレイさんの姿を見れて、あまりにも嬉しくて表情が緩んでいたかもしれない。告白してからも以前の通りに接しようと気をつけていたのだが……忘れてくれ」 
「――っ」

 唇をキュッと引き結び、心の中で悲鳴を上げる。

(不意打ちなんて卑怯だよ~っ)

 これまで何事もなかったかのように接してきていたのは、フレイヤのために意識してそうしてくれていたのだと知らされると、そんな彼の優しさに一層心が惹かれる。

(告白されたのは、夢ではなかったんだ……)  

 その事実を突きつけられてしまい、内心悶えるのであった。