追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

 翌朝、自宅に帰ったフレイヤを、オルフェンが出迎えてくれた。
 オルフェンは本を読んでいた途中だったようで、片手にぶ厚い本を抱えている。
 
『おかえり~。舞踏会はどうだった?』

 コテンと首を傾げて尋ねてくるオルフェンを見ると、日常に戻ってきたことを実感して安堵する。
 
「なんとか終わったよ。お客様たちは香りに好意的な意見をくださったし、ダンスは誰の足も踏まずに踊れたし……」
『じゃあ、どうしてそんなに悲しそうな顔をしているの?』

 ずいと近づいてきた薄荷色の目が顔を覗き込んでくるので、咄嗟に両手で隠した。
 まるで、悪さをしでかしたことを親に隠そうとする子どものようだ、と我ながら思う。

 幼稚な仕草だとわかっていても、止められなかった。
 オルフェンの真っ直ぐな眼差しに見つめられると、なにもかも見透かされてしまいそうで不安になるのだ。
 
 他者に恋心を知られることが怖い。
 きっと、昔から恋心を隠してきた癖で、知られることを恐れるようになったのだろう。
 
「少し疲れたから、そんな顔に見えるだけだよ」 
『嘘だね。フレイヤの親友として近くで過ごしてきから、疲れているときとそうではないときの区別くらいつくよ』
「……っ」 
  
 急に体がふわりと浮く。
 驚いて顔から手を離すと視界が開け、自分が浮遊魔法をかけられた状態で居間へと連行されていることに気づいた。

 あっという間に居間にあるソファの上に降ろされ、隣にオルフェンが腰かける。
 彼が指先を一振りするだけで目の前にティーカップとソーサーに小皿が二人分現れた。
 どちらもこの家で使っているもので、魔法で台所からここまで瞬間移動させたようだ。

『それで、本当はなにがあったの?』
 
 オルフェンはティーポットや茶葉も魔法で移動させながら、また尋ねてくる。
 正直に答えるまで逃がしてくれなさそうだ。

 フレイヤは心の中で呻いた。
 嘘をついたとしても、賢いオルフェンにはすぐに見破られてしまうだろう。
 それに、当たり障りのない回答をしたところで、納得してくれないはずだ。

 このようなとき、口下手な自分を恨めしく思う。
 すっかり八方塞がりとなってしまい、観念して打ち明けることにした。
 
「シルヴェリオ様に告白されたの。それで、頭が混乱しているだけだよ。だって、私なんかを好きになるなんて、思ってもみなかったから」
『へぇー、意外。慎重に外堀を埋めていくと思っていたのに、もう告白したんだ』
「えっ、オルフェンはシルヴェリオ様の気持ちに気づいていたの?」
『たぶん、知らなかったのはフレイヤだけなんじゃない? 随分とあからさまに好意を見せていたから、他の人も気づいているはずだよ』
「そ、そうなの……?」
『だって、おかしいでしょ。貴族で、冷徹なんて言われているシルヴェリオが自らフレイヤのためにお菓子を買いに行ったり、探したりするなんて。もしも相手がフレイヤじゃなかったら、使用人に言いつけて適当に買って届けさせているよ。それに、いつもは仏頂面のシルヴェリオが、フレイヤを見るときだけ表情が柔らかくなっているんだよ』

 言われてみると、たしかにおかしい。
 貴族とは、目下のものを使うのだ。
 いくら雇用上の契約だからといって、貴族が部下に支給するための菓子を自ら買ってくるなんて、貴族らしくない。
 
 彼と二度目に会った時にはお菓子を貰っていたから、特に気に留めていなかった。
 あの時の延長線上にある事だと思っていたのだ。

(私はそう思っていたけれど、シルヴェリオ様にとっては違っていたの? もしそうなら、いつから私のことが好きになったの?)
  
 目の前にあるティーカップにお茶が注がれる。
 琥珀色の水面に、眉尻を下げて情けない表情をしている自分の顔が映った。 
 
『シルヴェリオにはなんと答えたの?』
「まだ返事をしていないの。シルヴェリオ様は、待ってくださるって言ってくれたから……」 
 
 本当は、困惑しているせいで考えがまとまらず、返事ができる状態ではなかったから言えないままだった。

 待ってもらっているとはいえ、いつかは返事をしなければならない。
 そのためにも、自分の気持ちに決着をつける必要がある。
 
『ふ~ん。フレイヤは、シルヴェリオ様のことが好きなの?』
「……っ」

 あまりにも率直に尋ねられたので面食らってしまう。
 その動揺した姿を見たオルフェンに想いを悟られてしまったような気がしたので、黙って頷いた。

『じゃあ、両想いだから付き合えばいいんじゃないの? 悩む必要なんてないじゃん』
「だ、だって、私は平民なんだよ? シルヴェリオ様には釣り合わないよ」 
『そんなことはないよ。今までに身分の差を乗り越えた人たちがいるのだから、平民と貴族は絶対に結ばれないというわけではないでしょ』
「そう……だけど、私もそうなれるとは思えないし……。たとえ身分差がないとしても、シルヴェリオ様に相応しい人ではないから身を引くべきだと思うの」
『もー、なんでそうなるの?』
 
 話を聞いてくれていたオルフェンが、体中の酸素を空っぽにしそうなほど長く深いため息を吐いた。
 
『これは、身分の問題ではなく、フレイヤ自身の問題だね。フレイヤは、自分が幸せになることに躊躇しているんだよ』
「そんなつもりは、ないのだけれど……」
 
 オルフェンの意外な一言に、思わず首を傾げた。
 だれだって、わざわざ不幸になりたがらないだろう。
  
『知ってる? 異国の研究で、魚が入っている器の中にガラスの仕切りを入れといったものがあるんだ』

 仕切りを視認できない魚は、仕切りにぶつかるため、ぶつからない範囲だけを泳ぐようになる。
 見えない仕切りが取り除かれても、魚の意識の根底に存在し続けてしまう。
 だから、たとえ仕切りを取り除いても、無いはずの仕切りを恐れた魚は狭い場所でしか泳げなくなるのだ。
  
『人間も同じだよ。自分で壁を作ったり、限界を決めてしまって、得られたはずの機会を逃す人がいる。僕はね、フレイヤには後悔してほしくないんだ。シルヴェリオが自分以外の誰かを恋人にして、結婚したとしても、後悔せずにいられる?』
「それは……」

 いつものように自分の想いに蓋をして、「大丈夫」と答えたかったのに、喉の辺りで言葉が詰まって言えなかった。

 シルヴェリオが伯爵令嬢と話していた光景と、その時に感じた胸の痛みが蘇る。
 この先、彼に自分以外の愛する人ができたとき、何事もなかったように振舞えるだろうか。
 
『取り返しがつかなくなってから後悔すると、この先もずっと苦しむことになるよ。カリオの死を知って落ち込んだ僕を見たから、わかるでしょ? 後悔してからでは遅いんだよ』

 森の奥深くにある彼の小屋の中で、大粒の涙を零していたオルフェンのことを思い出す。
 その後もオルフェンは、コルティノーヴィス伯爵領の領都ロードンにある祖父の墓参りをしたり、彼の遺品を見ては目に涙を浮かべていた。
 
 答えられないまま俯くと、手元にバラの花が落ちてくる。
 昨日シルヴェリオが髪飾りのためにくれた花は日が昇っても萎れず綺麗なままだったので、今朝身支度をしてくれたコルティノーヴィス伯爵家の使用人が髪に差してくれたものだ。

 そのバラを手に取り、顔を近づける。
 ムスクのように甘く濃厚だけど、スパイシーで清涼感も持ち合わせた複雑な香りがした。

 シルヴェリオにとって思い入れのある花。
 それを髪につけてくれたときに、鏡越しに見た彼の真剣な眼差しや、柔らかく眇めた目を思い出すと、胸が締め付けられる。
 
「シルヴェリオ様……」

 彼を愛しているのに、素直に彼の気持ちを受けとめられない。
 彼の想いに応える踏ん張りもつかず、想いを完全に断ち切ることもできず、ただ不安と葛藤の中を揺蕩っている。
 
 バラの花を持つ手を、オルフェンが両手で包み込んできた。
 その時、彼のために調香した香水のベルガモットや、月の雫草の柔らかな甘い香りに包まれる。

『僕の大切な親友。そして、同じく僕の親友のカリオの孫であるフレイヤには、幸せになってほしい。どうか、起きるかもわからない未来への恐怖で自分の気持ちに蓋をしないで。フレイヤが望む道をあるくなら、僕も周りの人も、絶対にフレイヤを助けるよ』 
「オルフェン……。ありがとう。だけど、私、どうしたらいいのかわからない」 
 
 自分が情けなくなり、涙が滲む。
 輪郭がぼやけた世界の中で、シルヴェリオがくれたバラの花の鮮やかな赤色が、より一層鮮明に映った。