テーブルの上をじっと見つめていると、不意に『とある魔導士の至宝』の香りが強くなった。
「緊張しているのか?」
顔を上げると、シルヴェリオがこちらを見ている。
投票の結果が気になるあまりテーブルに齧りついていた自分を見られていたのではないかと思うと、少し気恥ずかしい。
「はい、どの香りが選ばれるのか、とても気になっています」
「たしかに、気になるところだな。フレイさんは、どの香りが選ばれてほしいと思う?」
「どの香りも同じくらい思い入れがあるので、選べないですね。……ただ、商品化はできなくても、誰かの心に残ってくれたらいいなと思っているんです」
一票でもいいから、選ばれなかった香りたちにも票が入ってくれたらいい。
自分が調香した全ての香りが誰かに愛されることを願うのは、贅沢なことかもしれない。
そう思っていても、どうしても願ってしまう。
「どの香りも、誰かにとって好ましい香りであるはずだ。フレイさんは調香する時、香水を使う者の事を想って作るだろう。その想いは確かに相手に届いている」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、安心します」
冷徹と称されているシルヴェリオは、気休めなことは言わない。
だから、今の言葉も本心から言ってくれているのだろうとわかって嬉しい。
「全員の投票が終わったようだから、今からバラの数を数える。――始めてくれ」
ヴェーラの言葉を合図に、それぞれの花瓶の前に使用人が一人ずつ立ち、バラの本数を数え始めた。
顔を動かし、改めてテーブルを見ると、どの花瓶にもバラが入っているので、密かに喜びを噛み締めた。
香りの人気は二分しており、『午後の休息』と『琥珀の雫』に同等のバラが投じられているように見える。
どちらが選ばれるのか、まだわからない状態だ。
票の集計では、使用人たちがバラを五本ずつの束にしてリボンで結び、それをテーブルの上に置いてゆく。
初めに、『甘いひと口』の前に置かれていた花瓶の中にあった花が全て出された。
残りの二つの花瓶の前に立つ使用人たちは、黙々と花瓶から花を取り出してはリボンで結び、テーブルの上に並べている。
「どちらの香りになるのかしら?」
「わたくし、『琥珀の雫』の香りがとても気に入ったから、ぜひ商品化してほしいわ」
「『甘いひと口』の香りが好きなのに、惜しくも票がたりなかったわね。どうにかして販売してくれないかしら?」
香りを気に入ってくれた招待客たちの会話が聞こえてきた。
票を入れてくれることも嬉しいが、やはり直に感想を聴けると嬉しい。口元がにんまりしそうになったため、唇に力を入れて引き締める。
隣から向けられる視線に気づいて振り向くと、シルヴェリオが深い青色の目を細めて、嬉しそうな表情を浮かべていた。
そんなにも優しい表情を向けられると、仕事中だというのに、心の中に潜むシルヴェリオへの想いが騒ぎ始めてしまう。
副工房長として参加している、舞踏会の途中だというのに――。
「やはり、フレイさんが調香する香りはどれも好まれる香りだ」
「シルヴェリオが言ってくれた通りでした。心配していましたが、どの香りも気に入っていただけて、とても嬉しいです」
このままだといけないと思い、握り合わせた自分の手元に視線を落として答える。
顔が赤くなっていないか、心配だ。
誤魔化すようにテーブルへと視線を戻すと、ちょうど『午後の休息』の前に立つ使用人がバラを一輪、手に持って掲げたところだった。
その隣、『琥珀の雫』の前にいる使用人は、バラの花を三輪、束にして持っている。
集計が終わったのだ。
「販売する香りは、『琥珀の雫』で決まりだな」
ヴェーラが発表すると、招待客たちが一斉にこちらを向いて拍手してくれる。まさか拍手で祝ってくれるなんて想定していない事態だったので、戸惑いながらも微笑みを取り繕い、礼をとった。
「協力してくれて感謝する。礼を用意しているから、帰りに受け取ってくれ。そして、この会場にいるみんなには『琥珀の雫』の香りをつけた手袋を優先的に販売するから、商品が準備ができたら報せを送る。――それでは、引き続き舞踏会を楽しんでくれ」
招待客たちが歓声を上げる。
そうして、会場が盛り上がった状態で、また音楽が流れ始めた。
今度は、ダンスを踊る者と、ソファで寛いで歓談している者たちに分かれている。中には、テーブルの上にある手袋をまた試着している者もいた。
おそらく、購入を検討しているのだろう。
ひと仕事を終えてホッと胸をなでおろしていると、華奢なシャンパングラスを手にしたヴェーラに声をかけられる。
片方のグラスには細い泡を立ち昇らせているの白ワインが、もう片方は赤色の飲み物だ。
「お疲れ様。香りを説明してくれてありがとう。イチゴジュースを用意させたから、喉を潤すといい」
「ありがとうございます」
受け取り、グラスの縁に唇をつけて少し口に含む。
甘酸っぱいイチゴの味が口の中いっぱいに広がり、幸せな気持ちになった。
ひと仕事終えたあとということもあってか、とても美味しく感じる。
「残りの香りについては他の商会や商団に売るかどうかはルアルディ殿の自由だが、もしよかったらうちが購入してもいいだろうか? 他の革製品を仕入れた際に、ぜひともルアルディ殿が作ってくれた香りを纏わせて売りたい」
「そう言ってくださって嬉しいです。ただ、革の種類や鞣し方によって香りが変わると思いますので、商品ごとに香りのレシピを調整しますね」
「そこまでしてくれるとはありがたい。シルヴェリオに言って、調整時の料金も追加してもらおう。手間をかけさせるが、よろしく頼む」
調整の金額を負担すると自ら言ってくれるなんて、なんと頼もしいのだろう。
実を言うと、香りの調整を何度も依頼してきては調整費用を支払おうとしない依頼者もいる。
カルディナーレ香水工房で働いていた際に、そのようなトラブルがよく起きていた。
彼らにとって、調整は些細な作業なのだ。
しかし、ヴェーラは調整する際の手間を考えてくれている。
そんな彼女に、一層好感を抱いた。
ふと、視界にシルヴェリオが映りこむ。すると、美しい女性がシルヴェリオに話しかけた。
二人の会話は聞こえないが、女性は楽しそうに笑っている。
その様子を見ていると、紙の上に黒色のインクを垂らしたときのように、黒い感情が胸の中に広がってゆくのを感じた。
彼女はたしか、舞踏会の始めに挨拶を交わした際に、伯爵家の令嬢だと名乗ってくれたと記憶している。
並ぶ二人は絵になっている。貴族同士なのだから、二人が惹かれ合えば、いずれ結婚するかもしれない。
急に、シルヴェリオが遠い存在になったような気がした。
もとより身分差があるから遠い存在であるのに、仕事でほぼ毎日関わってきたから、感覚が麻痺してしまったのだ。
(シルヴェリオ様は、あの女性をどう思っているのだろう?)
未婚の貴族は、舞踏会で婚約者を探す。
もしかすると、二人は今日の舞踏会がきっかけで惹かれ合うのではないだろうか。
考えてしまうだけで、胸がジクジクと痛む。
美しく、そしてシルヴェリオと同じ貴族である彼女が羨ましい。
心の中に浮かんだ言葉を反芻して、自分が嫉妬を抱いていることに気づいた。
誤魔化すために、イチゴジュースが入ったグラスに鼻を近づけて香りを嗅ぐ。
しかし、甘い香りを嗅いでも、少しも心が晴れなかった。
「緊張しているのか?」
顔を上げると、シルヴェリオがこちらを見ている。
投票の結果が気になるあまりテーブルに齧りついていた自分を見られていたのではないかと思うと、少し気恥ずかしい。
「はい、どの香りが選ばれるのか、とても気になっています」
「たしかに、気になるところだな。フレイさんは、どの香りが選ばれてほしいと思う?」
「どの香りも同じくらい思い入れがあるので、選べないですね。……ただ、商品化はできなくても、誰かの心に残ってくれたらいいなと思っているんです」
一票でもいいから、選ばれなかった香りたちにも票が入ってくれたらいい。
自分が調香した全ての香りが誰かに愛されることを願うのは、贅沢なことかもしれない。
そう思っていても、どうしても願ってしまう。
「どの香りも、誰かにとって好ましい香りであるはずだ。フレイさんは調香する時、香水を使う者の事を想って作るだろう。その想いは確かに相手に届いている」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、安心します」
冷徹と称されているシルヴェリオは、気休めなことは言わない。
だから、今の言葉も本心から言ってくれているのだろうとわかって嬉しい。
「全員の投票が終わったようだから、今からバラの数を数える。――始めてくれ」
ヴェーラの言葉を合図に、それぞれの花瓶の前に使用人が一人ずつ立ち、バラの本数を数え始めた。
顔を動かし、改めてテーブルを見ると、どの花瓶にもバラが入っているので、密かに喜びを噛み締めた。
香りの人気は二分しており、『午後の休息』と『琥珀の雫』に同等のバラが投じられているように見える。
どちらが選ばれるのか、まだわからない状態だ。
票の集計では、使用人たちがバラを五本ずつの束にしてリボンで結び、それをテーブルの上に置いてゆく。
初めに、『甘いひと口』の前に置かれていた花瓶の中にあった花が全て出された。
残りの二つの花瓶の前に立つ使用人たちは、黙々と花瓶から花を取り出してはリボンで結び、テーブルの上に並べている。
「どちらの香りになるのかしら?」
「わたくし、『琥珀の雫』の香りがとても気に入ったから、ぜひ商品化してほしいわ」
「『甘いひと口』の香りが好きなのに、惜しくも票がたりなかったわね。どうにかして販売してくれないかしら?」
香りを気に入ってくれた招待客たちの会話が聞こえてきた。
票を入れてくれることも嬉しいが、やはり直に感想を聴けると嬉しい。口元がにんまりしそうになったため、唇に力を入れて引き締める。
隣から向けられる視線に気づいて振り向くと、シルヴェリオが深い青色の目を細めて、嬉しそうな表情を浮かべていた。
そんなにも優しい表情を向けられると、仕事中だというのに、心の中に潜むシルヴェリオへの想いが騒ぎ始めてしまう。
副工房長として参加している、舞踏会の途中だというのに――。
「やはり、フレイさんが調香する香りはどれも好まれる香りだ」
「シルヴェリオが言ってくれた通りでした。心配していましたが、どの香りも気に入っていただけて、とても嬉しいです」
このままだといけないと思い、握り合わせた自分の手元に視線を落として答える。
顔が赤くなっていないか、心配だ。
誤魔化すようにテーブルへと視線を戻すと、ちょうど『午後の休息』の前に立つ使用人がバラを一輪、手に持って掲げたところだった。
その隣、『琥珀の雫』の前にいる使用人は、バラの花を三輪、束にして持っている。
集計が終わったのだ。
「販売する香りは、『琥珀の雫』で決まりだな」
ヴェーラが発表すると、招待客たちが一斉にこちらを向いて拍手してくれる。まさか拍手で祝ってくれるなんて想定していない事態だったので、戸惑いながらも微笑みを取り繕い、礼をとった。
「協力してくれて感謝する。礼を用意しているから、帰りに受け取ってくれ。そして、この会場にいるみんなには『琥珀の雫』の香りをつけた手袋を優先的に販売するから、商品が準備ができたら報せを送る。――それでは、引き続き舞踏会を楽しんでくれ」
招待客たちが歓声を上げる。
そうして、会場が盛り上がった状態で、また音楽が流れ始めた。
今度は、ダンスを踊る者と、ソファで寛いで歓談している者たちに分かれている。中には、テーブルの上にある手袋をまた試着している者もいた。
おそらく、購入を検討しているのだろう。
ひと仕事を終えてホッと胸をなでおろしていると、華奢なシャンパングラスを手にしたヴェーラに声をかけられる。
片方のグラスには細い泡を立ち昇らせているの白ワインが、もう片方は赤色の飲み物だ。
「お疲れ様。香りを説明してくれてありがとう。イチゴジュースを用意させたから、喉を潤すといい」
「ありがとうございます」
受け取り、グラスの縁に唇をつけて少し口に含む。
甘酸っぱいイチゴの味が口の中いっぱいに広がり、幸せな気持ちになった。
ひと仕事終えたあとということもあってか、とても美味しく感じる。
「残りの香りについては他の商会や商団に売るかどうかはルアルディ殿の自由だが、もしよかったらうちが購入してもいいだろうか? 他の革製品を仕入れた際に、ぜひともルアルディ殿が作ってくれた香りを纏わせて売りたい」
「そう言ってくださって嬉しいです。ただ、革の種類や鞣し方によって香りが変わると思いますので、商品ごとに香りのレシピを調整しますね」
「そこまでしてくれるとはありがたい。シルヴェリオに言って、調整時の料金も追加してもらおう。手間をかけさせるが、よろしく頼む」
調整の金額を負担すると自ら言ってくれるなんて、なんと頼もしいのだろう。
実を言うと、香りの調整を何度も依頼してきては調整費用を支払おうとしない依頼者もいる。
カルディナーレ香水工房で働いていた際に、そのようなトラブルがよく起きていた。
彼らにとって、調整は些細な作業なのだ。
しかし、ヴェーラは調整する際の手間を考えてくれている。
そんな彼女に、一層好感を抱いた。
ふと、視界にシルヴェリオが映りこむ。すると、美しい女性がシルヴェリオに話しかけた。
二人の会話は聞こえないが、女性は楽しそうに笑っている。
その様子を見ていると、紙の上に黒色のインクを垂らしたときのように、黒い感情が胸の中に広がってゆくのを感じた。
彼女はたしか、舞踏会の始めに挨拶を交わした際に、伯爵家の令嬢だと名乗ってくれたと記憶している。
並ぶ二人は絵になっている。貴族同士なのだから、二人が惹かれ合えば、いずれ結婚するかもしれない。
急に、シルヴェリオが遠い存在になったような気がした。
もとより身分差があるから遠い存在であるのに、仕事でほぼ毎日関わってきたから、感覚が麻痺してしまったのだ。
(シルヴェリオ様は、あの女性をどう思っているのだろう?)
未婚の貴族は、舞踏会で婚約者を探す。
もしかすると、二人は今日の舞踏会がきっかけで惹かれ合うのではないだろうか。
考えてしまうだけで、胸がジクジクと痛む。
美しく、そしてシルヴェリオと同じ貴族である彼女が羨ましい。
心の中に浮かんだ言葉を反芻して、自分が嫉妬を抱いていることに気づいた。
誤魔化すために、イチゴジュースが入ったグラスに鼻を近づけて香りを嗅ぐ。
しかし、甘い香りを嗅いでも、少しも心が晴れなかった。


