曲が終わると、ネストレが素早い身のこなしでフレイヤの手を取って引き寄せてくる。
微かだが、周りからどよめく声が聞こえたような気がした。
「踊り終わったらルアルディ殿をダンスフロアから連れ出すようにシルから頼まれているんだ。一緒に出よう」
「ありがとうございます。……ですが、第二王子殿下がダンスを続けられなくなりますので、一人で戻りますよ」
「気遣ってくれてありがとう。実のところ、私も抜け出したかったからありがたいんだ。誰かとダンスを踊ると、政治的な事情が絡むことがあるから、なるべく避けているんだ」
ということは、平民の自分となら政治的なしがらみがないから踊れる、ということなのだろう。
社交が大切とされる王侯貴族の世界で踊れる相手が限られているなんて、王族は大変だ。
「だけど、ルアルディ殿とはもう少し交流したいと思っていたから、一緒に踊ってくれて嬉しかったよ。ありがとう」
「こ、こちらこそ、お誘いくださってありがとうございました」
きっとただの社交辞令だろうが、畏れ多い言葉をかけられて、しどろもどろになる。
平民と関わりたいなんて、不思議な人だ。
「それに、私がルアルディ殿と踊れば、他の者はそう簡単に近づけないだろうからね。ルアルディ殿を利用しようとする貴族らを牽制するためにも、二人で踊っている姿を貴族たちに見せておきたかったんだ」
「なぜ、そこまでしてくださるのですか?」
「ルアルディ殿は私の恩人だし、シルの大切な人だからね」
「た、大切……」
思わず反応してしまい、はたと気付く。
きっと、〝大切な部下〟ということだろう。
気恥ずかしくなってネストレから視線を外すと、周りの男女からの視線が集まっていることに気づく。
第二王子が隣にいるから注目されても仕方がないだろうが、心がソワソワとして落ち着かない。
一方で、ネストレは貴族の女性たちからチラチラと視線を送られているが、まったく気に留めていない様子だ。
王族として生まれ育ったのであれば、幼い頃から注目されているから、慣れているのかもしれない。
そうしてダンスフロアから抜けると、シルヴェリオが迎えにきてくれた。
「ネストレ殿下、フレイさんをエスコートしてくれてありがとうございます」
「礼には及ばないよ。――さて、向こうにあるソファで休憩しようか」
ネストレが指差す先、広間の隅には、空いているソファが二つほど並んでいる。
片方にはネストレが、もう片方にはフレイヤとシルヴェリオが腰をかけ、使用人が持ってきてくれた飲み物で喉を潤す。
シルヴェリオとネストレは白ワインを飲んでいるが、フレイヤはオレンジジュースを飲む。
お酒を飲めないわけではないが、嗅覚に支障が出ないようにお酒を飲まないようにしているのだ。
冷たいジュースを飲むと、体中に沁み渡るような気がした。
ほうっと息を吐いていると、シルヴェリオが話しかけてくる。
「お疲れ様。踏まずに踊れたようだな」
「はい、お二人がリードしてくれたので、なんとか……」
「なにを言っているんだ。フレイさんの努力の賜物だ」
王族の足を踏まないように一生懸命練習したが、褒めてもらえると嬉しい。
ひと仕事終えた安心感もあり、穏やかな気持ちでダンスを眺めた。
一通りのダンスが終わると、使用人たちが広間に入ってくる。
商品と空っぽの花瓶を等間隔に置いた長テーブルを運ぶ者、商品を入れた箱を持っている者、バラを持つ者――。
彼らはダンスフロアの真ん中に長テーブルを置くと、女性の招待客らにバラを一輪ずつ配る。
急に始まったため、招待客たちは驚き半分、楽しみ半分といった様子で成り行きを見守っている。
すると、長テーブルの前に立つヴェーラがこちらを向いて合図を送ってきたので、フレイヤはシルヴェリオと一緒にヴェーラのもとへと移動した。
「実は、新商品について女性たちからの意見を聞かせてほしくてこの場を設けた。コルティノーヴィス商団はコルティノーヴィス香水工房と共同開発した商品を近々発売する予定だ。今回は舞踏会用の手袋の販売を検討している。そこで、手袋につける香りを選んでほしい。それぞれの手袋の前に花瓶を置いているから、そこに手元にある花を入れて投票してくれ。――ルアルディ殿、説明を頼む」
「かしこまりました」
返事をして、背筋を伸ばす。
もとより人前に立つことが苦手なうえに、貴族を相手に話すから、とても緊張している。
しかし、ここが踏ん張りどころだと自分に言い聞かせ、胸を張った。
コルティノーヴィス香水工房の副工房長として、全力を尽くしたい。
「向かって左端の香りから説明します。こちらの香りの名前は『甘いひと口』です。甘い焼き菓子を彷彿とさせる香りに仕上げました」
言い終えると、使用人たちが『甘いひと口』の香りがついた手袋を女性たちに手渡す。
すぐに香りを確かめられるように、実物を用意していたのだ。
「甘い香りの中に、柑橘系の香りもあるわね」
「あまり甘すぎない香りなくていいわ」
女性たちからの反応が良いため、胸をなでおろす。
ある程度の批判は覚悟していたが、一生懸命作った香りであるため、褒めてもらえると嬉しい。
一歩だけ横に移動して、二つ目の香りが付けられた手袋の近くに立った。
二つ目は、甘い味つけのコーヒーをイメージした香り。バニラとシナモンの精油を合わせている。
「真ん中にある手袋の香りの名前は『午後の休息』です。こちらは昼下がりにカフェで飲む甘いコーヒーを連想する香りにしました」
説明に合わせて、使用人たちが二つ目の香りをつけた手袋を女性たちに配ってくれる。
二つの手袋を手にした女性たちは、匂いを比べるためか交互に香りを嗅いでいた。
真剣に選んでくれているようだ。
「先ほどよりもほろ苦さが増した香りね。私はこちらの方が好きだわ」
「シナモンのような香りもするわね」
「それにしても、コーヒーの香りを作り出すことができるなんて驚きだわ。いったい、どうしたらできるのかしら?」
香りに興味を持ってくれていることが嬉しく、思わずにっこりと微笑む。
好意的な反応を見ているおかげか、初めより緊張感が和らいだ。
「最後にご紹介するのは、『琥珀の雫』という名の香りです。こちらは庭園で飲む香り高い紅茶から着想を得て調香しました」
説明を終えると、また使用人たちが女性たちに新しい香りの手袋を配ってくれる。
女性たちは「待っていました」と言わんばかりに手を伸ばして手袋を受け取ってくれた。
「鼻を近づけると、少しだけ苦みのある香りがするね。革の臭いかしら?」
「本当だわ。だけど、それほど気にならないわね。やっぱり、コルティノーヴィス香水工房が作る香りは素敵だわ」
「手袋を脱いだあとも良い香りが手に残ってくれるからいいわね」
「どの香りも素敵だから、一つに選ぶなんて難しいわ」
女性たちは手袋の香りを交互に嗅いだり、実際に腕につけてみたりと、楽しそうに香りを比較している。
最終的には一つの香りが選ばれるが、他の香りも評価してもらえるのは喜ばしいことだ。
聞こえてくる話し声に耳を澄ませては、口元を綻ばせる。
「――さて、そろそろ投票を始めよう」
ヴェーラの掛け声に応じて、女性たちがテーブルの前に集まる。
迷いなく花を花瓶の中に入れている人もいれば、二つの花瓶の前を行ったり来たりして迷っている人もいる。
どの香りに決まるのか、全く想像できない。
フレイヤはドキドキしながら女性達の様子を見守った。
微かだが、周りからどよめく声が聞こえたような気がした。
「踊り終わったらルアルディ殿をダンスフロアから連れ出すようにシルから頼まれているんだ。一緒に出よう」
「ありがとうございます。……ですが、第二王子殿下がダンスを続けられなくなりますので、一人で戻りますよ」
「気遣ってくれてありがとう。実のところ、私も抜け出したかったからありがたいんだ。誰かとダンスを踊ると、政治的な事情が絡むことがあるから、なるべく避けているんだ」
ということは、平民の自分となら政治的なしがらみがないから踊れる、ということなのだろう。
社交が大切とされる王侯貴族の世界で踊れる相手が限られているなんて、王族は大変だ。
「だけど、ルアルディ殿とはもう少し交流したいと思っていたから、一緒に踊ってくれて嬉しかったよ。ありがとう」
「こ、こちらこそ、お誘いくださってありがとうございました」
きっとただの社交辞令だろうが、畏れ多い言葉をかけられて、しどろもどろになる。
平民と関わりたいなんて、不思議な人だ。
「それに、私がルアルディ殿と踊れば、他の者はそう簡単に近づけないだろうからね。ルアルディ殿を利用しようとする貴族らを牽制するためにも、二人で踊っている姿を貴族たちに見せておきたかったんだ」
「なぜ、そこまでしてくださるのですか?」
「ルアルディ殿は私の恩人だし、シルの大切な人だからね」
「た、大切……」
思わず反応してしまい、はたと気付く。
きっと、〝大切な部下〟ということだろう。
気恥ずかしくなってネストレから視線を外すと、周りの男女からの視線が集まっていることに気づく。
第二王子が隣にいるから注目されても仕方がないだろうが、心がソワソワとして落ち着かない。
一方で、ネストレは貴族の女性たちからチラチラと視線を送られているが、まったく気に留めていない様子だ。
王族として生まれ育ったのであれば、幼い頃から注目されているから、慣れているのかもしれない。
そうしてダンスフロアから抜けると、シルヴェリオが迎えにきてくれた。
「ネストレ殿下、フレイさんをエスコートしてくれてありがとうございます」
「礼には及ばないよ。――さて、向こうにあるソファで休憩しようか」
ネストレが指差す先、広間の隅には、空いているソファが二つほど並んでいる。
片方にはネストレが、もう片方にはフレイヤとシルヴェリオが腰をかけ、使用人が持ってきてくれた飲み物で喉を潤す。
シルヴェリオとネストレは白ワインを飲んでいるが、フレイヤはオレンジジュースを飲む。
お酒を飲めないわけではないが、嗅覚に支障が出ないようにお酒を飲まないようにしているのだ。
冷たいジュースを飲むと、体中に沁み渡るような気がした。
ほうっと息を吐いていると、シルヴェリオが話しかけてくる。
「お疲れ様。踏まずに踊れたようだな」
「はい、お二人がリードしてくれたので、なんとか……」
「なにを言っているんだ。フレイさんの努力の賜物だ」
王族の足を踏まないように一生懸命練習したが、褒めてもらえると嬉しい。
ひと仕事終えた安心感もあり、穏やかな気持ちでダンスを眺めた。
一通りのダンスが終わると、使用人たちが広間に入ってくる。
商品と空っぽの花瓶を等間隔に置いた長テーブルを運ぶ者、商品を入れた箱を持っている者、バラを持つ者――。
彼らはダンスフロアの真ん中に長テーブルを置くと、女性の招待客らにバラを一輪ずつ配る。
急に始まったため、招待客たちは驚き半分、楽しみ半分といった様子で成り行きを見守っている。
すると、長テーブルの前に立つヴェーラがこちらを向いて合図を送ってきたので、フレイヤはシルヴェリオと一緒にヴェーラのもとへと移動した。
「実は、新商品について女性たちからの意見を聞かせてほしくてこの場を設けた。コルティノーヴィス商団はコルティノーヴィス香水工房と共同開発した商品を近々発売する予定だ。今回は舞踏会用の手袋の販売を検討している。そこで、手袋につける香りを選んでほしい。それぞれの手袋の前に花瓶を置いているから、そこに手元にある花を入れて投票してくれ。――ルアルディ殿、説明を頼む」
「かしこまりました」
返事をして、背筋を伸ばす。
もとより人前に立つことが苦手なうえに、貴族を相手に話すから、とても緊張している。
しかし、ここが踏ん張りどころだと自分に言い聞かせ、胸を張った。
コルティノーヴィス香水工房の副工房長として、全力を尽くしたい。
「向かって左端の香りから説明します。こちらの香りの名前は『甘いひと口』です。甘い焼き菓子を彷彿とさせる香りに仕上げました」
言い終えると、使用人たちが『甘いひと口』の香りがついた手袋を女性たちに手渡す。
すぐに香りを確かめられるように、実物を用意していたのだ。
「甘い香りの中に、柑橘系の香りもあるわね」
「あまり甘すぎない香りなくていいわ」
女性たちからの反応が良いため、胸をなでおろす。
ある程度の批判は覚悟していたが、一生懸命作った香りであるため、褒めてもらえると嬉しい。
一歩だけ横に移動して、二つ目の香りが付けられた手袋の近くに立った。
二つ目は、甘い味つけのコーヒーをイメージした香り。バニラとシナモンの精油を合わせている。
「真ん中にある手袋の香りの名前は『午後の休息』です。こちらは昼下がりにカフェで飲む甘いコーヒーを連想する香りにしました」
説明に合わせて、使用人たちが二つ目の香りをつけた手袋を女性たちに配ってくれる。
二つの手袋を手にした女性たちは、匂いを比べるためか交互に香りを嗅いでいた。
真剣に選んでくれているようだ。
「先ほどよりもほろ苦さが増した香りね。私はこちらの方が好きだわ」
「シナモンのような香りもするわね」
「それにしても、コーヒーの香りを作り出すことができるなんて驚きだわ。いったい、どうしたらできるのかしら?」
香りに興味を持ってくれていることが嬉しく、思わずにっこりと微笑む。
好意的な反応を見ているおかげか、初めより緊張感が和らいだ。
「最後にご紹介するのは、『琥珀の雫』という名の香りです。こちらは庭園で飲む香り高い紅茶から着想を得て調香しました」
説明を終えると、また使用人たちが女性たちに新しい香りの手袋を配ってくれる。
女性たちは「待っていました」と言わんばかりに手を伸ばして手袋を受け取ってくれた。
「鼻を近づけると、少しだけ苦みのある香りがするね。革の臭いかしら?」
「本当だわ。だけど、それほど気にならないわね。やっぱり、コルティノーヴィス香水工房が作る香りは素敵だわ」
「手袋を脱いだあとも良い香りが手に残ってくれるからいいわね」
「どの香りも素敵だから、一つに選ぶなんて難しいわ」
女性たちは手袋の香りを交互に嗅いだり、実際に腕につけてみたりと、楽しそうに香りを比較している。
最終的には一つの香りが選ばれるが、他の香りも評価してもらえるのは喜ばしいことだ。
聞こえてくる話し声に耳を澄ませては、口元を綻ばせる。
「――さて、そろそろ投票を始めよう」
ヴェーラの掛け声に応じて、女性たちがテーブルの前に集まる。
迷いなく花を花瓶の中に入れている人もいれば、二つの花瓶の前を行ったり来たりして迷っている人もいる。
どの香りに決まるのか、全く想像できない。
フレイヤはドキドキしながら女性達の様子を見守った。


