コルティノーヴィス伯爵領を縦断する街道を走る馬車の中で、フレイヤとシルヴェリオは新しく建てる香水工房の打合せをしていた。

「――蒸留機と圧搾機、魔導保管庫に調合用のガラス製の容器か……他に必要な物はあるか?」
「ふ、ふぁい――」
「食べている最中に聞いて悪かった。飲み込んでから答えてくれ」

 フィナンシェを頬張ったばかりのフレイヤは、慌てて咀嚼して飲み込んだ。
 
 シルヴェリオは何を思ったのか、先ほどから次々と菓子を勧めてくるものだから休まず食べている。
 おかげで初めはシルヴェリオと二人きりになって気まずく思っていたフレイヤだが、彼から与えられる菓子を食べている間にさほど緊張しなくなった。

「……美味かったか?」
「はい、チョコレートがしっかりと染み込んでいて美味しいです。甘すぎないので食べやすいですよ!」
「なるほど。これはどうだ?」
 
 そう言い、シルヴェリオは返事を待っていたのにもかかわらず新しい菓子をフレイヤに勧める。今度はアーモンドパウダーを使った、ほろ苦い味と甘さが特徴的な焼き菓子だ。マカロンのような形をしており、中にはチョコレートが入っている。

「アマレッティですね! ローデンのアマレッティはふわっと柔らかいので、いくらでも食べれます!」
「気に入ったようでなによりだ」
 
 淡々と答えるシルヴェリオだが、フレイヤが食べる様子を眺めている眼差しはどことなく楽しそうだ。
 普段の彼を知る人物が見ると別人かと思ってしまうほど穏やかな表情を浮かべている。

(パルミロがフレイさんを気にかけていた理由がわかる気がする)
 
 シルヴェリオはアマレッティを食べるフレイヤを見つめ、自分でも知らぬ間に頬を緩めるのだった。
 食べっぷりが良く、幸せそうに頬張っている彼女を見ていると、一つまた一つと菓子を勧めたくなってしまう。
 
 フレイヤは初めこそ居心地が悪そうにしていたが、一つまた一つとシルヴェリオから受け取った菓子を食べている間に彼に慣れてきたようだ。今ではすっかり、緊張が解けた表情になっている。

(あまりにも幸せそうに食べるから、もっと食べさせたくなってしまうな)

 ふと、餌付けという単語が彼の脳裏を過ったが、気づかなかったことにした。淑女に対してそのようなことを考えては失礼だ。
 
「ここに色違いのアマレッティもある。……食べるか?」
「食べたいです!」

 フレイヤは若草色の目をきらきらと輝かせ、シルヴェリオの手元にあるバスケットを覗き込む。
 先ほどまでは彼と距離を取っていたというのに、随分と警戒心を解いたものだ。

(……やっぱり、あの時の仔犬に似ている)
 
 興味津々な表情で菓子の匂いを嗅いで味を当てようとするフレイヤを見ていると、シルヴェリオはどうしても、子どもの頃に出会った仔犬を思い出してしまう。
 
(そういえば、あの仔犬の毛の色とフレイさんの髪の色はどちらも同じ榛色だな)

 今のフレイヤは髪を下ろしており、彼女の動きに合わせてさらりと揺れる。
 その髪の動きに視線を奪われていることに気づき、視線をそっと外した。

(あの仔犬は元気にしているだろうか?)
 
 自分の手から菓子を食べたその仔犬にシルヴェリオはすっかり心を奪われ、拾って世話をしようと準備を進めていた。しかし偶然にもその仔犬が庭先でシルヴェリオの産みの母親と会ってしまい、彼女の命令によって仔犬は屋敷から追い出されてしまったのだ。
 
 小さな仔犬が大人たちに捕まえられて鳴いている様子を目の当たりにしたシルヴェリオは心を痛めたのだった。
 その日以来、シルヴェリオは動物や小鳥を見ても関心を示さないようにしてきた。自分と関わったせいで彼らが辛い思いをするのは耐えられないのだ。
 
(フレイさんは……絶対に守る)

 平民の立場は弱い。それなのに自分は、友人を助けるためだけのために彼女を巻き込んだ。
 第二王子の呪いを解く方法を探しているのは自分だけではない。貴族も平民も関係なく方法を探しているが、中には功績を立てて権力を手にしようとしている野心家もいる。フレイヤがそのような者に狙われて危害を加えられないか気掛かりだ。
 
 一方でフレイヤは、シルヴェリオの心配ごとなど知らずにナッツが入っているアマレッティを堪能していた。
 
「――はっ、お菓子に夢中になってしましました。香水工房に必要なものですが、香料の材料や作り手も必要です」
「なるほど……。作り手は求人を出すとして、問題は材料だな。カルディナーレ香水工房ではどこで買っていたんだ?」

 シルヴェリオの質問に、フレイヤは表情を硬くする。

「……セニーゼ商会です。エイレーネ王国にある香水工房はどこもセニーゼ商会から材料を調達しています」
「なるほど、たしか工房長のアベラルド・カルディナーレの妻はセニーゼ家の出身だったな」
「はい、ですので私がシルヴェリオ様の専属調香師だとわかると、商品を売ってくれないかもしれません……」

 それは、フレイヤがカルディナーレ香水工房をクビにされた時から懸念していたことだった。
 以前、アベラルドに抗議して別の工房に移った調香師がいたのだが、彼を雇った別の工房はセニーゼ商会に材料を売ってもらえなくなってしまったのだ。そうして、その工房は廃業を余儀なくされた。

(どうしよう……シルヴェリオ様のために香水を作りたいのに……)
 
 アベラルドの機嫌を損ねたのだから、自分も同じような目に遭うかもしれない。悪い予感がフレイヤを不安にさせる。
 
「セニーゼ商会が王国中の香水工房の生命線を握っているというわけか。……厄介な連中だな」
「他にも材料を取り扱っている商会があると思いますので、探してみます」
「ああ、頼む。俺の方でも探しておこう」

 先ほどから一転して空気が重々しくなったその時、馬車が急に止まり、フレイヤは反動で座席から落ちそうになった。
 シルヴェリオも衝撃に耐えつつ、小窓から御者に話しかける。
 
「何があった?」
「急に停まって申し訳ございません。魔獣が人を襲っているのが見えたんです……!」

 御者が震えながら指差した先には車体がひしゃげた馬車があり――その向こうに、一頭の牝山羊(キマイラ)の姿が見えた。