追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

     ***

 建国祭を迎える日の、早朝のこと。
 まだ空には薄っすらと紺色の紗がかかったような宵闇が残り、星が瞬いている時間だった。

 トントントントン。
 フレイヤは家のドアノッカーを叩く音を聞いて目を覚ました。

 こんな時間に、来客の予定はない。
 フレイヤは自分の体を、きゅうっと抱きしめる。

 トントントントン。
 ドアノッカーを叩く音は、絶えず聞こえてくる。
 
「聞き間違えかと思ったけど……やっぱり、ドアノッカーの音がする……」

 怖くなって、オルフェンのいる部屋を訪ねる事にした。
 
 ビクビクとしつつ自室を出ると、ちょうどオルフェンが廊下にいたため、少しだけ安堵する。 
 
「オルフェンも、ドアノッカーの音で起きたの?」
『うん。うるさくて、すっかり目が覚めてしまったよ』 
「こ、こんな時間に来客だなんて、誰なんだろう?」
『……()()気味の悪い魔力の気配がするから、王太子をしている人造人間(ホムンクルス)だと思うよ』
「えっ、アーディル殿下が!? は、早く出ないと……」

 フレイヤが玄関まで駆けていこうとすると、オルフェンが魔法でフレイヤを宙に浮かばせて、邪魔をしてくる。
 
 どうしてこのようなことを。
 咎めようとしてオルフェンの顔を見たフレイヤだは、心の中に浮かべていた言葉が全て消えてしまった。
 オルフェンは眉を顰め、外を警戒している素振りをしていたのだ。
 
『あの人造人間(ホムンクルス)の気配で合っていると思うけど、もしものことがあったらいけないから、先に僕が出る』

 そう言うや否や、足早に玄関の扉に歩み寄り、扉を開ける。

「おお、やっと出てきたか。留守かと思って、焦ったぞ」

 アーディルの声が聞こえてきた。
 途端に、オルフェンの魔法でフレイヤはゆっくりと地面に降ろされた。

 扉まで近づくと、アーディルとラベクの姿が見えた。二人とも、初めて会った時のように、フード付きの外套を羽織っている。

「いやはや、ネストレ殿下が日に日に警備の精度を高めるせいで、抜け出すのに苦労した」
「ぬ、抜け出す……?」
「ネストレ殿下から、城を出るなと言われて、閉じ込められていたのだよ。ネストレ殿下は、祖父と叔父上の手下が隠れていて、私を害するのではないかと心配しているのさ。私にはラベクがいるから、危険な目に遭うことは絶対に無いというのに」
「そう……でしたか」 

 他国の王族を相手に否定できないフレイヤは、心の中でネストレに同情した。 
 もしかすると、今頃アーディルとラベクがいないことに気付いて、慌てて探しているのかもしれない。
 
「ところで、どうしてここにいたしたのですか?」
「ああ、フレイヤ殿に直接礼を言いたくて、来たのだよ。実は、ラベクにフレイヤ殿の家を調べさせて、以前から把握していたんだ」
「えっ……!」
 
 青ざめるフレイヤを見て、アーディルは眉尻を下げる。

「勝手に調べて申し訳ない。ただ、その時はラグナ殿がフレイヤ殿を連れ去るためにここに来るのではないかと思って、予め周囲の様子を探っていたのだ。……とはいえ、結果的に誘拐を防げなくて、面目が無いのだが……」
「いえ、私のような他国の平民にもご配慮いただきまして感謝申し上げます」 

 フレイヤは、貴族のように完璧な所作で礼をとる。
 そんな彼女を見て、アーディルは目を見開いたのだが、フレイヤは気づかなかった。
 
『ねぇ、感謝を伝えるのはいいことだけど、こんな時間に来るなんて、非常識じゃない?』

 オルフェンがアーディルを睨みつけると、アーディルは気まずそうに目を背けて、人差し指で頬を掻いた。
 
「申し訳ないとは思っていたのだが、今日この時間しか、機会がなかったのだよ。なんせ、建国祭が終われば、今回の事件の処理のために、すぐにこの国を発つからな」

 アーディルとラベクは、それぞれ両手を合わせると、フレイヤに向かって深く頭を下げた。
 おそらく、イルム王国式の礼なのだろう。
 
「この度のフレイヤ殿の尽力に感謝する。フレイヤ殿の活躍のおかげで、イルム王国の膿を取り除くことができた。国に帰ったら、改めて礼をさせてくれ」

 イルム王国の膿――それは、アーディルの祖父と叔父を指すのだろうと、フレイヤは察した。

「……私は、別段役に立つようなことをしていませんのに……」
「いやいや、フレイヤ殿が誘拐されたラグナ殿に気付いてコルティノーヴィス卿を召喚してくれたおかげで、最良の結果を出せたのだ。謙遜せずに誇ると良い」

 そのようなことを言われても、フレイヤとしてはただ匂いを嗅ぎつけただけとしか思えない。
 
「実は、ここに来たのにはもう一つ、理由がある。フレイヤ殿に、頼みたいことがあるのだ」
「もしかして、香水のことでしょうか?」
「ああ。私のために作ってくれたあの香水の、名前を付けてほしい。アイリック殿下の香水に名前を付けたと聞いて、ぜひ私の香水にも名付けてほしいと思ったのだよ! 名付けられた香水なんて、とてもカッコいいではないか!」
 
 アーディルは黄金の瞳を、少年のように輝かせて、期待に満ちた眼差しをフレイヤに送る。

(どうしよう。期待値が高くて、プレッシャーがすごい)

 フレイヤは必死に、香水の名前を考えた。
 アーディルが期待する名前とは、どのようなものだろうか。
 
(……ううん。アーディル様の好みから名前を考えたら、名前と香りの印象が乖離してしまうわ)

 フレイヤは、アーディルのために香りを作った時のことを思い出す。
 あの時、アーディルは商人のハーディとして現れ、エイレーネ王国で嗅いだ瑞々しい植物の香りを神秘的だと言い、それを香水で再現することを望んだ。
 
(――そうだ、この香水を……ハーディとしての大切な思い出にしていただこう)

 閃きが、フレイヤの頭の中に舞い降りてきた。
 
「『ハーディの旅路(ビアッジオ・ディ・ハーディ)』と言う名は、いかがでしょうか?」
「……!」

 急に、フレイヤがもう一つの名前を持ち出してきたから驚いたのか、アーディルが虚を突かれたような顔をする。
 アーディルの後ろで控えているラベクも、同じような顔をしていた。

 そんな二人が、まるで親子のように見えて、フレイヤは口元を綻ばせた。
 
「ハーディという名の商人が、異国で嗅いだ青葉の瑞々しい香りについて語っている、といったテーマで名付けてみました」
「……良い名だ。とても、気に入った」 

 アーディルは小さく零すと、振り返ってラベクを見上げた。
 ラベクの目元が、微かに綻ぶ。
 
 その様子を見たフレイヤは、ハーディと言う名が二人にとって、いかに大切な名前であるか思い知らされる。
 だからこそ、これからも亡くなった王子のアーディルの身代わりとして生きることになる彼を、不憫に思った。
 彼は何も悪くないのに、本当の自分を抑えなければならないのだから。
 
「この香水を、ジャウハラ商会を通して、イルム王国の方々に売るのは、いかがでしょうか?」

 自然と、言葉が口から出てきた。
 躊躇う余裕さえなく、さらりと。
 
「いいのか……?」 
「はい、そうすれば、これからこの香水を通して、人々はあなたのことに想いを馳せるでしょうから。ハーディという、腐敗した貴族から国民を守るために立ち上がった、正義感に満ちた商人のことを」
「……っ」

 アーディルが息を呑んだ。
 彼の頬に、涙が伝い落ちる。

「それでは、またハーディとして、商談に出向こう」 

 アーディルは指先で涙を拭うと笑みを浮かべる。
 朝日が昇り明るくなってきた景色の中で、その笑顔はいっとう輝いているように見えた。

「――ありがとう。心優しい、祝福の調香師殿」

 アーディルはそう言い残すと、ラベクと共にフレイヤの家を後にした。


***あとがき***
この後すぐにもう一話更新します…!