追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

 フレイヤたちを閉じ込めていた石畳の煉瓦や土でできた柱が砕け散る。

 開けた視界の先に、フレイヤは麻袋を持った男性が走り去ろうとしている姿を見つけた。
 
「シルヴェリオ様、あの麻袋を持った男性を捕まえてください!」
「わかった!」

 シルヴェリオが片手を宙で動かすと、男性が「うわっ」と声を上げて転んだ。
 その瞬間、麻袋が地面に放り出されて、石畳の上に落ちる。
 
 どうやら、シルヴェリオは無詠唱で魔法を使ったらしい。 
 
(ただ手を動かしただけで魔法が発動したように見えた。シルヴェリオ様って、本当にすごい魔導士なんだ……) 
 
 フレイヤは心の中で感嘆した。
 
 無詠唱魔法は、魔導士でさえできる者が限られていると聞いたことがある。
 その凄技を間近で見たフレイヤが呆気に取られている間に、シルヴェリオは魔法の呪文を唱えて、金色に光る鎖のようなもので男性の手と足を拘束した。
 
 シルヴェリオがさらに呪文を唱えると、男性が「ふがっ」と情けない声を開けて口を開き、そのまま硬直する。
 どうやら男性の意思でそうしているわけではないようで、男性は必死で口を動かそうと藻掻いているが、身体が言うことを聞かないようだ。

 男性が拘束されて、ようやく気持ちが落ち着いたフレイヤは、シルヴェリオに顔を向ける。
 
「駆けつけてくださって、ありがとうございます。ところで、どうして私のもとに転移されたのですか?」
「……っ」

 一瞬だけ、シルヴェリオの方が揺れた。
 シルヴェリオの、綺麗に形が整った眉尻が、微かに下がる。
 
「実は、隣町から王都まで戻った際の馬車の中で、フレイさんに守護魔法をかけていた。フレイさんが俺の名を呼んで助けを求めたら、すぐにフレイさんのもとに転移できる魔法だ。それが発動したから、すぐに来れた」
「そう……だったんですね。まったく気づきませんでした」
「魔法のことや発動条件を伝えておこうと思っていたのだが……もしも伝えたら、フレイさんは俺に遠慮して呼びかけないような気がして、迷っている間に伝えそびれてしまったんだ」
「うっ……」 

 図星を突かれてしまい、フレイヤは小さく呻いた。
 たしかに、シルヴェリオを呼び出す方法が分かっていたとしても、多忙な彼を呼び出すことに気が引けていただろう。
 
「勝手に魔法をかけていて、すまない」  
「いいえ、おかげで助かりました。それに、私のためを想って魔法をくださっていたのに、謝らないでください」

 フレイヤは顔をぶんぶんと横に振る。
 むしろ、忙しい時に呼び出してしまったことを謝らせてほしい。
 
『ねえ、いつまで抱きしめるつもり?』

 フレイヤとシルヴェリオの目の前に現れたオルフェンが半眼になって、シルヴェリオにチクリと指摘した。
 その言葉を聞いて、フレイヤは今の体勢にようやく気付く。

 先ほど狭い場所に二人いたから、シルヴェリオがフレイヤの背中に手を回してくっついていた。
 二人を閉じ込めていたものが無くなっても、そのままの体勢でいたのだ。

(わ、私ったら、どうしてすぐに気づかなかったの!?) 

 慌ててシルヴェリオから飛び退いては、地面に頭がつきそうなほど頭を深く下げてシルヴェリオに謝った。

「ところで、なぜ魔法であの男性の口を開けたままにしたのですか?」
「舌を切ったり、歯の裏に毒を仕込んで自殺する可能性があるからな。騎士団に連行してもらうまで、あのままにしておいた方がいい」
 
 フレイヤの質問に答えたシルヴェリオが、男性を睨みつける。
 微かに、シルヴェリオから冷気を感じたような気がした。
 男性の方もそうなのか、震え上がっている。

「あっ、そういえば、あの男性が抱えていた麻袋から、オルメキア王国の第一王子殿下に贈った香りがしたんです。もしかしたら、誘拐されているかもしれません」
「オルメキア王国の第一王子殿下が?」

 シルヴェリオが訝しそうに麻袋を見遣る。まるで、アイリックがその中にいることがあり得ないとでも言いたげだ。

「先ほどあの男性が袋を放り投げていましたし、怪我をしているかもしれません。早く、助けましょう!」 

 麻袋に駆け寄ったフレイヤは、縛ってあった紐を解く。
 中に閉じ込められていた人物の姿を見て、目を大きく見開いた。
 
「えっ、第一王女殿下……?」 

 そこには、手足に枷をつけられ、口に布を嚙まされた状態のラグナがいたのだ。
 男性が麻袋を放り投げた時に体を打ちつけたためだろうか、痛みに顔を歪めている。
 
(どうして、第一王女殿下が……?)
 
 香水の匂いから、アイリックが連れ去られたとばかり思っていた。
 しかし、アイリックの近くにいたから、彼がつけている香水の香りが移ったのかもしれない。
 
 すぐにそう結論づけたフレイヤは、ラグナを助け起こして、彼女の口元にある布を取り除く。
 その間に、オルフェンが魔法で枷を破壊した。

 解放されたラグナは、緊張している身体を弛緩させるように、小さく息を吐いた。
 
「ありがとう、助かったわ」
「いったい、何があったのですか?」
「実は……」

 ラグナは言葉を切ると、気まずそうにシルヴェリオの顔を盗み見た。
 悪戯したことを咎められている子どものようだ。 

「イェレアス侯爵の屋敷から出て、単独行動をとっていたのよ」
「ええ、そのせいで我々は、犯人捜しに十分な人員を割けずに苦労しております」

 シルヴェリオがすぐさま、冷たい声音でラグナを非難する。
 怒鳴っているわけではなく、むしろ落ち着いた声なのだが、静かな怒りが込められており、恐ろしい。
 
 やはり、シルヴェリオは相手が王族であっても、容赦がない。
 フレイヤはヒヤヒヤとした気持ちで、二人を見守る。
 
「王女殿下はただ、イェレアス侯爵に保護していただき、我々がその間にオルメキア王国の宰相とイルム王国のお二人を捕らえるといった算段でした。王女殿下には情報を共有していたはずですのに、このような行動をとった理由をお聞きしても?」
「……宰相を、確実に消すためよ。そのために、共有された捜査情報をもとに潜伏先を割り当てて、接触したわ。敢えて私を殺させるためにね」
「――っ、なんてことを!」

 シルヴェリオが声を荒げた。深い青色の瞳には、怒りが滲んでいる。
 
「王族を害した罪で、死刑にさせるおつもりだったとは……ご自身の命を、何だと思っているのですか!?」 
「アイリックが平穏に生きるために必要な犠牲よ。宰相を生かしていたら、この先もアイリックを……もしくはイングリットを利用するはずだもの。私は、二人を守りたい」

 切なる願いであるように話すラグナの瞳には、確固たる決意が窺える。
 何があっても、願うだけで終わらせるつもりはないと、雄弁に語っているのだ。
 
「計画が上手くいくように、お守りとしてアイリックの香水を吹きかけてきたわ。それでフレイヤさんに気づかれてしまうのは誤算だったわね」

 ラグナは小さく肩を竦めると、ゆっくりとした動きで立ち上がる。
 体が痛むのか、少し眉を顰めた。
 
「私を誘拐していた男は、これから宰相たちがいる場に私を連れて行って、彼の前で私を殺すつもりだったわ。だから、このまま行かせてもらうわ。イルム王国の貴族たちがいても手を出さないから、安心して?」
「――そう仰らず、周りの者を頼ってはいかがですか?」

 どこからともなく、ラベクの声が聞こえてきた。
 フレイヤたちが声のする方に顔を向けると、そこには、地味な焦げ茶色の外套で平民に変装したラベクとアーディルが立っていた。