ハルモニアは心配そうな表情でフレイヤを見つめた。

「フレイ……、お菓子に釣られるなんて……」
「ううっ……言わないで」

 フレイヤは恥ずかしさのあまり真っ赤になった顔を両手で隠し、ハルモニアの視線から逃れた。
 ハルモニアは彼女の望み通り、それ以上は言及しなかった。代わりに大きな掌で、彼女の頭をぽんぽんと撫でる。
 
 できることならこの心優しい幼馴染の側にいて守りたい。しかしそれにはいくつもの障壁がある。
 種族が違えば、どちらかが今の生活を諦めなければならない。まして今の自分は長であり、そう簡単に退くことはできない立場だ。
 フレイヤを追って王都に行くことなんてできないし、人外の自分は王都で――人間の世界で彼女を守れるような地位を持っていない。
 とはいえフレイヤを無理に()()()()の世界に引きずり込みたくはない。人間界を離れると、フレイヤは調香師の道を諦めなければならなくなるのだ。
 
 ――愛する人の夢を奪いたくない。しかし、側で守りたい。
 フレイヤの行く末を案じるハルモニアは、いくつもの歯がゆさを噛み締めた。

(それにフレイは……私を友人としか思っていない。そんな私が前に出たところで、フレイとの関係が崩れるだけだ)

 フレイヤがずっと想いを寄せていたのは、彼女の姉のテミスの夫――義兄のチェルソだ。
 ハルモニアは幼い頃からフレイヤとその家族との交流があったこともあり、フレイヤの視線の先にはいつもチェルソがいたことを知っている。
 好いた相手の片想いを見守るのは辛かった。だからテミスとチェルソが結婚すると聞いた時、フレイヤを他人に奪われなくて済むと、内心喜んでしまったことに後ろめたさを感じたのだった。
 
 そうして状況が変わったとしても、自分はフレイヤの友人のまま。
 彼女にとって自分は親友で、それ以外の感情を持ち合わせていないのだ。
 自分を見つめてくれる愛おしい若草色の目には溢れるほどの友愛はあるが、恋愛感情は少しも混ざっていない。
 それでも彼女への気持ちを諦めきれないまま、いつの間にかここまできてしまった。

(私がフレイのためにできることは、フレイの夢を守ること。フレイが幸せでいられるのならそれでいい)

 ハルモニアは自身の心を蝕む想いを落ち着かせると、怜悧な眼差しでシルヴェリオを見据えた。
 
「本気でフレイを雇いたいのであれば、今ここで誓約魔法を使ってほしい。そうしなければ安心してフレイを任せられない」
「ちょ、ちょっと……ハルモニア!」

 フレイヤが非難を込めて名前を呼ぶが、ハルモニアは振り向かず、シルヴェリオから視線を逸らさない。
 シルヴェリオは深い青色の目を微かに眇めると、小さく頷いた。
 
「わかった。そうしよう」

 そう言うと、フレイヤをエスコートするように手を差し出す。その所作には気品とフレイヤへの思いやりが垣間見えた。
 
「フレイさん、手を。今回は誓約魔法を応用して、俺がフレイさんの魔力を借りて自分自身にかける。フレイさんは俺の手に魔力を流し込むだけでいい」
「は、はい……」

 おずおずとシルヴェリオの掌に自分の手を重ねるフレイヤは、少し緊張した面持ちを見せた。彼女のその表情が、ハルモニアの心をざらつかせる。

 シルヴェリオが誓約魔法の呪文を唱えると、シルヴェリオとフレイヤの手が重なっているところに光が現れた。シルヴェリオの瞳を彷彿とさせるような、深い青色の光だ。するとその光に誘われるように、若草色の光が現れる。こちらがフレイヤの魔力のようだ。
 糸を撚るように二つの魔力が混ざり合って一つになる。その魔力はシルヴェリオの腕を伝い、彼の胸――心臓がある辺りにするすると入っていった。そうして、その部分がほんのりと光を帯びる。
 
「我――シルヴェリオ・コルティノーヴィスは、フレイヤ・ルアルディを裏切らず、また己の私欲のために利用しない」

 シルヴェリオが誓いの言葉を言い終えると、光はすっと溶けるように消えた。するとシルヴェリオはゆっくりと指を開き、フレイヤの手を解放する。
 
「これで誓約魔法が成立した。もしも俺が誓いを破った場合は、魔法が発動して心臓を貫かれる」
「し、心臓を貫かれる……」
「そうだ。苦しい思いをして死ぬのは御免だから誓いは絶対に守る。だから安心してくれ」
「あ、あの……体調は大丈夫ですか? 誓約魔法をかけてから体に異常が起きてはいませんか?」
「……」

 シルヴェリオは少し瞬きをした後、静かに首を振った。

「なんともない。これまで通りだ。誓約魔法は俺が誓約を破ろうとした時と破った時に発動する。それ以外はなにも起こらないし体に影響はない」
「それなら良かったです。普段から魔法の影響があったらどうしようかと思いました」
「他に気になることはあるか?」
「いえ、大丈夫です」

 フレイヤを見つめるシルヴェリオの眼差しは真摯で、誓約魔法なんて使わなくてもフレイヤを裏切らないだろうとハルモニアに確信させた。

(この者ならきっと、フレイを守ってくれるだろう。何があっても……)

 自分では成し得ないことを成し遂げられる彼が羨ましい。
 ハルモニアは爪が白くなるほど拳を締め、二人のやりとりを眺めていた。