「それにしても、いとも簡単に正体を暴かれてしまったな。魔法の対策をしておくべきだった」
アーディルは淡々と話す。
正体を暴かれたにもかかわらず、悠然とした笑みを浮かべて。
黄金色の目が動いてネストレの姿を捕らえると、アーディルは椅子から立ち上がってエイレーネ王国式の礼をとる。
フレイヤとシルヴェリオも立ち上がった。
アーディルの正体がイルム王国の王太子と分かった以上、彼の前で椅子に座っているわけにもいかない。
アーディルの護衛であるラベクも、いつの間にか立ち上がっていた。
「ネストレ殿下、ご無沙汰しております。まさか王城ではなく香水工房でお会いするとは思ってみませんでした」
「……ああ、久しぶりですね。俺もまさかここであなたが商人の真似事をしているなんて思っても見ませんでしたよ。理由をお伺いしても?」
ネストレの声は微かに威圧感が込められている。
アーディルを警戒して、敢えてそのような声で話しているのだろう。
エイレーネ王国とイルム王国は敵対関係にはないものの、友好的とも言えない。
そのような国の王太子が身分を偽って国内で密かに暗躍していては、警戒せずにはいられないのだ。
「ハーディという名と身分は、市井を知るためにラベクに用意させたものですよ。守るべき民たちの生活の実情を知るために稀にこうして商人となって彼らに話しかけています。先ほど話した商談は実際に私がしたものですよ」
「とはいえ正体がバレたら騒ぎになるのでは? アーディル殿下の姿を知る者が少ないエイレーネ王国ならさておき、イルゼ王国では正体がバレてしまいそうですが……」
ネストレの指摘に、フレイヤたちは心の中で同意する。
とはいえイルム王国の王太子であるアーディルを批判するわけにもいかないため、首を縦に振れなかった。
「意外とバレないものですよ。『アーディル殿下にそっくりだねぇ~』なんて言われることは多いですけどね」
「……そっくりで済んでいたとはいえ、大胆不敵にもほどがあります」
ネストレが呆れたように言うと、アーディルの隣でラベクが静かに頷く。
そんな姿を見たフレイヤは、ラベクの抱える苦悩を察するのだった。
行動派の王太子の護衛はなかなか大変そうだ。
「コルティノーヴィス香水工房とは本当に取引をするおつもりだったのですか?」
「ええ、素晴らしい香水なので、ぜひわが国でも流通しようと思っていますよ。……それに、我が国は今、恐ろしい人造人間が人に紛れて生活しているという噂が流れて民たちが怯えているのですよ。だから祝福の調香師の力で彼らの不安を取り除きたいという思いもあります」
フレイヤはゾッとして思わず両手で口元を覆った。
人造人間は凶暴だから研究自体が中止になったと聞いたばかりなだけに恐ろしくなる。
フレイヤがチラリと視線を巡らせると、シルヴェリオもネストレもジュスタ男爵も表情を硬くしている。
「人造人間が人に紛れている? 噂の出どころは突き止めたのですか?」
「あいにく、調査が難航しているんですよ。早くすべてが明らかになるといいんですけどね」
人造人間の存在が脅威なのはイルム王国も同じはずだが、アーディルにはさほど緊迫した様子が無い。
ただの噂だと捉えているのだろうか、それとも彼にとってはさほど脅威ではないのだろうか。
フレイヤはアーディルの本心が掴めなかった。
「……それで、コルティノーヴィス卿はジャウハラ商会と取引してくれるのかい?」
アーディルがシルヴェリオの方を向く。
途端にシルヴェリオは首を横に振った。まるで、はなから取引するつもりはないと示すように。
「祝福の調香師の噂を聞いて商品を求めていらっしゃるのであれば、卸すことはできません。噂は噂であって、その効果を期待して手にしたお客様を失望させたくないのです。どうかご理解ください」
「……そうか、残念だな。気が向いたらいつでもジャウハラ商会に手紙を送ってくれたまえ。すぐに商談の場を設けよう」
なにかしら交渉してくるかと思っていたが、アーディルはいともあっさりと引き下がった。
あまりにも簡単に商談が決裂したものだから、その様子を見守っていたエレナがポカンと口を開いている。
いくつもの商談を見てきた彼女にとって信じられないことだったのだろう。
「しかし、コルティノーヴィス香水工房と取引ができないならフレイヤ殿との交流ができなくて残念だな」
「わ、私ですか……?」
フレイヤは驚いて、思わず聞き返す。
いくら競技会で優勝したとはいえ、平民で駆け出しの調香師だ。
一国の王太子が興味を覚えるような人間ではないと、フレイヤ自身が思うのだった。
「ああ、フレイヤ殿の真摯な仕事ぶりが気に入った。おまけに君は平民でありながら貴族の礼を知っているし、初対面の時も私が高位の身分を持っていることを知ってエイレーネ王国の貴族式の礼をとったその判断力が素晴らしい。我が国の宮殿の専属調香師兼私の話し相手として引き抜きたいくらいだ」
「と、とても名誉ですが畏れ多いです……」
唐突に評価されて慌てたフレイヤが首と手を横に振っていると、シルヴェリオがずいフレイヤに近づき、背に隠してアーディルから見えないようにした。
シルヴェリオから冷気のようなものを感じて、フレイヤは思わず震える。
顔は見えないが、なんとなくシルヴェリオが怒っているような気がした。
「コルティノーヴィス卿、そんな恐ろしい顔をするな。今すぐとは言わないから安心してくれ」
「今後もお止めください」
シルヴェリオがぴしゃりと言い放つ。
王太子相手になんてことを、とフレイヤは内心悲鳴を上げそうになったが、シルヴェリオが自分の引き抜きを阻止してくれていることがどことなく嬉しかった。
その後、ネストレが王宮から馬車を呼んでアーディルとラベクを王宮に連れていくことになった。
彼らが異国の王太子とその従者と分かった以上、そのままにするわけにはいかない。
来賓としてもてなすという建前で、二人を監視することにした。
今日から二人は街の宿での寝泊まりを止めて、王城の客間で過ごすことになる。
ネストレは更に用心し、「道に迷わないため」いう理由で外出時は念のためエイレーネ王国の騎士も連れて行くことを約束させた。
「今の宿は気に入っているから建国祭で来賓として訪問する日まではあの宿に滞在したかったのだが……まあ、しかたがない」
馬車が到着して王宮の使者の姿が見えると、アーディルは残念そうに肩を落とす。
「そうだ、フレイヤ殿は甘い物が好きらしいな? 前に紹介してもらった料理店の店長から聞いたから、密かに賄賂を持ってきた」
「え、賄賂?」
アーディルは外套のポケットから掌サイズの小さな包みを取り出すと、フレイヤに歩み寄って彼女の手に握らせる。
スパイスの香りがふわりとフレイヤの鼻腔をくすぐった。
慌てて受け取るフレイヤの耳元にアーディルの顔が近づく。
「――また会おう。私以外にも君の噂を聞いた者たちが現れるだろうから、気をつけたまえ。特に、白い魔女にはね」
誰にも聞こえないようにするためか、声を落とした囁きが耳元に落ちる。
(白い魔女って……だれのこと?)
フレイヤが聞き返そうとしたところで、アーディルは踵を返してコルティノーヴィス香水工房を出た。
***あとがき***
先週は急遽お休みをいただいて申し訳ございません。
更新お待たせしました!
アーディルは淡々と話す。
正体を暴かれたにもかかわらず、悠然とした笑みを浮かべて。
黄金色の目が動いてネストレの姿を捕らえると、アーディルは椅子から立ち上がってエイレーネ王国式の礼をとる。
フレイヤとシルヴェリオも立ち上がった。
アーディルの正体がイルム王国の王太子と分かった以上、彼の前で椅子に座っているわけにもいかない。
アーディルの護衛であるラベクも、いつの間にか立ち上がっていた。
「ネストレ殿下、ご無沙汰しております。まさか王城ではなく香水工房でお会いするとは思ってみませんでした」
「……ああ、久しぶりですね。俺もまさかここであなたが商人の真似事をしているなんて思っても見ませんでしたよ。理由をお伺いしても?」
ネストレの声は微かに威圧感が込められている。
アーディルを警戒して、敢えてそのような声で話しているのだろう。
エイレーネ王国とイルム王国は敵対関係にはないものの、友好的とも言えない。
そのような国の王太子が身分を偽って国内で密かに暗躍していては、警戒せずにはいられないのだ。
「ハーディという名と身分は、市井を知るためにラベクに用意させたものですよ。守るべき民たちの生活の実情を知るために稀にこうして商人となって彼らに話しかけています。先ほど話した商談は実際に私がしたものですよ」
「とはいえ正体がバレたら騒ぎになるのでは? アーディル殿下の姿を知る者が少ないエイレーネ王国ならさておき、イルゼ王国では正体がバレてしまいそうですが……」
ネストレの指摘に、フレイヤたちは心の中で同意する。
とはいえイルム王国の王太子であるアーディルを批判するわけにもいかないため、首を縦に振れなかった。
「意外とバレないものですよ。『アーディル殿下にそっくりだねぇ~』なんて言われることは多いですけどね」
「……そっくりで済んでいたとはいえ、大胆不敵にもほどがあります」
ネストレが呆れたように言うと、アーディルの隣でラベクが静かに頷く。
そんな姿を見たフレイヤは、ラベクの抱える苦悩を察するのだった。
行動派の王太子の護衛はなかなか大変そうだ。
「コルティノーヴィス香水工房とは本当に取引をするおつもりだったのですか?」
「ええ、素晴らしい香水なので、ぜひわが国でも流通しようと思っていますよ。……それに、我が国は今、恐ろしい人造人間が人に紛れて生活しているという噂が流れて民たちが怯えているのですよ。だから祝福の調香師の力で彼らの不安を取り除きたいという思いもあります」
フレイヤはゾッとして思わず両手で口元を覆った。
人造人間は凶暴だから研究自体が中止になったと聞いたばかりなだけに恐ろしくなる。
フレイヤがチラリと視線を巡らせると、シルヴェリオもネストレもジュスタ男爵も表情を硬くしている。
「人造人間が人に紛れている? 噂の出どころは突き止めたのですか?」
「あいにく、調査が難航しているんですよ。早くすべてが明らかになるといいんですけどね」
人造人間の存在が脅威なのはイルム王国も同じはずだが、アーディルにはさほど緊迫した様子が無い。
ただの噂だと捉えているのだろうか、それとも彼にとってはさほど脅威ではないのだろうか。
フレイヤはアーディルの本心が掴めなかった。
「……それで、コルティノーヴィス卿はジャウハラ商会と取引してくれるのかい?」
アーディルがシルヴェリオの方を向く。
途端にシルヴェリオは首を横に振った。まるで、はなから取引するつもりはないと示すように。
「祝福の調香師の噂を聞いて商品を求めていらっしゃるのであれば、卸すことはできません。噂は噂であって、その効果を期待して手にしたお客様を失望させたくないのです。どうかご理解ください」
「……そうか、残念だな。気が向いたらいつでもジャウハラ商会に手紙を送ってくれたまえ。すぐに商談の場を設けよう」
なにかしら交渉してくるかと思っていたが、アーディルはいともあっさりと引き下がった。
あまりにも簡単に商談が決裂したものだから、その様子を見守っていたエレナがポカンと口を開いている。
いくつもの商談を見てきた彼女にとって信じられないことだったのだろう。
「しかし、コルティノーヴィス香水工房と取引ができないならフレイヤ殿との交流ができなくて残念だな」
「わ、私ですか……?」
フレイヤは驚いて、思わず聞き返す。
いくら競技会で優勝したとはいえ、平民で駆け出しの調香師だ。
一国の王太子が興味を覚えるような人間ではないと、フレイヤ自身が思うのだった。
「ああ、フレイヤ殿の真摯な仕事ぶりが気に入った。おまけに君は平民でありながら貴族の礼を知っているし、初対面の時も私が高位の身分を持っていることを知ってエイレーネ王国の貴族式の礼をとったその判断力が素晴らしい。我が国の宮殿の専属調香師兼私の話し相手として引き抜きたいくらいだ」
「と、とても名誉ですが畏れ多いです……」
唐突に評価されて慌てたフレイヤが首と手を横に振っていると、シルヴェリオがずいフレイヤに近づき、背に隠してアーディルから見えないようにした。
シルヴェリオから冷気のようなものを感じて、フレイヤは思わず震える。
顔は見えないが、なんとなくシルヴェリオが怒っているような気がした。
「コルティノーヴィス卿、そんな恐ろしい顔をするな。今すぐとは言わないから安心してくれ」
「今後もお止めください」
シルヴェリオがぴしゃりと言い放つ。
王太子相手になんてことを、とフレイヤは内心悲鳴を上げそうになったが、シルヴェリオが自分の引き抜きを阻止してくれていることがどことなく嬉しかった。
その後、ネストレが王宮から馬車を呼んでアーディルとラベクを王宮に連れていくことになった。
彼らが異国の王太子とその従者と分かった以上、そのままにするわけにはいかない。
来賓としてもてなすという建前で、二人を監視することにした。
今日から二人は街の宿での寝泊まりを止めて、王城の客間で過ごすことになる。
ネストレは更に用心し、「道に迷わないため」いう理由で外出時は念のためエイレーネ王国の騎士も連れて行くことを約束させた。
「今の宿は気に入っているから建国祭で来賓として訪問する日まではあの宿に滞在したかったのだが……まあ、しかたがない」
馬車が到着して王宮の使者の姿が見えると、アーディルは残念そうに肩を落とす。
「そうだ、フレイヤ殿は甘い物が好きらしいな? 前に紹介してもらった料理店の店長から聞いたから、密かに賄賂を持ってきた」
「え、賄賂?」
アーディルは外套のポケットから掌サイズの小さな包みを取り出すと、フレイヤに歩み寄って彼女の手に握らせる。
スパイスの香りがふわりとフレイヤの鼻腔をくすぐった。
慌てて受け取るフレイヤの耳元にアーディルの顔が近づく。
「――また会おう。私以外にも君の噂を聞いた者たちが現れるだろうから、気をつけたまえ。特に、白い魔女にはね」
誰にも聞こえないようにするためか、声を落とした囁きが耳元に落ちる。
(白い魔女って……だれのこと?)
フレイヤが聞き返そうとしたところで、アーディルは踵を返してコルティノーヴィス香水工房を出た。
***あとがき***
先週は急遽お休みをいただいて申し訳ございません。
更新お待たせしました!


