追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

 シルヴェリオから唐突に告げられた言葉に、フレイヤは戸惑いの表情を浮かべた。

「香水に魔力が宿っている……? ですが、私は魔力を込めていませんよ?」

 調香している時は香りに集中しているし、香水を作ると同時に魔力を込めるなんて器用なことはできない。
 そもそも、香水に魔力を込めるだなんて考えたことすらないのだ。
 
「フレイさんがハンカチにかけている香水は、フレイさんが作ったものではないか?」
「それはそうですが……」
「では、試しにアレッシアさんが作った香水を調べてみよう。俺とフラウラが確認したら間違いないだろう」

 シルヴェリオは試香紙(ムエット)にアレッシアが作った建国祭用の香水を吹き付け、そこに意識を集中させる。
 しかしなにも感じ取れず、シルヴェリオは静かに首を横に振った。

 一緒に確認したフラウラも、『何も感じなかったわ』と言うのだ。
 
「もしその香水に副工房長の魔力が込められているとして、なぜ他言無用となるのですか? フラウラが言う通り心地の良い魔力なら問題ないのでは?」

 エレナがそう言うと、シルヴェリオは渋面を作って呪文を唱える。途端に、外の音が聞こえなくなった。

 盗聴防止の魔法を展開したのだ。
 シルヴェリオの慎重ぶりから事態の深刻さを察した誰もが、固唾を飲んでその様子を見守る。
 
「問題なのは、フレイさんが作った香水から感じ取った魔力が聖属性の魔力だったからだ。回復魔法をかけてもらった時に感じる魔力と似ていたから間違いない」

 シルヴェリオは重々しく答えた。
 
 聖属性の魔力は誰しもが使えるものではない。生まれながらに持っている者は稀で、聖職者か治癒師になることが定められている。
 エイレーネ王国で生まれた子どもは五歳になると近くにある聖堂へ行って魔力測定を受けるため、本来ならその時にわかったはずだ。

「もし本当に私が聖属性の魔力を持っているのであれば……調香師は辞めなければならないのでしょうか?」

 フレイヤは青ざめた顔でシルヴェリオに問う。調香師の仕事を奪われることがなによりも怖いのだ。

 かつてアベラルドに解雇されたフレイヤは、どんなに努力を積み重ねてきても、一瞬でそれらが崩されることを知っている。
 
 そんなフレイヤの過去を知っているからこそ、シルヴェリオはやや躊躇いながらも首肯した。
 
「……その可能性が無くは無い。聖属性の魔力を持つ者は稀少で、その力を狙って誘拐する者もいるから、そういった者から国が保護してくれる受ける代わりに国のために働くことになる」
「そんな……せっかく調香師に戻れたのに……」

 フレイヤの若草色の目が絶望の色に染まる。
 シルヴェリオは手に持っていた試香紙(ムエット)と香水瓶を調香台(オルガン)の上に戻すと、フレイヤの手を両手で包み込んだ。

 ハッとしてフレイヤが顔を上げると、シルヴェリオの深い青色の目がフレイヤを真っ直ぐ見つめている。

「フレイさんが調香師を続けられるように尽力する。方法を考えるから、諦めないでくれ」

 するとエレナが、「そうですよ」と声を上げる。

「副工房長がこのまま調香師を続けらえるようにできる限りのことをします。副工房長が作る素敵な香りを、もっと多くの人に届けたいですから」
「俺も手伝いますよ。フレイヤさんのような頑張っている人が報われないなんて、おかしいじゃないですか」
「……私も、できることは少ないけど協力するわ。好きな仕事ができなくなる辛さは、知っているもの。それなのに黙って見ているつもりはないわ」
 
 レンゾとアレッシアがエレナに続く。
 
 仲間たちの頼もしい言葉に感激したフレイヤは、顔をくしゃりとさせており今にも泣きそうだ。
 
「みんな、ありがとうございます……!」
 
 カルディナーレ香水工房にいた時は、フレイヤが窮地に立たされても誰も助けてくれなかった。
 そんな過去があったため、今回も成す術もなく悲しい現実を受け入れなければならないと諦めかけていたのだ。

 フレイヤは、シルヴェリオを始めとした優しく頼もしい仲間たちの存在に心から感謝した。
 
「フレイさんが聖属性の魔力を持っていると仮定して、その聖属性の魔力を意図して使わずに込めているとなると、普段の魔法とは別の方法で魔力が使われたということになる。他の魔力は自分の意思で扱えるのに、聖属性の魔力だけ無意識で使っているという点が引っかかるな」
 
 シルヴェリオがぽつりと呟く。

 魔法を扱う者は子どもの頃は無意識に魔法を使うことがあるが、成長と共に魔力をコントロールできるようになるため逆に無意識に使うようなことはなくなるはずだ。

 しかしそれは一般的な魔法の話だ。
 
「――祝福、であるのかもしれない」

 祝福とは、おとぎ話や伝承や神話でしか聞いた事がない、この世には存在すらしないかもしれない魔法だ。

 それは人の祈りが魔力と結びつき、女神の助けを得て成される奇跡のような魔法と言われている。
 
 祝福は、ある時は重篤な病を癒し、ある時は干ばつ地帯に雨を降らせ、またある時は数多の魔物を屠る強さを武器に付与した。
 
 今までのシルヴェリオは、祝福なんてただの偶然が重なっただけだと思っていた。
 しかしフレイヤが無意識のうちに聖属性の魔力を込めていたことを踏まえると、本当に祝福という魔法が存在しているようにも思える。
 
「そういえばカルディナーレ香水工房に居た時、ルアルディさんを指名してくる平民のお客様がたまにいらっしゃったわね。ルアルディさんから香水を貰った人は願い事が叶ったり、悩み事が解決しているから、自分もその力にあやかりたいと言っていたわ」

 アレッシアは腕を組み、真剣な顔で当時の記憶を手繰り寄せる。

 その隣で、エレナも顎に手を添えて思案し始めた。

「なるほど……祝福の調香師と呼ばれていた所以の出来事は、もしかするとその力が作用していた可能性がありますね」
「噂を聞きつけた何者かがフレイさんの力を探らないように牽制する必要があるな」
 
 シルヴェリオの脳裏に、ハーディがフレイヤの噂を聞きつけてコルティノーヴィス香水工房に来たという話が過る。

 彼と同様に、噂を聞きつけてフレイヤを訪ねてくる者は今後も現れるはずだ。

 どのようにして工房周辺の警備を強化しようかと悩むシルヴェリオに、エレナがコホンとやや大きな音で咳払いする。

「ところで……工房長はいつまで副工房長の手を握っているのですか?」
「手?」

 訝し気に聞き返したシルヴェリオは、自分の手元を見て目を見開く。
 確かにフレイヤの手を取ったことは覚えている。しかしその後もずっと握っていたことに気づいていなかった。
 
 フレイヤもまたシルヴェリオに手を握られていたことをすっかり忘れていたようで、今になって気づいて慌て始める。
 
「す、すまない」
「いえ、私も全く気が付かず、すみません……!」
 
 二人ともほぼ同時に手をひっこめた。
 シルヴェリオは自身の手をじっと見つめると、耳まで真っ赤に染める。

「と、とりあえず、今後はフレイさんの噂を聞きつけて来た者には用心してくれ」
 
 いつもよりやや落ち着きのない声でそう言うと、そそくさとコルティノーヴィス香水工房を出たのだった。