「はい、完成です」
フレイヤは香水瓶の蓋を閉めると、 ハーディに手渡す。ハーディは今までの落ち着いた表情を崩し、まるで宝物を貰った子どものように目を輝かせて香水瓶を両手で受け取った。
「今ここでこの香水をつけてもいいだろうか?」
「あいにくここでは香りが混ざってはいけないのでご遠慮いただいていますが、一階でしたら大丈夫ですよ」
「よし、それではさっそく一階に下りよう」
一階へ降りると、ハーディはさっそく香水をつけてみた。
手首や足元にシュッと吹きかける度に、木陰の下で涼んでいる時のような爽やかな香りがする。
ハーディは気持ちよさそうに目を閉じて深呼吸した。
「心が穏やかになる香りだ。この香りさえあれば辛い事も乗り越えるだろう」
「ふふっ、そう言っていただけると調香師冥利につきます」
フレイヤはハーディの言葉に心からの笑みを浮かべる。
店内には四~五人ほど客が来ており、ハーディから漂う香水の香りを嗅いでは、自分たちも似たような香りを特注で依頼したいものだと隣にいる者と話すのだった。
「そういえば、支払いがまだだったな」
「支払いはあちらのカウンターでお願いします」
「わかった。――マドゥルス」
ハーディが名を呼ぶだけで、マドゥルスは首肯してカウンターへ行き、エレナに代金を支払う。
本来なら護衛がそこまでしないだろう。やはりハーディとマドゥルスはただの商人とその護衛ではないようだ、とフレイヤは心の中で推測する。
「もう昼時だな。フレイヤ殿のおすすめのレストランを教えてくれないか?」
「そうですね……<気ままな妖精猫亭>がおすすめです。料理は美味しいし、店主がとても良い方なんですよ」
「ふむ、それではその店に行くか。王都の度の辺りにある?」
フレイヤとハーディが話していると、支払いを終えたマドゥルスがやって来て懐から地図を取り出す。
真新しい地図のようだが、よく見ると幾度も折りたたんだ跡がある。きっと、何度も取り出しては道を確認していたのだろう。
「よろしければ、私が案内しましょうか?」
「案内してくれたら嬉しいが、仕事中にいいのか?」
ハーディは眉尻を下げて申し訳なさそうな表情になる。
「ええ、異国の街は勝手がわからず歩きづらいでしょうし、現地で道を知っている者が案内した方がより安心して街を楽しめるでしょうから任せてください」
「ルアルディ殿の気遣いに感謝する。実は三日前に王都に来てから毎日、道に迷っていてな。案内してもらえるなら非常に助かる」
やはりバーディたちは異国の街で道に迷っていたらしい。お節介かと思っていたが、申し出て良かったとフレイヤは安堵した。
「俺も一緒に案内します。この時間は人の行き来が多くなるので、万が一のために人数が多い方がいいですから」
レンゾはそう言うと、フレイヤの隣に並ぶ。
ハーディたちがいる手前、本当の事は言えないが、内心はフレイヤを心配しているのだ。
フレイヤはエレナとアレッシアに留守を頼み、コルティノーヴィス香水工房を出た。
***
工房の外に出ると、バーディもマドゥルスもフードを深く被った。王都の街の人と容姿が異なるため、フードを被らないと目立って歩きにくいのだと言う。
確かに二人の顔立ちや肌の色は目立つだろうし、おまけに二人とも美形だ。
美形は大変だなと、フレイヤは密かに思うのだった。
昼時の王都は賑わっており、道沿いに並ぶ露店はどこも人で一杯だ。
露店からは美味しそうな食べ物の香りが漂っており、フレイヤは少し空腹を感じた。
ハーディは物珍しそうに露店を見ていたが、急にきょろきょろと辺りを見渡す。
「この街はどこへ行っても潮の香りがするな。ここは海から少し離れているのに、微かに匂う」
「ええっ?! 食べ物の香りではなく潮の香りがするんですか?」
レンゾはくんくんと鼻を動かして香りを嗅ぐが、小さく首を傾げて「わからないな」と呟く。
「この街でずっと生活していると鼻が慣れてわからなくなりますが、確かにこの街は風に運ばれて潮の香りが漂っていますね。故郷に帰省して戻ってくる度に潮の香りが出迎えてくれるような気がするんです」
「ルアルディ殿の故郷はどこなんだ?」
ハーディが興味深そうに問う。エイレーネ王国の他の街も気になるらしい。
「コルティノーヴィス伯爵領のロードンです。バラの花の香りがする街なんですよ」
「コルティノーヴィス……もしかして、コルティノーヴィス香水工房の工房長はそこの領主か?」
「いえ、領主は工房長のお姉様です。工房長も領主様も、とてもいい方なんですよ。特に工房長は、調香師の道を絶ちそうになった私を助けてくださったのです」
当時のことを思い出しながら話すフレイヤを、ハーディは柔和な微笑みを浮かべながら見守る。
「仕えている者たちから信頼されているのだから、コルティノーヴィス卿は素晴らしい方に違いないな。……商談の日が楽しみだ」
ハーディは黄金色の目を細めると、手に持っている香水瓶に視線を落とす。
そのラベルに書かれている、コルティノーヴィス香水工房の文字をじっと見つめるのだった。
***
工房を出て十五分ほど歩くと、フレイヤたちは<気ままな妖精猫亭>に到着した。
扉を開くと、パルミロとフラウラが笑顔で迎えてくれる。
「フレイちゃん、いらっしゃい。昼に来てくれるのは珍しいな」
『いらっしゃい、フレイ。ちょうど新しいデザートの試作品を作っていたところだから。食べてみて!』
店内には甘い香りが漂っている。イチゴの香りもするから、イチゴを使ったデザートなのだろう。
フレイヤは甘い香りの誘惑にくらりとした。
「新しいデザート! ……た、食べたいけどまた今度にするね。実はお客様を案内していたところなの」
一瞬だけデザートに気を引かれてしまったフレイヤは、コホンと咳ばらいをして気を取り直す。
「ハーディさん、マドゥルスさん。この人が<気ままな妖精猫亭>の店主のパルミロさんで、となりにいるのは妖精猫のフラウラです。――パルミロさん、フラウラ、この方はイルム王国から来た商人のハーディさんと、護衛をしているマドゥルスさんだよ」
「イルム王国から来たのか! ようこそ、エイレーネ王国へ。とびきり美味いもんを作るから、食べたいものがあれば言ってくれ。それと、食べれない物も教えてくれると助かる」
パルミロがニカリと笑うと、ハーディは笑顔で、マドゥルスは無表情のままパルミロに挨拶を交わした。
「それにしても、妖精猫を見れるとは感激だな。生まれて初めて妖精を見たよ。妖精は人間の目には見えない存在だと聞いたが、どうしてフラウラの姿は見れるんだ?」
ハーディは感激した表情でフラウラをまじまじと見つめる。魔法を使える者がいない国では妖精と契約を結べる者もいないため、妖精の姿を見る機会はないらしい。
「人間と契約を結んだ妖精の姿は見えるようになるんです。妖精が望めば、の話ですが」
「なるほど、魔法世界は奥が深いな」
ハーディが屈んでフラウラに顔を近づけたその時、フラウラの毛がぶわりと逆立つ。
『シャーッ!』
いつもは人の言葉を話すフラウラには珍しく、まるで威嚇する猫のような声を上げて、店の奥に引っ込んでしまった。
「フラウラ、どうしたんだ?!」
パルミロが慌てて追いかける。ややあって、店さきまで戻ってきた。
「フラウラは大丈夫ですか?」
「いや、店の奥に隠れて出てこないんだ。いったいどうしたのやら……」
パルミロはハーディとマドゥルスに、驚かせて済まないと謝罪した。
ハーディは笑顔で、「きっと私たちがフードを被っていたから怖かったのだろう」と言う。
パルミロはまだフラウラのことを心配している様子だが、ひとまずハーディとマドゥルスを席に案内して料理を始めた。
「フレイちゃんとレンゾさんも食べていくかい?」
「そうしたいのはやまやまだけど、エレナさんとアレッシアさんに留守をお願いしているから戻らないといけないの」
「それなら戻らないといけないな。また今度おいで」
「うん、また来るね。フラウラにもよろしく」
フレイヤとレンゾは、パルミロとハーディとマドゥルスに別れを告げて店を出る。扉を閉めたところで、不意に小さな影が飛び出してきてフレイヤの足元にしがみついた。
驚いたフレイヤの視界に映るのは、フレイヤのスカートにしがみつく妖精猫――フラウラの姿だ。
「わあっ、フラウラ! さっきはどうしたの? 大丈夫?」
『ねえ、お願い。あの客たちがいなくなるまで工房にいさせて!』
フラウラはイチゴのような赤い瞳を潤ませて見上げる。
『あなたが連れて来たハーディという客、あれは何なの? とても気味の悪い魔力を感じたわ。まるで人に化けた魔物のようで、とても怖いの』
そう言ったきり、フラウラは黙って震えている。
「ハーディさんが、気味の悪い魔力を持っているなんて……」
少なくともフレイヤは感じ取れなかった。他者の魔力を感じ取れるのは、魔力量が多く高度な魔法が使える魔導士くらいだ。
たった二日だけだが、言葉を交わしてみても違和感はなかった。しかしフラウラがここまで怯えているのだから、なにかあるのだろう。
フレイヤはフラウラを抱っこすると、窓越しにハーディとマドゥルスの姿を見つめた。
フレイヤは香水瓶の蓋を閉めると、 ハーディに手渡す。ハーディは今までの落ち着いた表情を崩し、まるで宝物を貰った子どものように目を輝かせて香水瓶を両手で受け取った。
「今ここでこの香水をつけてもいいだろうか?」
「あいにくここでは香りが混ざってはいけないのでご遠慮いただいていますが、一階でしたら大丈夫ですよ」
「よし、それではさっそく一階に下りよう」
一階へ降りると、ハーディはさっそく香水をつけてみた。
手首や足元にシュッと吹きかける度に、木陰の下で涼んでいる時のような爽やかな香りがする。
ハーディは気持ちよさそうに目を閉じて深呼吸した。
「心が穏やかになる香りだ。この香りさえあれば辛い事も乗り越えるだろう」
「ふふっ、そう言っていただけると調香師冥利につきます」
フレイヤはハーディの言葉に心からの笑みを浮かべる。
店内には四~五人ほど客が来ており、ハーディから漂う香水の香りを嗅いでは、自分たちも似たような香りを特注で依頼したいものだと隣にいる者と話すのだった。
「そういえば、支払いがまだだったな」
「支払いはあちらのカウンターでお願いします」
「わかった。――マドゥルス」
ハーディが名を呼ぶだけで、マドゥルスは首肯してカウンターへ行き、エレナに代金を支払う。
本来なら護衛がそこまでしないだろう。やはりハーディとマドゥルスはただの商人とその護衛ではないようだ、とフレイヤは心の中で推測する。
「もう昼時だな。フレイヤ殿のおすすめのレストランを教えてくれないか?」
「そうですね……<気ままな妖精猫亭>がおすすめです。料理は美味しいし、店主がとても良い方なんですよ」
「ふむ、それではその店に行くか。王都の度の辺りにある?」
フレイヤとハーディが話していると、支払いを終えたマドゥルスがやって来て懐から地図を取り出す。
真新しい地図のようだが、よく見ると幾度も折りたたんだ跡がある。きっと、何度も取り出しては道を確認していたのだろう。
「よろしければ、私が案内しましょうか?」
「案内してくれたら嬉しいが、仕事中にいいのか?」
ハーディは眉尻を下げて申し訳なさそうな表情になる。
「ええ、異国の街は勝手がわからず歩きづらいでしょうし、現地で道を知っている者が案内した方がより安心して街を楽しめるでしょうから任せてください」
「ルアルディ殿の気遣いに感謝する。実は三日前に王都に来てから毎日、道に迷っていてな。案内してもらえるなら非常に助かる」
やはりバーディたちは異国の街で道に迷っていたらしい。お節介かと思っていたが、申し出て良かったとフレイヤは安堵した。
「俺も一緒に案内します。この時間は人の行き来が多くなるので、万が一のために人数が多い方がいいですから」
レンゾはそう言うと、フレイヤの隣に並ぶ。
ハーディたちがいる手前、本当の事は言えないが、内心はフレイヤを心配しているのだ。
フレイヤはエレナとアレッシアに留守を頼み、コルティノーヴィス香水工房を出た。
***
工房の外に出ると、バーディもマドゥルスもフードを深く被った。王都の街の人と容姿が異なるため、フードを被らないと目立って歩きにくいのだと言う。
確かに二人の顔立ちや肌の色は目立つだろうし、おまけに二人とも美形だ。
美形は大変だなと、フレイヤは密かに思うのだった。
昼時の王都は賑わっており、道沿いに並ぶ露店はどこも人で一杯だ。
露店からは美味しそうな食べ物の香りが漂っており、フレイヤは少し空腹を感じた。
ハーディは物珍しそうに露店を見ていたが、急にきょろきょろと辺りを見渡す。
「この街はどこへ行っても潮の香りがするな。ここは海から少し離れているのに、微かに匂う」
「ええっ?! 食べ物の香りではなく潮の香りがするんですか?」
レンゾはくんくんと鼻を動かして香りを嗅ぐが、小さく首を傾げて「わからないな」と呟く。
「この街でずっと生活していると鼻が慣れてわからなくなりますが、確かにこの街は風に運ばれて潮の香りが漂っていますね。故郷に帰省して戻ってくる度に潮の香りが出迎えてくれるような気がするんです」
「ルアルディ殿の故郷はどこなんだ?」
ハーディが興味深そうに問う。エイレーネ王国の他の街も気になるらしい。
「コルティノーヴィス伯爵領のロードンです。バラの花の香りがする街なんですよ」
「コルティノーヴィス……もしかして、コルティノーヴィス香水工房の工房長はそこの領主か?」
「いえ、領主は工房長のお姉様です。工房長も領主様も、とてもいい方なんですよ。特に工房長は、調香師の道を絶ちそうになった私を助けてくださったのです」
当時のことを思い出しながら話すフレイヤを、ハーディは柔和な微笑みを浮かべながら見守る。
「仕えている者たちから信頼されているのだから、コルティノーヴィス卿は素晴らしい方に違いないな。……商談の日が楽しみだ」
ハーディは黄金色の目を細めると、手に持っている香水瓶に視線を落とす。
そのラベルに書かれている、コルティノーヴィス香水工房の文字をじっと見つめるのだった。
***
工房を出て十五分ほど歩くと、フレイヤたちは<気ままな妖精猫亭>に到着した。
扉を開くと、パルミロとフラウラが笑顔で迎えてくれる。
「フレイちゃん、いらっしゃい。昼に来てくれるのは珍しいな」
『いらっしゃい、フレイ。ちょうど新しいデザートの試作品を作っていたところだから。食べてみて!』
店内には甘い香りが漂っている。イチゴの香りもするから、イチゴを使ったデザートなのだろう。
フレイヤは甘い香りの誘惑にくらりとした。
「新しいデザート! ……た、食べたいけどまた今度にするね。実はお客様を案内していたところなの」
一瞬だけデザートに気を引かれてしまったフレイヤは、コホンと咳ばらいをして気を取り直す。
「ハーディさん、マドゥルスさん。この人が<気ままな妖精猫亭>の店主のパルミロさんで、となりにいるのは妖精猫のフラウラです。――パルミロさん、フラウラ、この方はイルム王国から来た商人のハーディさんと、護衛をしているマドゥルスさんだよ」
「イルム王国から来たのか! ようこそ、エイレーネ王国へ。とびきり美味いもんを作るから、食べたいものがあれば言ってくれ。それと、食べれない物も教えてくれると助かる」
パルミロがニカリと笑うと、ハーディは笑顔で、マドゥルスは無表情のままパルミロに挨拶を交わした。
「それにしても、妖精猫を見れるとは感激だな。生まれて初めて妖精を見たよ。妖精は人間の目には見えない存在だと聞いたが、どうしてフラウラの姿は見れるんだ?」
ハーディは感激した表情でフラウラをまじまじと見つめる。魔法を使える者がいない国では妖精と契約を結べる者もいないため、妖精の姿を見る機会はないらしい。
「人間と契約を結んだ妖精の姿は見えるようになるんです。妖精が望めば、の話ですが」
「なるほど、魔法世界は奥が深いな」
ハーディが屈んでフラウラに顔を近づけたその時、フラウラの毛がぶわりと逆立つ。
『シャーッ!』
いつもは人の言葉を話すフラウラには珍しく、まるで威嚇する猫のような声を上げて、店の奥に引っ込んでしまった。
「フラウラ、どうしたんだ?!」
パルミロが慌てて追いかける。ややあって、店さきまで戻ってきた。
「フラウラは大丈夫ですか?」
「いや、店の奥に隠れて出てこないんだ。いったいどうしたのやら……」
パルミロはハーディとマドゥルスに、驚かせて済まないと謝罪した。
ハーディは笑顔で、「きっと私たちがフードを被っていたから怖かったのだろう」と言う。
パルミロはまだフラウラのことを心配している様子だが、ひとまずハーディとマドゥルスを席に案内して料理を始めた。
「フレイちゃんとレンゾさんも食べていくかい?」
「そうしたいのはやまやまだけど、エレナさんとアレッシアさんに留守をお願いしているから戻らないといけないの」
「それなら戻らないといけないな。また今度おいで」
「うん、また来るね。フラウラにもよろしく」
フレイヤとレンゾは、パルミロとハーディとマドゥルスに別れを告げて店を出る。扉を閉めたところで、不意に小さな影が飛び出してきてフレイヤの足元にしがみついた。
驚いたフレイヤの視界に映るのは、フレイヤのスカートにしがみつく妖精猫――フラウラの姿だ。
「わあっ、フラウラ! さっきはどうしたの? 大丈夫?」
『ねえ、お願い。あの客たちがいなくなるまで工房にいさせて!』
フラウラはイチゴのような赤い瞳を潤ませて見上げる。
『あなたが連れて来たハーディという客、あれは何なの? とても気味の悪い魔力を感じたわ。まるで人に化けた魔物のようで、とても怖いの』
そう言ったきり、フラウラは黙って震えている。
「ハーディさんが、気味の悪い魔力を持っているなんて……」
少なくともフレイヤは感じ取れなかった。他者の魔力を感じ取れるのは、魔力量が多く高度な魔法が使える魔導士くらいだ。
たった二日だけだが、言葉を交わしてみても違和感はなかった。しかしフラウラがここまで怯えているのだから、なにかあるのだろう。
フレイヤはフラウラを抱っこすると、窓越しにハーディとマドゥルスの姿を見つめた。


