知ることと知らないこと


例えばさ、ポケットWi-Fiで通信制限がある人がサードパティアプリを使ってYoutubeの楽曲をダウンロードしたとしてさ。

それが1時間超えの長いMixであることと、毎回聴くときは繰り返してリピート再生をすることが理由だとして。

それでも、投稿者の方が動画に広告をつけていたら、毎回「最初の1度目の再生は、できるだけYoutubeで再生をするようにしよう」と心がけているとして。

そのことも人によって善し悪しの評価が割れたりもしてさ。

価値観がひとつではない以上はそれが自然なことだし、否定や肯定や無関心、それ以外も勿論とある訳で。

そう言った中で何が最良かを考えたときに、詰まるところは各々の主観や性格と、身の回りのサイズで収まる訳で。

世の中にはあまりにも便利で賢い言葉がありふれているから。

ものは言い様だねなんて見解までもがあったりして。

別の場所ではとあるゲームで、ハンドルネームが「挨拶は最低限のマナー」と言う人が居てさ。

そのゲームはチャットのON/OFFの切り替えボタンがあるのだけど、
そのボタンをオフにすると相手のメッセージが表示されないのだけども。

オフにする人って色んな理由があると思うんだ。

隙間時間で入場をしている人、通信制限があるので省エネにするために機能をなるべくシンプルにしている人、
チャットが億劫な人、チャットで嫌な思いをしたことがある人、
人見知りで恥ずかしがり屋の人、なんとなく、
消音モードでないといけない人、入力があるとゲームに集中できない人、初期設定のままの人。

だけどさ、そのハンドルネームの人は、チャットがオフの人を「礼儀に欠ける人」に限定をしてしまっている訳だよね、
これってさ、ちょっと勿体無いかなぁ…って思ったり。

だってさ、上記に書いた人を1人ずつ、全員と話す機会があったら、きっとその名前を使うことってないと思うんだ。

もしかしたらさ、そうした可能性を含む人を未知だと思っていて、話をしてみたいと思っている探究心の裏返しかもしれない。

それなのに、きっと大半の人は誤解をして、その人のことを心の中っで避けてしまうとおもうんだ。

共感をする人は一握りで、大半は巻き込み回避。

たださ、それでも本人が強く伝えたいことがあったり、何か熱い気持ちがあったり、
それでも良いと納得をしているのなら、
それはこちらの余計なお世話になってしまうのだよね。

言葉ってけっこう難しくて、そんな風に考えていたら何にも言えない。

だからこそさ、相手を知ることって大切だとおもうし、決めつけもしない方が良いと思うんだ。

色んな人がいるから、知ろうとする事を怠らずに、日々積み重ねて行ったらさ、
大抵のことには寛容になってくる、だから、
イライラしてしまったり、心が荒んでしまった時は、
ちょっと疲れているだけとか、視野が狭くなってたかなとか。

そこに留まらない努力を積み重ね。

それもそれで大変だし、一長一短。
もちろん、つらい時もあるけども。

同じような感情を抱くのなら、そっちの方がいいなって。
ささやかだけど。