「不眠症気味って言ってたよねー」
「んなもん、女を釣る口実に決まってんだろ」
「ふーん?そうなんだ」

 初めから“遊びで一晩だけ”と宣言していれば、特に面倒なことはない。
 後腐れなく、ただ享楽にふける。愛情がなくてもセックスは出来るし快感も得られるから、それを望む女はたくさんいた。

 浅ましいと思うか、自分の欲望に正直で清々しいと思うか。人によるだろうが、オレからすれば心を求められないのは楽だった。

「……この枕、気持ちいいな」
「でしょ?枕にはこだわりあるんだぁ。また寝に来てもいいよ!」
「もう来ねぇよ」
「えーなんでぇ?別に彼女にしてって言ってるわけじゃないのに」
「思い入れってのが嫌いなの。んじゃ、おやすみ」
「寝ないでよー!もう1回しようよー!」
「もう2回もしたじゃねぇか」

 性欲に忠実で貪欲。分かりやすくて有り難くはあるな。

 誰かを愛することなんて、きっともうない。求めるから狂う。求めるから際限なく欲望が湧いてくる。初めから相手に何も期待しなければ、苛立つことも傷つくこともない。他人に感情を乱されるのは懲り懲りだった。

「ねぇねぇー!寝ないでってばー」
「うっせぇな。分かったよ」

 体を揺さぶられたので渋々応じると、女が嬉々として抱きついてくる。こいつの名前は何だったか。もう一度尋ねようとも思わなかった。

 翌朝、頭が働かないまま帰宅し、支度を済ませて学校へ行く。いつものパターンだ。

 料理ができなくても、飲食店やデリバリーで食欲を満たせる。一晩限定で抱ける女がいれば、性欲と睡眠欲も何とかなる。十分、生きていけるじゃないか。

 それなのに、どうしてこんなに息苦しいんだ。呼吸の仕方が分からなくなる。目の前が暗転して、思わずその場にうずくまった。

 この部屋はまだ、菫色(すみれいろ)が濃い。どれだけ上から重ねても浮かび上がってくる。塗り替えられる気は、まったくしない。

 違う女を何人抱いても、あの肌の感触を思い出してしまう。忘れたいのに忘れられない。時薬(ときぐすり)なんて、本当にあるのだろうか。それなら早く、この苦しみから解放してくれ。
 
「まだ過呼吸続いてんの?」

 ある日、本を借りに家へ来た翔流に尋ねられた。

「あぁ、治ってねぇな」
「苦しい?」
「死にそうなぐらい苦しい。手足が痺れて、めまいもするし。家にいると出るんだよな」
「……そっか」

 なんでお前が泣きそうな顔になるんだよ。

 翔流は、オレが毎晩のように遊び歩いているのを知っていた。以前なら小言攻めにあっていたと思うが、最近は何も言わない。ただオレを心配してくれているのは、ひしひしと感じる。

 本当に、何をやっているんだろうな。自分が情けなくて仕方ない。
 このままでいいとは思っていなかった。どうにか抜け出したい。それなのに、この日もまた夜の街へと繰り出した。