ただ混乱していることだけが確かだった。
私の様子を眺めながらしばらく黙っていた彼女だったが、何かを決意したかのようにこう口にしたのだった。
あなたがエベレスト先生を殺したせいなのよ、あなたのせいで私が死んでしまったのよと。
そこでようやく合点がいったのだった やっぱり沙世子は死んでいたんだ 沙世子が自殺した理由は、私が沙世子のお母さんに対して余計なお節介を焼いてしまったせいだということに。
でも、あの時はそうするのが最善だと思ったのだから私は悪くないとずっと思っていた。
それに、沙世子は自殺ではなく他殺だったという話を聞かなかっただろうか?沙世子が亡くなったというニュースは流れていたけれど犯人の手がかりが見つからなかったため自殺と断定されたという内容のニュースが、一時期テレビで流れなかっただろうか?それなのに何故私が殺したなどという話が浮上することになったのだろうか。
エベレスト先生からチョモランマ拳法を習った後くらいからだったと思うのだけれども、何故か私を変な噂が駆け巡るようになったのだ。
その発端は、やはりエベレスト先生が原因であることは間違いなさそうだ。
私は沙世子の死を知って以来、自分の力だけで沙世子を救える方法を模索することにした。
そのために必要な知識を得るため、私は独学でエベレスト先生に教えてもらった拳法を磨くことに日々を費やし続けた。
それから半年ほど経ったある日のことだった。
たまたま廊下を歩いている時に、すれ違った生徒の一人に呼び止められ、話しかけられた。
その時私は、いつものように無視しようと思ったが思い直して、相手の方へと振り返ることにしたのだ。
何故なら私はその相手に見覚えがなかったからだ。
その相手が女子だったために、尚更面識のない人物であると判断したのだ。
相手から発せられた第一声を聞くまでは、そうだったのだ 。
そうだったのだ そう、その相手というのが、同じクラスの女の子で、沙世子の親友であるはずの、花野井杏子さんだったのですよ 花森紗英が文芸部の部長に就任したのは昨年の冬頃だった。
その頃になると文芸部員たちはそれぞれの人間関係を構築しており、自然と部活動内でも友人同士で集まることが多くなっていた。
だが、その中でもとりわけ親密そうな関係を築いている二人がいた。
一人は沙世子で、もう一人が玲だった。
花野井はその二人から一歩引いた距離感を維持し続けていた。
沙世子と仲が良すぎるのも沙世子が気まずくなるかもしれないと思い距離を取ろうとしたのだろうが、傍から見れば、それは沙世子を遠ざけているようにしか見えなかっただろう。
また玲にしてもそうである。
二人の関係はただのクラスメイトの域を超えていたが、それを察することができるほどの洞察力を持つ人間はいなかっただろう。
沙世子は玲のことを親友だと言っていた。
沙世子の交友関係は広く、どの人とも一定の信頼関係があるように見えた。
しかし一方で、特定の人物に対しては深い付き合いをしないように思えた。
そのためか花森紗英は少し疎外されているように感じたことはあったが特にこれといって気にすることはなかっただろう 文芸部は今年度の活動を終了し三年生は自由登校になっていたが、花森紗英は受験勉強の傍ら部長の仕事を全うしようとしていた その日は二学期の終業式だった。
文芸部には既に引退済みの三年生が何人かおり放課後になると部室に集まっていたが会話をする者は誰一人いなかった 花森は本を読み耽り、時々溜息をつくばかりで会話に加わることもなく過ごしていた すると不意に扉が開かれたかと思うと玲が入室してくるのが見えた 。
玲はそのまま一直線に窓際まで向かうとカーテンレールに手をかけて、その場で大きく深呼吸を繰り返し始めたのだった。
その玲の様子を見ながら花森は思った。
玲はどうやら沙世子のことが好きだったようだと、しかも沙世子の方も玲のことを好きだったのではないかと。
だが、玲の様子がどうにもおかしかった。
玲の目は明らかに普通ではないような印象を受け取れた。
そして次の瞬間、玲は大きく頭を振り下ろすと床に崩れ落ちるのが見えた その後すぐ花畑沙世子も姿を見せたのだが、どうも玲の姿を見つけて慌てて駆けつけて来た様子であった。
「玲!!どうして?何があったの?」と、沙世子は大きな声で叫びながらその場にへたり込んでしまう。
沙世子の様子を見かねたのか、部長の花森紗英は立ち上がって「とりあえず、保健室の先生呼んでくるね」と言って教室から出て行く
「私に任せておいて!」と部長に続いて声を上げたのはサンダーソニアだった。
花鳥は、文芸部に出入りする唯一の三年生であったが玲は彼女の存在には気が付いていないようだった。
玲にとって彼女は他の生徒と同じように認識できない異質の存在として捉えていたようである。
一方、
「ありがとう」
沙世子の声からは動揺が消え失せており冷静な口調へと戻っていた そして玲に向かって手を伸ばし始める
「大丈夫、大丈夫だから落ち着いて。
私はここにいるから」
沙世子は優しく玲に呼びかけていた だが玲は返事をしない
「ごめんね、辛い思いをさせて。
でも大丈夫だから」
「うぅ……ぁあああ……沙世子……」
玲の表情には苦悶の感情が強く表れ始めていた。
沙世子には見えていないようで、ひたすら大丈夫だと繰り返して玲の頭を撫で続けていた。
次第にそれも無意味なものだと悟り始めるとそのまま玲を強く抱きしめた。やがて我に返ると、ゆっくりと身体を離す。
すると玲の顔には再び笑みが戻っていて、安心しきったかのような表情を浮かべながら眠りに落ちてしまったようだ。
再び顔つきが変わると沙世子の首に両手をかけるようにして強く握りしめた。
そして、さらに力を強めようとした。
沙世子は首を絞められるのを予測してあらかじめ覚悟を決めていたので意識を失うことはなかった。
窒息しそうになるほど強い力だったのだけれど何とか耐え続けることができている状態が続いていた。
力尽きる前に悲鳴を聞いたのか、それとも何か別の気配を感じ取ってしまったのかは分からない。
急に玲の手から力が抜けたかと思うとそれとほぼ同時に今度はまるで魂が抜け出たように脱力したように沙世子の肩に倒れ込んだ。
沙世子はすぐに首に回されていた手を解こうとする だがその時に玲は突然、声にならない叫び声を上げるのだった そして次の瞬間沙世子の耳には聞こえてきたのは玲の言葉だった。
玲は必死に謝っているような素振りを見せるが、それが謝罪の意を伝えているわけではないということをすぐに察することができたのだけれどその理由を知る前に沙世子は意識を失った。
次に目が覚めるとそこは保健室だった。
そこで紗英から沙世子が何をしたのかという説明を受けた。
「実はあなた達が抱き合っているところを見た後しばらくしてからなんだけど、急に玲が倒れたと思ったらその時にはもうあんな状態でいたみたいなのよ」
「私がもっと早く気づいていればこんなことにはなってないのに、ごめんなさい。
玲を助けられなくて本当にごめんなさい」と沙世子は泣き出してしまったが、その姿を見て玲も自分のしたことを知ったようだ。