「なるほど、今日行ってもいいかな?」



 突然の寺内の提案に、篠田は「はい?」と戸惑いの声をあげた。



「いや、だからね。俺らが予定時間通りに終わらせる。そして、篠田君は誰にも迷惑をかけずに居酒屋へ行ける。うん。俺たちの労力や頑張りを犠牲にしてね。でも、俺たちにも報酬は必要だ。酒と言う名のね」



 寺内はやや回りくどい表現で言った。篠田も寺内の要求を理解したようだった。



「あぁ、いいですよ。でも、1杯くらいは注文しないとダメですよ?」



 篠田の反応は、こんなの慣れっこですという感じだった。要するに、寺内は篠田を通じて、こっそりと無料で酒を楽しもうとしていたのだ。寺内は「これが人脈の力ってやつさ」と言いたげに、満足そうな表情を浮かべていた。



「それじゃ、決まりだな。岡崎さんも来ますよね?」ね、アニキ!と言わんばかり態度で充に声をかける寺内。



「ごめん。夕食の材料が家にあるからさ作らないと」

「自炊ですか?いいですね。でも、いいじゃないすかたまには外食も。なんたって1杯の料金で飲み放題ですよ?」

「いや、作るのは僕の分だけじゃないからさ」

「あれ、確か以前、岡崎さんって実家暮らしじゃないって―」



 と寺内が言いかけたところで、寺内の脳内が活発に動き出した。岡崎さんは実家暮らしじゃない。もし、友達が遊びに来てたらどうだ?いや、普通はそんなことより飲みに行くだろ。それなのに断る。俺が同じ立場で同じように断るとしたら―――




 寺内によって、その答えが導き出された。



「ま、まさか、おんな」



 それは、寺内が心のどこかで完全に否定していた答えでもあった。



「彼女さんですか?」篠田が興味深げに尋ねた。



「うん、女の子だけど、その、まあ」



 充の曖昧な答えに、寺内は心臓で、何かが割れるような音がした。——気がした。彼女がいるのか。今まで岡崎さんはそんな素振りを一切見せていなかったのに。自分と同類だと思っていたのに。



「それじゃあ、寺内さんだけでも飲みに来ます?」と篠田が何食わぬ顔で尋ねる。



「いや、大丈夫です」



 寺内は、なぜか敬語で答えた。その言葉の変化に気づく者は誰もいなかった。




 寺内は普段、仕事中に無駄話をして現場監督によく怒られる。しかし、今日は一度も現場監督に怒られることはなかった。むしろ、作業終了時には、一番精を出していたと現場監督に褒められていた。