「急にあんな風になったわけじゃないの」
「お姉ちゃんのことがあったから?」
「…それよりもずっと前。物心がついた頃、三歳か四歳の頃には、ママはもうあんなだった」
目をつむってその当時を思い出そうとする。
無理して記憶を辿らなくても、すごく小さい頃のことなのに、不思議と鮮明に思い出せた。
「お姉ちゃんのこと話した時に言ったでしょ。私は本当の父親の顔は知らなくて、ママは再婚する前は一人で私とお姉ちゃんを育ててた」
「大変だったんだね」
「そうだね。すごく、そうだったと思う。おじいちゃんもおばあちゃんも私にとっては最高の祖父母でさ、二人の愛情はすごく感じてた。でも目の届かないところで私もお姉ちゃんもよく手をあげられてた」
「なんでそんなこと…」
「はっきりとした理由があったわけじゃないと思う。ていうか理由なんてなんだって良かったんだと思う。夜にちゃんと寝ないとか騒ぐとか、買ったばかりの傘を無くしたとか、ご飯を残したとか。そのほとんどの矛先はお姉ちゃんだった」
「ヨヅキは大丈夫だったの?」
ゆるく首を振った私を見て、春華は痛ましそうに目を細めた。
「叩いたり時々は蹴飛ばされたり。さっきみたいに手当たり次第に物を投げられたり。でも私はまだ小学校にも通っていないくらいだったから。お姉ちゃんなんてもっと酷かった。事あるごとに、まるでお姉ちゃんを痛めつける為に理由を探してるみたいだった。夜中じゅう、ずっと正座させられて眠らせてもらえないことも何度もあった。お姉ちゃんはイジメだけが原因だったわけじゃない。もうずっと…ずっと…お姉ちゃんは壊れてたんだと思う…。それでも私の為に“お姉ちゃん”を続けてたんだと思う。だから高校の時のことがあって、張り詰めてたお姉ちゃんの糸は簡単に切れた。ママとの絆なんて本当はずっと無かった」
春華がゆっくりと私の背中をさすってくれる。
「大丈夫?もう辛いよな。もうやめてもいいから」
「ううん…。春華には聞いて欲しい」
「…分かった。ママさんはなんでそんな風になっちゃったんだろう」
「私の本当の父親に暴力を振るわれていたことも愛されなかったことも原因だし、育児ノイローゼにもなってたと思う。おじいちゃんもおばあちゃんも居るのに意地になって、気づいた時には後戻りできなくなってた」
「再婚してから変わったの?」
「多少はね。家に居る時間が長くなって、私も小さい子どもじゃないからある程度のことは自分だけでできるし。だいぶ穏やかにはなってたかな。お姉ちゃんのことも最近は恨んでるってほどでも無かったし。でもまた、私が引き金を引いちゃったんだね。自分のことが憎いから私が嫌がらせをしてるって思ってる。そうだよね。ちょっと考えれば分かったことなのに。私は自分の目の前のことしか見えてなかったんだ」
「そんなこと無いよ。怖くて逃げようとしたのは本当かもしれないけど、親友を守ろうとしたことも事実だし。ヨヅキはずっと耐えて我慢して生きてきた。だから俺はヨヅキの為に力を使うよ。大好きな人を守る為に」
「春華…」
春華が私を想ってくれる分だけ、私は未来が怖くなる。
春華が居ない世界でなんて一人じゃ生きていけない。
居なくなってしまうだけ。
また元の生活に戻るだけ。
でも春華と出会う前の自分と同じようには、もう戻れない気がした。
もっと怖いのは、そう思うことすら間違ってるということ。
だって春華は綺麗さっぱり居なくなる。
記憶ごと。ここに居た証拠なんて何も残さずに。
だから…お願い。
君がずっとここに居てくれるようにお願いしてもいいかな。
春華が元の世界に戻りませんように。
一生私のそばで生きてくれますように。
私にはそう願うチャンスが残されていた。
「お姉ちゃんのことがあったから?」
「…それよりもずっと前。物心がついた頃、三歳か四歳の頃には、ママはもうあんなだった」
目をつむってその当時を思い出そうとする。
無理して記憶を辿らなくても、すごく小さい頃のことなのに、不思議と鮮明に思い出せた。
「お姉ちゃんのこと話した時に言ったでしょ。私は本当の父親の顔は知らなくて、ママは再婚する前は一人で私とお姉ちゃんを育ててた」
「大変だったんだね」
「そうだね。すごく、そうだったと思う。おじいちゃんもおばあちゃんも私にとっては最高の祖父母でさ、二人の愛情はすごく感じてた。でも目の届かないところで私もお姉ちゃんもよく手をあげられてた」
「なんでそんなこと…」
「はっきりとした理由があったわけじゃないと思う。ていうか理由なんてなんだって良かったんだと思う。夜にちゃんと寝ないとか騒ぐとか、買ったばかりの傘を無くしたとか、ご飯を残したとか。そのほとんどの矛先はお姉ちゃんだった」
「ヨヅキは大丈夫だったの?」
ゆるく首を振った私を見て、春華は痛ましそうに目を細めた。
「叩いたり時々は蹴飛ばされたり。さっきみたいに手当たり次第に物を投げられたり。でも私はまだ小学校にも通っていないくらいだったから。お姉ちゃんなんてもっと酷かった。事あるごとに、まるでお姉ちゃんを痛めつける為に理由を探してるみたいだった。夜中じゅう、ずっと正座させられて眠らせてもらえないことも何度もあった。お姉ちゃんはイジメだけが原因だったわけじゃない。もうずっと…ずっと…お姉ちゃんは壊れてたんだと思う…。それでも私の為に“お姉ちゃん”を続けてたんだと思う。だから高校の時のことがあって、張り詰めてたお姉ちゃんの糸は簡単に切れた。ママとの絆なんて本当はずっと無かった」
春華がゆっくりと私の背中をさすってくれる。
「大丈夫?もう辛いよな。もうやめてもいいから」
「ううん…。春華には聞いて欲しい」
「…分かった。ママさんはなんでそんな風になっちゃったんだろう」
「私の本当の父親に暴力を振るわれていたことも愛されなかったことも原因だし、育児ノイローゼにもなってたと思う。おじいちゃんもおばあちゃんも居るのに意地になって、気づいた時には後戻りできなくなってた」
「再婚してから変わったの?」
「多少はね。家に居る時間が長くなって、私も小さい子どもじゃないからある程度のことは自分だけでできるし。だいぶ穏やかにはなってたかな。お姉ちゃんのことも最近は恨んでるってほどでも無かったし。でもまた、私が引き金を引いちゃったんだね。自分のことが憎いから私が嫌がらせをしてるって思ってる。そうだよね。ちょっと考えれば分かったことなのに。私は自分の目の前のことしか見えてなかったんだ」
「そんなこと無いよ。怖くて逃げようとしたのは本当かもしれないけど、親友を守ろうとしたことも事実だし。ヨヅキはずっと耐えて我慢して生きてきた。だから俺はヨヅキの為に力を使うよ。大好きな人を守る為に」
「春華…」
春華が私を想ってくれる分だけ、私は未来が怖くなる。
春華が居ない世界でなんて一人じゃ生きていけない。
居なくなってしまうだけ。
また元の生活に戻るだけ。
でも春華と出会う前の自分と同じようには、もう戻れない気がした。
もっと怖いのは、そう思うことすら間違ってるということ。
だって春華は綺麗さっぱり居なくなる。
記憶ごと。ここに居た証拠なんて何も残さずに。
だから…お願い。
君がずっとここに居てくれるようにお願いしてもいいかな。
春華が元の世界に戻りませんように。
一生私のそばで生きてくれますように。
私にはそう願うチャンスが残されていた。



