しばらくエーリエはそれに答えなかったが、ゆっくりと、涙に濡れた瞳を開けて顔を少しだけあげる。彼女が入って来たドアがあけ放されたその先。さあっと雲が晴れ、月が姿を再び見せる。月光がこんなに明るいなんて、と、普段、夜になると家からでなくなる彼女はぼんやりと月の姿を見た。

「綺麗……」
「ああ。綺麗だ」

 ノエルは静かに言葉を続けた。

「暗闇の世界にいたわたしは、そこから救われたと思っていたが、それでも仮面をつけて生活をしていた。不自由を感じなくなったと思っていたが、いざ仮面を取ったら……不思議なもので、何もかもが違う世界がそこにあった」
「え……?」
「おかしいだろう? 仮面をしても、目は普通に見える。そのはずなのに、もっと世界が広がったように感じてな……それまで、自分の視界には必ず仮面の端が見えていた。それは当たり前のことだったから、いつからか気にならなくなっていたが……本当はそうではなかったんだ。それを教えてくれたのは君だ。だから……」

 ノエルはエーリエの瞳をじっと真剣な表情で見る。エーリエはそれから視線をそらすことが出来ず、不安そうに彼を見つめ返すだけだ。

「君と、見たかった。美しい月も、深い夜も、瞬く星も。清廉な空気が漂う朝焼けの姿も、何もかも。君と」
「!」

 そんなことは嘘だ、とエーリエは思う。だが、思った直後にそれを否定した。ノエルは、嘘を言わない。自分にはいつも彼は真摯に向かい合ってくれていた。それを知らないわけがないのだ。

「ノエル様」
「うん」
「ごめんなさい……わたし……ノエル様のことが……好きなんです……」
「うん」

 恥ずかしそうに呟く声は小さい。彼女はノエルの方を見ることが出来ず、まるで独り言のように囁いた。けれど、それは独り言ではないとノエルにはわかる。

「わたしも、君が好きだ」

 ノエルはそう言うと、テーブルの上に置かれたエーリエの手をとった。その手を、すっと彼女の膝の上に置くと、エーリエはその手を見ながら、隣に跪いている彼の方を自然に向いた。絡む視線。

「何度でも言う。君が好きだ」
「ほ、本当に、何度も、おっしゃいますね……」
「嫌なのか?」

 ノエルの言葉に、エーリエはぶんぶんと首を横に振った。まだ目に残っていた涙はそれで飛び散り、頬から顎に伝っていた涙もぽろりと落ちる。

「もう一度だけ、わたしにも言ってくれないか?」
「……わたしも、ノエル様が好きです……」

 そうエーリエが言うと、ノエルはそっと彼女の頬にキスをした。エーリエが「濡れていますので……」とわけがわらかないことを言うと、ノエルは「じゃあ、何度しても問題ないな」と更にわけがわからないことを返したので、エーリエは困った表情になったが彼からのキスを受け入れる。

 これからどうなってしまうのか、エーリエにはまったくわからなかったけれど、ただ、今この瞬間だけは許されたい……そう思いながら、彼女は涙が残る瞳を閉じた。