「エーリエ、これ、大丈夫なのかい?」

 マールトが尋ねるものの、エーリエは文言を繰り返すだけで返答は出来ない。

(煙が細い……呪いの残滓が薄く、広く、体に残っていたからこんなに細く、ゆっくりとしか出てこないのね……わたしの呪いを解いた時には、もっと一気に黒い塊のように出て行ったけれど……)

 煙をすべて石が吸い込んだ後にも、それに気づかず呪文を唱え続けてしまえば、また煙は石から出てノエルの中に戻ってしまう。黒い煙を石に吸い込ませたら、出来るだけ早く封印をしなければいけない。前回は自分の体から出た黒い煙だけを見ていたので、彼から出た黒い煙を見ている余裕がなかった。だが、今回は彼の体から出たものだけをエーリエは見つめる。

 すると、ノエルの体がびくりと動いて咳き込み、苦しそうに呻く。それに一瞬気が逸れそうになるが、エーリエは黒い煙を石に吸い取らせることに集中をした。

(いけない。時間がかかっている。薬草の火が燃え尽きてしまう。間に合わない……? お願い……お願い……!)

 薬草は青く燃えている。視覚では薬草は燃え落ちずに青い炎の芯になっているように見えるが、本当は違う。見えなくとも、緩やかに緩やかに燃え落ちていっているだけだ。それでも、彼女は集中をして呪文を唱え続けた。

 やがて、黒い煙が石にすべて吸収されると、ほぼ同時に薬草が突然燃えがらのようになって炎が消え、ぽとりと落ちた。なんとか間に合った、とエーリエは呪文を切り替え、羽根で石を包んだ。額に脂汗が浮かぶ。呪文を唱えることは、本来魔力も低く、多くの魔法を使えないぐらいの彼女にとっては容易ではない。集中を。集中を。何度も彼女は強く念じながら、正確に呪文を唱える。

「リアース・カートル・ヌンス・アリティンク……リアース・カートル・ヌンス・アリティンク……」

 それから、葉で更にそれを包んで、麻紐で縛りつけようとする。

(出来た……!)

 すると、聖女が「あっ」と声をあげる。それは、自分がノエルに注いでいる力の効き目を感じ取ったからだろう。要するに「効いた」という意味だ。しかし、それで彼が本当に治るのかはまた別問題。少しでも「あの」ポーションを飲ませて彼の命を繋がなければ、とエーリエは必死にマールトに合図を送った。

「ノエル、飲め!」

 彼はノエルの口にポーションを注ぐ。

「ングッ……!」

 しかし、ノエルは再びむせて、口に入れたポーションを吐き出してしまった。それを見た聖女が「ノエル様の上半身を起こして差し上げてください!」と騎士たちに言う。

 騎士に体を起こされたノエルの口に再度ポーションの瓶を押し付け、少しずつ飲ませようとするマールト。もう一度彼はむせたが、その後はなんとか液体を飲み込んだようだった。すると、どうだ。彼の体に起きた変化に、その場にいた人々は驚きで固まってしまう。要するに、そのポーションの効きが早くて凄すぎたということだ。

「!」

 誰もかれも、ノエルの胸の傷がみるみるふさがり、骨が正確な位置に戻ったのか胸部の陥没も突出もなくなっていく様子に唖然とする。そんな治癒魔法もポーションも見たことはない。まるで夢を見ているのかと思うほどで「聖女様ですか……?」と騎士が言えば、聖女はぶんぶんと首を横に振る。

「す、すごいな!?」

 飲ませたマールトも驚いて声が裏返る。様子をうかがっていたユークリッド公爵も「これは……」と言葉を失った。

「エーリエ、君、こんなポーションも作れるのかい?」
「いえ、いえ、それは先代魔女様がお作りになった物で……もう、二度と作れません……その、服を脱がせたのは、服を着ていたらそれまで巻き込んで再生してしまうからで……それぐらいの威力があるんですけど、本当にこんなに効くなんて……」

 すると、再びノエルはむせた。骨が一度折れて内臓を傷つけたのに、その内臓から骨が抜けて正しい位置に戻ったのだ。再生はしていても、刺さったものが抜けた痛みは聖女からの鎮痛の効果を上回ったのか、かなり苦しそうに低く呻く。だが、おかげで彼の意識もぼんやりと戻って来たようだった。体は騎士たちに支えられていたが、半開きの目はエーリエを見ている。

「……エーリエ……?」
「はい」
「エーリエなのか……?」
「はい。ノエル様」

 ノエルの目は焦点があっていない。だが、ゆっくりエーリエの方に彼は手を差し出した。その意味はわからなかったが、エーリエは驚きながらも彼の大きな手を両手で握りしめた。彼の手は冷たかったが、その指はエーリエの手にそっとかけられ、それだけでエーリエは「良かった」と小さく呟いた。

「久しぶりだ……会いたかった……」
「はい、はい、お久しぶりです……!」

 死ぬかもしれなかったところから、そんな呑気なことを。人々は呆れつつも「ノエル様、大丈夫ですか」などと声をかけ、彼がどうして倒れているのか、何があったのかをノエルに説明をする。やがて、エーリエはするりと彼の手を離して

「森に石を封印してきますので、わたしはこれで失礼いたします」

と立ち上がった。