(ああ、それにしても……)

 その時、ふとエーリエは気付く。訓練所に集まっている貴族令嬢たちは、当然のようにみな美しいドレスを纏い、髪も綺麗に結い上げている。そして、なんだかいい匂いがする、と思うエーリエ。

「……」

 そっと、自分の服を見る。茶色い、薄汚れた外套。その下には、質素な無地のひざ下丈のワンピースに、茶色い鞄に、皮の靴。それらは、数年間着用を続けており、少し色あせたり、くたびれたりしている。そのことにようやく彼女は気付いて、かあっと頬を赤くした。

(わたし……わたし、こんな格好で……)

 それまで、そんなことは思ったことがなかった。だが、考えたらずっとそうではなかったか。ポーションを受け取りに来ていた彼らは騎士団の制服を着ていたが、その制服だって、自分の服と比べれば良い仕立てでぴっちりとして、質が良いものだった。それと、自分の服を比較したことなんてなかったが、考えれば、そうだ、ずっとそうだったのだ。

(それに、ノエル様は公爵令息なんですもの)

 彼は、あんなに大きなユークリッド公爵家に暮らしていて、そして、こんなに沢山の女性たちに声援を送ってもらえる立場なのだ……仮面をつけていた頃に彼女たちがどう思っていたのか、なんてことをエーリエは知ることもなかったので、この場を見たままでそう考えた。

 それ以上その場にいることが出来ない、とエーリエはなんだかそわそわとしだす。令嬢たちの噂話に最後まで聞き耳を立てる気力もなく、慌てて踵を返して走り出した。

(わたしって、馬鹿だわ……なんだか、自分がノエル様と対等な気がしていた。でも、そんなわけないじゃない……!)

 貸馬車に戻って、彼女は「もう帰ります」と言った。御者は「はいよ」と言って、馬車を出す。ああ、そうか。自分がこんな格好だったから、ユークリッド公爵家に行くと言った時に、彼は不思議そうに見ていたのだろう……そのことに気付いて、エーリエは更に頬を赤くした。

 森の中にいればわからなかったのに。森から出ても、城下町で買い物をするだけだったらよかっただろうに。なんだかよくわからないけれど、とても自分の心がざわざわとする……とエーリエは思う。一体これは何だろう。この感情はどういうものなんだろう。

(ああ、よく、よくわからないけれど、なんだか……そう。惨めだわ……せめて何か服を新しく買って、着替えてくればよかった……いいえ、それでも……)

 ガタン、ガタン、と揺れる馬車の中、彼女は体を丸めて目を閉じた。ポケットの中にある、マールトから預かったリングと、それからノエルのために新しく作ってみた羅針盤。その両方を、何故か「こんなもの、いらない」と強く思いながら、どうしてかわからずに少しだけ泣いた。



「おかえりなさいませ」

 夕方頃に訓練所から帰宅したノエルに、門兵が挨拶をする。ノエルは、訓練所とユークリッド公爵家の間を徒歩で行き来していた。

「ああ」
「ノエル様、家門の指輪を持った女の子とは、お会い出来ましたか?」
「……うん?」

 何の話だ、とノエルがわずかに首を傾げる。門兵は続けて「茶色い外套を着た女の子がノエル様に会いにいらしたので、訓練所に向かうようにお教えしたのですが……」と告げる。

「何?」

 茶色い外套を着た女の子。家門の指輪を持った女の子。勿論、それがエーリエだと気付かないわけがない。

「訓練所に?」
「はい。貸馬車に乗って来ていたので、貸馬車で訓練所に行くように地図に印を書いたのですが……お会いしていないでしょうか? ええっと……エーリエ様、とおっしゃっていましたが」
「エーリエ? 会っていないぞ」

 ノエルは眉をしかめた。エーリエが自分に会いに? それは、マールトに頼んでいたものが出来たのか、あるいは、何か困ったことがあったから来たのではなかろうか。だが、自分は訓練所で彼女に会っていない。

(まさか、どこかでさらわれたとか……? いや、いや、そんなことは……)

「貸馬車屋は、どこのものだ」
「城下町の外れにある、カーヌラの貸馬車です」

 貸馬車はボックスの側面にどこの貸馬車なのか、エンブレムが入っている。ノエルは慌ててユークリッド公爵家の馬屋に向かい、自分の馬に乗って再び邸宅を離れた。カーヌラの貸馬車屋に向かって馬を走らせる。

 貸馬車屋に着いた頃には、空は暗くなろうとしていた。ノエルは貸馬車屋の受付に行き、今日貸馬車を使った名簿を見せて欲しいと頼んだ。受付の男性は最初は渋っていたものの、ノエルが銅貨を一枚渡したら、あっさりと名簿を開いた。

(エーリエ……あった)

 貸馬車を借りる者、みながみな字を書けるわけではない。書けない者のために、受付の人間が代わりに記入をすることもある。だが、そこには明らかにエーリエが書き込んだと思われる文字があった。彼女が借りた馬車は既に戻って来ていると聞き、ノエルは御者のところへ向かう。

「失礼。今日、あなたの馬車に、女性が一人乗ったと思うのだが」
「うん? ええ、今日は朝にも女性を一人、さっきまでもう一人乗せていましたが、どちらの話ですかね?」
「銀髪で、菫色の目をした、背の高さがこれぐらいの……」
「ああ、茶色い服を着ている子ですかね?」
「そうだ。彼女はここに帰って来たのか?」
「そうですよ。そんで、降りて、あっちに向かって歩いて行きましたけど」

 彼が言う「あっち」は森の方角だ。なるほど、ではエーリエは無事に帰宅をしたに違いない、と安堵のため息をつくノエル。

「差し支えなければ、どこに彼女が行ったのかを教えて欲しいのだが……」
「ええと、ユークリッド公爵家と、王城騎士団の訓練所ですよ」
「ちなみに、訓練所にはどれぐらいの時間いた?」

「そう長くはないですねぇ、降りて、それから、馬車を移動して……大体、10分ぐらいじゃないかな……」

 10分くらい。それぐらいで、一体何が出来るのか。何が起きたと言うのか。自分を探せなかったのか。それにしても早すぎないだろうか。いや、だが、彼女が人の顔を見て酔った可能性もあるし……。

 ぐるぐると仕方のないことを考えながら、ノエルは「わかった。ありがとう」と告げて、ひとまずユークリッド公爵家に戻ったのだった。