それから数年経過をした頃、魔女はペンダントをエーリエに手渡した。

「エーリエ、これを」

「なんですか?」

「あんたのお母さんの形見みたいなものだ」

「形見……?」

「幼いあんたには重すぎたからね。そろそろ、あんたも付けられるかと思ってさ」

 そうして、形見のロケットペンダントをエーリエは受け取った。魔女は、それを「開けてみな」と言う。うまく開けられずにもたもたしているエーリエだったが、魔女は静かに待った。

「あっ」

 やがて、カパッと開いたその中身を見て、エーリエは驚きの声をあげる。

「どうだい。顔が、見えるかい」
「……いいえ、見えないです」

「やっぱりそうかい。そんな気はしたが。本当は、なんとかあんたの呪いを解呪した後に渡したかったんだがそれが叶わなくてね……それは、あんたの母親の肖像画だよ。彼女は、人の姿もしっかり見えないくせに、町に出て、画家とやらに頼み込んでそれを描いてもらったらしい。いつか、あんたが見られますように、とさ」
「見えないですが、この髪はお母さんの髪色です」
「そうさね」

 エーリエはじっと肖像画を見つめた。顔がやっぱり見えない。けれども、記憶にわずかに残っている母親の姿が、ぱあっと脳内に蘇った。勿論その母親にも顔はない。顔はないけれど、自分にとっては大切な人だったのだ。

「わたし、見えなくてもいいです……だって、お母さんの顔、ずっと見えなかったし……だから、顔は見えないけど、これがわたしにとっての肖像画です……」

 そう言うと、何故かエーリエの瞳にじんわりと涙が浮かび上がった。魔女は、それへ「そうかい。それは良かった」と言って、多分、どうやら、かすかに微笑んだようだった。ようだった、と言うのは、エーリエには顔が見えない上に、人というものが「笑う」ものだとはあまりわかっていない。ただ、何か。何か柔らかい空気を感じた。それが微笑みというものだと彼女は知らなかったけれど。

 それから2年も経過せず、次に魔女が亡くなった。エーリエには棺を用意することが出来なかったが、家の裏にある倉庫を見ると、そこにはなんと棺があった。自分の死期を悟った魔女が用意をしてくれていたのだと思えば、エーリエの胸は痛んだ。

「お花を……お花を敷かなくちゃ……」

 残念ながら、彼女は花をどこかから魔法で持ってくることが出来なかった。その魔法は魔女から習っていなかったし、多分習っていたとしても出来なかったのだと思う。

 半日かけて、森のあちらこちらから花を摘んで、ようやく棺に花を満たすことが出来た。棺に花を敷き詰めて、そこに魔女の遺体を寝かせた。よくわからなかったが、魔女が気に入っていたマフラーや、魔女が毎日履いていた靴を一緒に入れた。それから、冬になったらいつも使っていたひざ掛け。それらを詰めてから、軽量化の魔法を使って棺を運んだ。

 ありがたいことに、穴を掘ることは魔法で出来た。だからといって彼女は土の属性を持つ魔法を得意ともしていない。むしろ、ただそれだけだった。花を咲かせる魔法は、土属性と水属性を掛け合わせるが、当然彼女には出来ない。だから、棺を穴に入れて土をかぶせた。ここまではそれなりになんとかなったが、その先はより大変だった。

「うう、今日は、ここまで……」

 森に咲いている花を持ってきて植え替えたり、それとは別に種を撒いたりと毎日少しずつ、先代魔女が埋められた場所に色をつけていった。先代魔女があっという間にやったことでも、エーリエには難しかったのだ。

 だが、何でも終わりは来るものだ。毎日毎日それを行っていたら、10日を過ぎるころ、ようやく納得できるぐらいに花を植えることが出来た。

「はあ~、これで終わり、これで終わりにしよう……!」

 そう言いながら伸びをする。そして、自分が植えた花たちを見る。

 魔女は、母親を埋めた横で眠っている。どうしてなのかはよくわからなかったが、母親と魔女は仲が良かった。だから、隣同士で眠っているなら、きっと寂しくないのだろうと思っう。

(でも……でも、わたしは寂しい)

 もう、誰もいないのだ。朝起きておはようを言う相手も、夜寝る前におやすみを言う相手も。たまに喧嘩をして、口を利かなくなっても翌日には何もなかったように声をかけてくる相手も。

 空を見上げる。何も変わらず日光が降り注ぎ、何も変わらずそれは動いて、夕方には沈んで、そして夜が来る。明日になれば再び空にその姿を現して、また一日が始まる。そのことを、無性に「寂しい」と思ったが、言葉には出さずに飲み込んだ。

 家に戻って、彼女はしみじみと鏡を見た。相変わらず自分の顔が見えない。そして、死んでしまった先代魔女の顔も、最後まで見ることが出来なかった。だから、彼女が「綺麗な顔で眠っている」のかどうかすら、自分は知らないのだ。それが、なんだかどうしようもなく悔しかった。

「……ポーションを、作らなくちゃ」

 そうだ。次の週、王城騎士が来ると魔女は言っていた。魔女はポーションを全部は作り終えていなかった。

 エーリエはまだ幼かったが、そのポーションを作らなければいけないことだけは理解をしており、それからは毎月の納品に合わせてなんとか数を揃えることに夢中だった。

 そして、1年、2年、そして3年が経過することには、ポーション作りもうまくなって、納品に余裕が出てきた。この森では、時間が静かに穏やかに流れている。少しずつ時間が空いて、彼女はただひたすら書物を読むこと、料理を作ること、家の裏の野菜を作ることに没頭をして、今に至る。