夜会会場で、私はひどい目に遭(あ)った。

 バルゴア令息にエスコートされながら、私を見下すセレナお姉さまの顔が忘れられない。

 セレナお姉さまは、いったいバルゴア令息に、私のことをなんて伝えたの? 

 きっとひどいウソを伝えたのね……。田舎から出てきたばかりの純粋な令息を騙して、この私に暴力をふるわせるなんて!

 バルゴア令息とセレナお姉さまが立ち去ったあと、私はあまりの悔しさに泣き出してしまった。

 専属護衛騎士が「大丈夫ですか? マリンお嬢様」と心配してくれたけど、私の涙は止まらない。

「ひどいわ……お姉さま……」

 護衛騎士は私の肩にふれて「お守りできず申し訳ありません」と言い、その顔には後悔をにじませていた。

 本当にそうよね! あなた、なんのための護衛なの? と問い詰めたかったけど、この護衛騎士は私の言うことをなんでも聞いてくれるから、今回だけは許してあげる。

「ねぇ、怖くて立てないの。馬車まで運んで?」

 上目遣いでそうお願いすると、護衛騎士は頬を赤く染めながら私をお姫様抱っこしてくれた。

 この護衛騎士は、私を宝物のように扱ってくれるからお気に入りなの。まぁだからと言って、跡継ぎになる資格もなく騎士にしかなれないような格下貴族の名前なんて覚えていないけどね。

 抱きかかえられた私は、専属メイドを見た。従順で地味なあなたも、私を引き立ててくれるから大好きよ。

「荷物はあなたが持ってきてね」
「はい、マリンお嬢様」

 それまで護衛騎士が運んでいた大きな荷物を持った専属メイドの足元はふらついている。それでも文句のひとつも言わない。ううん、言えないの。

 このメイドは格下貴族の四女で良い嫁ぎ先が見つからないから、うちで働いているんだって。可哀想よね、でも仕方がないわ。

 だって、あなた達は、その家の当主に愛されていないんだもの。

 だから、せっかく貴族に生まれたのに働きに出されている。でも、私は違う。私はファルトン伯爵家の当主であるお父さまに愛されているから、何をしてもゆるされるの。

 当主に愛されないということは、貴族としての死を意味するわ。

 セレナお姉さまを見ていればわかる。

 お父さまに毛嫌いされているお姉さま。それでもお父さまがセレナお姉さまを追い出さないのは、私と私のお母さまのためなんだって。

 後妻が前妻の娘を家から追い出したなんてウワサが広がれば、私もお母さまも社交界で肩身がせまいでしょう?

 だから、お父さまはしぶしぶセレナお姉さまを家に置いてあげている。

 始めは反抗的な態度を取っていたお姉さまだけど、お姉さまの味方をする使用人たちをすべて解雇してから、食事を2日抜いたら大人しくなったわ。

 今では私の言うことをなんでも聞いてくれるお姉さまになってくれたの。

 でも、セレナお姉さまは元の性格がいじわるだから、時々私の言うことを聞いてくれない。そういうときは、お父さまに言うと、すぐにお姉さまをしかってくれる。

 お父さまは、セレナお姉さまのことが大嫌いだけど「見えるところにケガをさせるな」って言うの。お姉さまには、まだ使い道があるんだって。

 だから躾(しつけ)のために食事を抜くことがあっても、お姉さまが倒れてしまうまで追い詰めることはない。

 ちゃんと私たちの言うことさえ聞けば、お姉さまも私達と同じ食事を食べさせてもらえる。まぁ、もちろん、別邸で暮らすお姉さまが、私達と一緒に食事をとることはないけどね。

 私はそんな賢くて優しいお父さまが大好きよ。

 もちろん、お父さまも私のことを愛してくれている。そして、お父さまとお母さまもお互いにとても深く愛しあっている。

 それなのに、お父さまとお母さまは、結婚して一緒になることができなかった。

 私のお爺様にあたる、その当時のファルトン伯爵が、跡取りのお父さまに別の女を押し付けたから。貧乏な男爵家のお母さまは、お父さまに釣り合わないって、お爺様に激しく反対されたんだって。

 お父さまは仕方なく、お爺様が押し付けてきた女と結婚したわ。可哀想なお父さま。

 それでもお父さまは、お母さまを愛し続けてくれた。厳しいお爺様の監視の隙をつき、愛するお母さまに会いに来てくれたの。その結果生まれたのが、二人の愛の結晶である私。

 お父さまはお母さまに、いつも「愛しているのは君だけだよ。いつか君を必ずファルトン伯爵夫人にする」と言ってくれていた。

 ファルトン伯爵であるお爺様が亡くなると、そのあとを追うように、都合よくあの女も病気で亡くなった。

 それを聞いた私は、やっぱり神様っているのねって思ったわ。

 お父さまは、あの女の葬式が終わるとすぐに私達をファルトン伯爵邸に呼んでくれた。だから、約束通りに私のお母さまがファルトン伯爵夫人になれた。

 私はファルトン伯爵令嬢。

 それなのに、心無い人たちが私たちのことを「愛人」とか「愛人の子」とか言ってくる。正当な後継者であるセレナお姉さまが可哀想だなんて言われたこともあった。

 愛する私たちを傷つけられたお父さまは、そんな人たちを黙らせるために、お姉さまをうまく使うことを思いついたの。

 お姉さまの評判を下げて、私達の評判を上げてくれるって。

 さっすがお父さま!

 お姉さまに与えられた役目は、悪役令嬢。私はもちろん可憐なヒロイン。この作戦は大成功で、「可哀想なセレナお嬢様」ではなくて、「可哀想なマリンお嬢様」って皆が言ってくれるようになった。

 あとは、私が最高に素敵な男性と出会って結婚するだけ。

 お父さまには、できれば婿養子をとってこの家を継いでほしいと言われている。でも、本当に私が好きな人に出会ったのなら、その人の元に嫁いで良いって。

 お父さまは愛するお母さまと結婚できずに苦しんだから、娘の私には愛する人と幸せになってほしいみたい。

 そんな優しいお父さまだから、私が泣きながら夜会から帰ってきたら、すぐに気がついてくれたわ。お母さまも私を心の底から心配してくれている。

「どうしたんだ、マリン? 何があった!?」
「セレナお姉さまが……」
「またセレナか! どうして妹に優しくしてやれないんだ!? さすがあの女の血を引いているだけある!」

 お父さまが『あの女』と言うときは、吐き捨てるような冷たい声になる。あの優しいお父さまがこんな風に言うなんて、セレナお姉さまのお母さまって、よっぽどひどい人だったのね。

 私がセレナお姉さまのせいで、バルゴア令息に暴力をふるわれたことを言うと、すぐにバルゴア令息にも怒ってくれるかと思ったのにお父さまは静かになった。

「……バルゴアか」

 何かを考えているお父さま。

「マリン、バルゴアの令息はどうだった?」
「ひどいの、大っ嫌い」
「それは、セレナのせいだろう? その前は?」
「んー?」

 私は自分の頬に人差し指を当てながら答えた。

「素敵な人だったと思うわ、たぶん」

 だって、夜会会場で令嬢たちがバルゴア令息と話したがって群がっていたもの。皆がほしいものは、価値が高くて良いものよね。

「だったら、バルゴアの令息と仲良くなってみないか?」
「でも……お姉さまのせいで、私、嫌われてしまっているから……」

 お父さまは私の頭を優しくなでてくれた。

「マリンなら大丈夫。だってこんなに可愛いのだから」

 お母さまも「そうよ、本当のマリンのことを知ったら、皆が愛さずにはいられないわ」と言ってくれる。

「そうかな?」

 でも、確かにセレナお姉さまに騙されているバルゴア令息は可哀想だわ。

 私がお姉さまの本性を教えてあげたら喜んでくれるかも?

 そんなことを話し合っていると、早馬でお父さま宛の手紙が届いた。

 それは、ターチェ伯爵からだった。ターチェ伯爵は、バルゴアと親戚関係で、今はバルゴア令息を預かっているんだって。

 手紙を読んだお父さまは「セレナがケガをして、ターチェ家やバルゴア令息に迷惑をかけているそうだ。まったくあいつは……」と眉をひそめた。

 そういえば、夜会中にバルゴアの令息が急にお姉さまを抱きかかえて、すごい勢いでどこかに行ったのよね。あまりの速さに誰も追いつけなかった。

 そのときは、皆、驚いていたけど、しばらくすると「バルゴア令息が貧血で倒れた女性を助けてあげたらしい」という話が広がって、その後の夜会はいつも通り行われた。

 お姉さま、バルゴア令息の気を引きたくて『ケガした』ってウソをついてるんじゃない?

 お母さまが「どうするの、あなた?」と不安そうな顔をする。

「そうだな、マリン。お見舞いついでにセレナを迎えに行っておいで」
「えー」

 そんなのめんどくさい。

「セレナを見舞う優しいお前を見たら、バルゴア令息の目も覚めるだろう」

 そっか、それは名案だわ。

 そうなったら、夜会でセレナお姉さまにいじわるされた仕返しに、今度は私がバルゴア令息にエスコートされながら、見下してあげようっと。

 心がスッキリと軽くなった私は、その後、気持ちよく眠ることができた。