「ねぇ、美鈴(みすず)って最近付き合い悪くない?」
「妹の面倒見るとかなにそれ、いい子ぶってんじゃん」

私に向けられた言葉の数々。教室の隅で、あえて私に聞こえるように話しているのは、笹谷花恋(ささたにかれん)を中心とした女子3人組だ。花恋とは小学校の頃からの付き合いで、中学校に入ってからも元々は仲が良かった。

だけど、お母さんが入院して私が妹の面倒を見るようになってから、花恋との仲は急変した。
「美鈴ー?部活行こー」
「ごめん、早く帰らなくちゃいけなくて…」
部活にも行けなくなった。
「ねぇ美鈴、今日部活ないから放課後カラオケ行かない?」
「ごめん、今日はちょっと…」
遊びの誘いも断らなくちゃいけなくなった。
その上、
「笹谷、お前スカート短いぞ。リボンも制服のやつじゃないだろ」
オシャレ好きな花恋は先生によく注意を受けているのに対し、私はヤングケアラーであることから少し先生に気を遣われていた。そんなことが色々と重なって、私はついに、いじめの的になってしまった。
私がペンを床に落とすと、
「あ、床にゴミが落ちてる~」
とゴミ箱に捨てられた。
花恋が給食の配膳員の時は、私の給食だけとても少なく盛られていた。花恋はとても気が強いから、誰も逆らってまで私を助けようなんて思う人はいなかった。先生も見て見ぬふり。生活指導はするくせに、いじめを止めようとはしなかった。

「ただいま」
「おねーちゃんおかえり!!」
この子は私の妹の美玲(みれい)。すぐ怪我するし、よく風邪も引くし、小学1年生という好奇心旺盛な年頃だから、手が掛かる。
「おなかすいた~」
「今夕飯作るからちょっと待ってて」
「みれいもいっしょにつくる!!」
「危ないから、あっち行ってて」
「やぁだ!」
「だめなものはだめなの。あっちでテレビでも見てて」
美玲は唇を尖らせながらキッチンを出た。これが日常。私は入院しているお母さんの代わりに、妹の面倒も家事もこなしている。料理に掃除に洗濯に買い物。お父さんの帰りが遅ければ、美玲を寝かしつけるのも私の仕事。
「あぶなっ」
玉ねぎを切ろうとした包丁はずるりと滑り、私の指へと飛んできた。辛うじて刃が当たったのは爪の先だからギリギリセーフ。不器用だから、料理や裁縫をした次の日は、指が絆創膏だらけになったりもする。
「はい、出来たよ~」
「え~またぎゅうどん~?」
「お姉ちゃん、カレーと牛丼しか作れないんだから仕方ないでしょ」
美玲は不満そうに食べ始めた。
「はやくおかあさん、かえってこないかな~」
「美玲がお利口さんにしてたら帰ってくるんじゃない?」
「はやくおかあさんのごはん、たべたいな~」
「ほら、もう遅い時間だし、早く食べて早く寝るよ」
「はーい」
今日はお父さんの帰りが遅い日。私が美玲を寝かしつけなくちゃいけない。正直、これが一番大変。
「みれいまだねない!まだおきる!!」
「もう10時だから、美玲は寝る時間」
「やぁだ!」
夜になると不機嫌になる美玲は、簡単に寝ついてくれるはずもない。
「今寝ないならもう一人で寝て!」
「やぁだ!おねーちゃんといっしょにねる!!」
「わがまま言わないで!お姉ちゃんもそんな暇じゃないの!」
「やぁだ!!」
「もう一人で寝て!!」
私は美玲の部屋のドアを強く閉めた。中から美玲の泣き声が聞こえてくる。どうせ泣きつかれてすぐに寝ることだろう。私は気にせず洗い物を始めた。
「お母さんが入院してて大変だってのに、お父さんはのんきに飲み会ですか。『美鈴がいてくれると助かるなぁ』じゃないんだよ!こっちは散々な目に遭わされてるのに」
私は洗い物をしながら、お父さんへの愚痴をこぼした。自然とお皿を洗う手にも力が入っていた。
「もうほんとに許せな、あっ…!」
私の手から滑り落ちたお皿は、真っ逆さまに床へと落ちて、パリンと乾いた音を立てた。
「やっちゃった…」
「おねーちゃん…?」
お皿が割れた音で美玲が起きてしまった。
「何でもないから、美玲は寝ててね」
私は美玲が部屋に戻ったのを確認して、急いで後始末をしようとした。
「いたっ」
破片に触れた時、指に痛みが走った。
「いったぁい、絆創膏どこやったっけ」
引き出しをがさがさと探る。
「もう絆創膏どこ!!」
「ただいまぁ~~」
「あ、お父さん、ちょうどいいとこに、ねえ絆創膏ってどこだっけ…ってか酔っぱらってるし!」
「んあ~みすず~どーしたんだぁ、っはは、おとうさんに何でもいってごら~ん?」
「もうお父さん、ここ座って、水飲んで!」
「…」
「いや寝たんかい!!ってそうだ、絆創膏!」
絆創膏を必死に探していた私は、まだ床に破片が散らばりっぱなしであったことを忘れていた。
「いったぁい!え、足の裏?もう最悪!!」
「みすず~みすず~」
「もう!お父さんうるさい!」
「みれいやっぱねむくない…」
「もう~~~!!!!」

次の日。手も足もズキズキと痛む。結局破片の後片付けの時に、さらに2本の指を傷つけてしまい、手は絆創膏だらけ。足の裏の痛みで歩き方もおかしくなっている。
「美鈴~?おはよー」
「あ、おはよ」
また今日も朝から花恋の意地悪が始まった。
「あれ、絆創膏だらけじゃん、何?おしゃれ?ついに美鈴もおしゃれに目覚めたか~」
花恋と周りの女子たちの笑い声が鼓膜に響く。クラスみんなの冷ややかな目が私に突き刺さる。
「ねえみんなー?これが最新流行ファッションらしいよー?結構ダサくない?なんか厨二病っぽくて私には合わないわ~」
「おしゃれとかそういうのじゃ…」
「うん?今何か言った?」
「あ、いや…」
今までも何度も花恋に言い返そうとした。でも、花恋に睨みつけられると、言葉は全て喉につっかえた。
今日も散々言われて、おまけに放課後の掃除を私一人でやることになってしまい、帰る時間が遅くなってしまった。
「ただいまぁ」
私がよたよたと帰ると、いつもリビングにいるはずの美玲が今日はいない。そして部屋には焦げ臭さが充満していた。まさか…
「ちょっと美玲!何やってるの!!」
「ごはんつくっ…」
「危ないでしょ!!一人で勝手にやらないで!!」
私は美玲を突き飛ばし、急いで火を消した。フライパンの上には、真っ黒になった目玉焼きが2つのっていた。
「みれいは…」
「何?」
「みれいはおねーちゃんのおてつだいがしたかっただけなの…!」
美玲は涙目でそう言うと、キッチンを飛び出し、そのまま家を飛び出てった。この時はどうせすぐ帰ってくるだろう、そう思っていた。

17:00になって、もうだいぶ日が暮れてきたのにも関わらず、美玲は帰ってこなかった。さすがに心配になった私は美玲を探しに家を出た。
「美玲ー?美玲ー?」
美玲とよく来た近所の公園。喧嘩して美玲が家を出てった時は、いつもこの公園の広場のベンチに座って1人で泣いていた。だけど、今日はどこを探しても美玲の姿はなかった。遊歩道もあるほどの広い公園。いつもは遊具のある広場にしか行かないから、そこにいないとなるともうどこにいるのか予想がつかない。手あたり次第探すしかなかった。
「美玲ー?どこにいるのー?もう帰ろうー?」
次第に日が落ちて、辺りが暗くなってきた。私の足は速まっていた。
「美玲ー?美玲ー?もうほんっとどこに行ったの…」
その時、誰かと手を繋ぎながら公園を歩く美玲の姿が見えた。あのパーカーは間違いなく美玲だった。
「美玲…!」
しかし私の足は止まった。美玲の隣にいるのは、金髪でピアスをつけていて、革ジャンを着ている明らかに悪そうな感じの人だった。美玲を助けなくちゃ、そう思う一方で、これは誰か大人を呼んできた方がいいのだろうかと思ってしまう。だけど、今この場を離れたら、美玲を見失ってしまう。私は意を決して美玲のところへ足を進めた。
「あの、私の妹返してください!」
私は美玲を抱きかかえて、無理やりヤンキーの手を引き離した。
「あ、君のお姉ちゃん?」
ヤンキーは美玲の前に座った。
「うん」
「よかったな」
そして美玲の頭をなでようとした。
「ちょっと何するんですか!美玲に触らないで!!」
「おにーさん、わるいひとじゃないよ…?」
「美玲もう帰るよ」
私は美玲を抱きかかえ、ヤンキーを背にしてひたすらに走った。

ずっと死に物狂いで走ってやっとのことで家に着いた。
「はぁはぁ…追って来てない…よかった…」
「おねーちゃん、あのね」
「美玲、絶対にダメだからね、どんなにいい人でもついて行っちゃダメだからね」
「おねーちゃん、」
「すぐ夕飯作るから、ちょっと待ってて」
「おにーさんは、」
「遅くなっちゃうから、早く食べて早く寝るよ」
私は美玲の言い訳なんて聞かなかった。あんな見るからにヤンキーな人がいい人なはずがない。
もし顔を覚えられていたら、家を特定されていたら…包丁を握る手がかすかに震えていた。

翌朝。昨晩遅くに帰って来た父はリビングで大の字になって寝ていた。
「お父さん、そろそろ起きなきゃ遅刻するよ」
「お父さん今日は休みの日なんだ。もうちょっと寝ててもいいよな」
「もう仕方ないな~」
私は次に美玲を起こしに行った。
「美玲ーもう起きなー朝ご飯出来たよー」
「…まだねる…」
夜は全然寝ないくせに、朝は全然起きてくれない。
「ほら、遅刻するよ」
私は美玲の布団をひっぺがした。
「さむい!!」
「寒いなら起きて上着着な!!」
美玲はむくっと起き上がりのんびりとリビングへやって来た。
「やっばそろそろ家出ないと」
毎朝一番早く家を出るのは私。
「お父さん、私もう家出るから、美玲のこと頼んだよ」
「あいよ~」
お父さんの気の抜けた返事を聞いてから私は家を出た。

さて、今日も何とか学校を乗り越え、私は公園のブランコに乗っていた。昨日美玲が連れ去られそうになった公園だ。昨日もまだ人通りはあったが、それでもやはり誘拐は起きてしまうのだ。絶対に目を離しちゃいけないな、なんてお母さんらしいことを考えていた。ゆっくりとブランコを揺らしながら色々なことを考えていると、私の意識は遠のいていった。


目を開くともう辺りは暗くなっていた。
「やば、私寝てた」
スマホで時間を確認すると、『19:00』を示していた。
「やば帰らないと」
私はブランコから降りると、急いで帰ろうとした、が、
「わっ」
ブランコの柵に足を引っかけて大胆にこけてしまった。
「ん~もう!最悪!!」
すねは強打するは、手は擦り剝けるは、もう散々。どうしてこんなにもついてないんだろう。私はこけた拍子に脱げた靴を履き直し、立ち上がろうと上を向いた。
「大丈夫?」
私の目の前には、昨日のヤンキーがいた。
「い、急がないと、お、お父さんが迎えに来てるのに〜」
私はわかりやすい嘘をついて、そのまま走り去ろうとした。
「ちょっと待って、血出てるよ」
ヤンキーは私の手を掴んだ。
「ちょ、ちょっとやめてください!」
「あ、ごめん、掴んじゃって」
「わ、私もう帰るので」
「絆創膏あげるから、ちょっと待って」
ヤンキーは自分のポケットをまさぐった。
「絆創膏なんていらないです!」
私は強打した足を引きずりながら家まで走った。

「いててて」
すねには大きな青あざが出来ていた。まさに満身創痍な状態だ。
「おー美鈴、やっと帰ったのか」
お風呂上がりのお父さんが頭を拭きながら言った。
「遅かったからメール送ったが気付いてなかったのか」
「ごめん、ブランコで寝落ちしてた」
「今日は早く寝たほうがよさそうだな」
「そうだね、、あれ、私スマホどこやったっけ…」
「公園で落としてきたんじゃないのか」
「え、待って、もしかしたら…」
転んだタイミングで落としたのかも…今頃ヤンキーの手に渡ってるかもしれない……
「私ちょっと探してくる!!」
「夕飯、何か作っとくか」
「お父さん、包丁握っちゃだめってお母さんに言われてるでしょ、お湯沸かしてラーメンでも食べてて!」
私は家を飛び出して、公園まで急ぎ走った。

「あれ…ここら辺にあると思ったんだけどな…」
ブランコの近くを探しても全然見つからない。コケた拍子にスマホが吹っ飛んで、茂みの中に行ったのかな、なんて考えて茂みの中まで探したのに見つからない。やっぱりあのヤンキーが…
「探してるの、これじゃない?」
後ろを向くと案の定ヤンキーが…
「それ、私のスマホ…」
「見つかってよかった、まさか茂みの中にあるとは思わなかったよ」
よく見ると、ヤンキーの髪や服には草やら蜘蛛の巣やらがくっついていた。
「え、もしかして、探してくれたんですか?」
「必死に探してたから俺のこと気付いてなかったでしょ」
ヤンキーは優しく笑った。
「ありがとうございました」
「なんでそんなムスッとしてるの」
「ヤンキーに心は許しません」
「ヤンキー、ね…」
ヤンキーは少し悲しげに笑った。
「私急いで帰らなきゃなんで、スマホありがとうございました」
私は軽く会釈をして家に帰ろうとした、が、
「いった!」
私はまたブランコの柵に足を強打してしまった。
「え、ちょ、大丈夫?」
「こ、これぐらい、大したこと…」
「さっきぶつけた足と逆の足?」
「ですね…」
私は痛みに顔を歪めた。
「柵に座って、ぶつけたとこ見せて」
私は痛すぎて自分ではどうにも出来なかったので、仕方なくヤンキーの言うとおりに動いた。
「あー結構しっかりぶつけたねー」
「ですね…」
「でも腫れてはないし、ただの打撲かな」
ヤンキーは立ち上がると、水道でタオルを濡らして私の足に巻き付けた。
「痛みがなくなるまで、冷やしながら安静にしてればきっと大丈夫だな」
「あ、ありがとうございます…」
「なんで敬語なの、中学生ならそんな年変わらないよ」
ヤンキーは顔をくしゃっとして笑った。
「いや、大人と中学生じゃ大きな差がありますよ」
「大人って、いや俺大人じゃないから」
ヤンキーは口を大きく開けて笑った。
「その制服、白水(しらみず)中だよね?俺も白水中」
「え、中学生なんですか!?」
「うん、白水中3年の田中創弥(たなかそうや)
「あ、先輩だ…」
「いいよタメ口で、1つ2つしか変わらないじゃん」
なんでだろう、さっきまであんなに警戒してたのに、今は全然怖くない…
「わ、私は、中1の羽森美鈴です」
「美鈴ね、俺のことは創弥って呼んでくれればいいから」
「創弥…くん」
「呼び捨ては…はずいか、呼びたいように呼んで」
ヤンキー、いや創弥くんは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「美鈴の妹だよね?昨日の女の子」
「やっぱり、昨日のヤンキーって創弥くん…だったんだ」
「ごめん、やっぱこんな見た目の奴が、自分の妹と手繋いでたらビビるよな」
「なんで私の妹と歩いてたの?」
「薄暗くなってくる時間帯に、あの子が一人で遊んでたから心配になっちゃって、声かけたら、おにーちゃん遊ぼうって」
そうか、美玲はまだ幼すぎて、怖い人とかそういう線引きも出来ないんだ。
「手握られて公園中歩き回ってた。次はあっち!って」
「悪い人扱いしちゃってほんとごめんなさい、誘拐じゃなくてむしろ美玲がご迷惑をおかけしました…」
「いやこんな見た目だし、そう言われるのも仕方ないよ」
創弥くんが一緒にいてくれなかったら、それこそ美玲は連れ去られてたかもしれない。
「美鈴が妹ちゃんの面倒見てるの?お母さんがいない、とか、おねーちゃんが忙しそう、とかそんな話を聞いたけど」
「うち、お母さんが病気で入院しちゃって。私が家事とか妹の面倒とか見てて」
「ヤングケアラーってやつか…お父さんは?」
「お父さんは、いつも飲み会ばかりで帰ってくるの遅いし、帰ってきても家事なんて全部私に任せっきりだし」
「うわサイテーだな」
「私だってまだ中学生だから、部活したいし、友達と遊びに行きたいのに!」
「そりゃそうだよな」
「ほんと、普通の中学生でいたかった」
私がそう言うと創弥くんは少しうつむいた。
「普通の中学生か…俺もなりたかったな」
「だったらヤンキーなんてやめればいいのに」
創弥くんは少し切なく微笑んだ。
「やめたきゃとっくにやめてるんだよな」
「好きでやってるんじゃないの?」
「両親共に元ヤンで、これは完全に親の趣味」
「金髪もピアスも革ジャンも?」
「そうだよ、俺の好きに出来てたら、黒髪で学ラン着た善良な中学生になってるよ」
「逆らえないの?」
「元ヤンだからね、親の好きにさせないと、逆上して暴力沙汰にされるからね」
「おじいちゃんおばあちゃんとかは?」
「両親とも昔から荒れてたからね、とっくのとうに縁なんて切られてるよ」
「じゃあ会ったことすらないの?」
「うん、まあ生きてるだけまし、俺の兄ちゃんになるはずだった人は、生まれる前にトイレに流されたからな」
「え…?」
「親にそう言われて脅されてきたんだよ、あんたの兄ちゃんは下水に流したって、あんたのこともいつそうしてあげたっていいんだからねって」
「なにそれサイテーじゃん」
「うん、サイテーだよ」
「そんな格好じゃ、学校にも行けないでしょ?」
「入学式初日に先生に注意されて、友達も出来なくて、もうずっと行ってない」
「私の生活がすごく普通に感じてくるよ」
「でも、学校に行けなくても楽しいことはあるんだ」
「例えば?」
「この公園の花に水やったり、いつも昼間ベンチにいるお婆ちゃんと世間話したり」
「すっごい平和、人は見かけで判断しちゃいけないんだね」
「そうだね、まあヤンキーはほとんどが見たまんまだけどね」
創弥くんの笑顔はいつも少し切なげだった。
「ってか時間大丈夫?」
スマホを見ると『21:00』を示していた。
「え、やば、もうこんな時間…」
「足の痛みは?」
「もうよくなったかも」
私は柵からぴょんと降りた。その時、足に力を入れると、まだすねの辺りがズキズキと痛んだ。
「やっぱまだ痛いか」
私が顔をしかめたことに気づいた創弥くんは、私の前にしゃがんだ。
「背中、乗って、家まで送ってく」
「え、いや、重いし、大丈夫だよ」
「遅い時間だし、そんな足で変な奴に追いかけられても逃げられないでしょ」
「じゃあすいません、失礼します…」
「どうぞ」
彼の背中は大きくてたくましかった。
「重くない?」
「よくお婆ちゃんとかおんぶして送ってるからね、問題ない」
「やっぱ優しい人なんだね」
「まあ結局は俺も、ありがとうって言われるのが嬉しくてやってる自分勝手な人だけどね」
「それ、がちでいい人が言うセリフだよ」
「えーお節介かもしれないじゃん?気遣わせてたらどうしよう、とか」
「優しすぎるよ、ほんと、トンビが鷹を産むってこういうことなのか」
「トンビが鷹を産む?」
「そう、元ヤンのサイテーな両親から、優しすぎる最高な子供が産まれたってこと」
「確かに言われてみれば、どういう遺伝でこんな性格になったんだろう」
「突然変異かな?」
「マイナス×マイナスはプラスみたいなことかも」
そんな話をしていると、もう家の前に着いていた。
「家、ここであってる?」
「ありがと、ほんとに」
玄関の前にはお父さんが立っていた。
「あ、お父さん、ごめん、スマホ見つかった…」
「こんな時間までうちの娘を連れまわしてどういうつもりだ」
「お父さん、創弥くんは悪い人じゃなくて、」
「うちの娘とどういう関係かは知らないが、お前みたいなやつに娘と仲良くする資格なんてない」
「私が怪我したからわざわざ送ってくれたんだよ!」
「美鈴も怖かっただろう、かわいそうに」
「だから悪い人じゃないんだって!」
「どう見たって悪い人だろ」
「見かけだけで判断しないでよ!!」
「もういいよ、美鈴、言われ慣れてるから」
創弥くんはまた寂しげに笑った。
「お前に、美鈴なんて呼ぶ資格はない!!」
「お父さん!もういい加減にして!!」
創弥くんは、優しい人だから何も言い返さずに、帰ってしまった。

次の日。もしまた創弥くんに会えたら、昨日のことを詫びたい。お父さんは昨日の夜からずっと怒ってばかりで、私の話を聞こうとしない。あんなに優しい人が、悪い人扱いされることはあってはいけないことだ。私はまだズキズキと痛む足を引きずりながら学校へ行った。
「ねえ美鈴、この男の人誰?」
「え…なんで…」
「私の友達が昨日の夜、塾の帰り道にたまたま見たんだって~ねえどういうこと?」
花恋が見せてきた写真には、昨晩公園で話していた私と創弥くんの姿が映っていた。
「いや、これは、友達で」
「友達?ヤンキーが?」
「ヤンキーとか趣味悪すぎでしょ」
「ってかまさかのパパ活だったりして」
「えーこの年で?やばすぎ」
「妹の面倒見るとかやっぱ嘘だったんじゃん」
私は言い返す言葉が見つからなかった。
「ってか、ヤンキーにナンパされたぐらいで、うかれてんじゃないわよ」
「正直あんたみたいなブス女、誰も大切にしてくれないんだから」
もう限界、そう思ったその時だった。
「あれ、美鈴?何してんの?友達?」
廊下には、創弥くんの姿があった。
「創弥くん…」
「なんでヤンキーが学校にいるのよ」
「君、可愛いじゃん。メイクもネイルもばっちり。制服の着こなしも抜群だ」
「でしょ?やっぱり、結局は可愛いが正義なのよ、だからあんたなんか」
「ナンパされたぐらいで浮かれてんじゃねーよ」
創弥くんは鋭い目つきでそう言った。
「は、はぁ?」
「人は見かけで判断しちゃいけないってことがよくわかるよ」
花恋もさすがに言い返せないようだった。
「こんな根が腐ったやつに構ってないで、行こ」
創弥くんは私の手を握って駆け出した。

「ここまでくればさすがに追っては来ないよね」
私たちは中庭の方まで走って来ていた。
「ありがとう、助けてくれて」
「『じゃねーよ』なんて似合わない言葉使っちゃった」
「でもかっこよかったよ」
「すっごいむかついてたから、自分で何言ったか覚えてないや」
創弥くんは頭を掻きながら視線を反らした。恥ずかしかったのか、耳が赤くなっていた。
「ってかなんで学校にいるの?」
「ちょっと美鈴が心配になって」
「なにそれ、心配性すぎでしょ」
私が笑うと創弥くんは
「やっぱお節介だったか」
といつものように微笑んだ。
「お節介なんかじゃないよ、ほんとに助かった。やっぱりすごく優しい人なんだね」
「それはどうかな、何せこんな見た目だからね」
「人は見かけで判断しちゃいけないんでしょ?」
創弥くんは、ははっと笑った。
「そうだったね、ってか俺、先生に見つかる前に早く学校を出なくちゃ。もう帰るね」
「そうだよね、怒られちゃうもんね」
「うん、じゃあ、またね」
創弥くんは手を振ると、私に背を向けた。そういえば昨日のことまだ詫びていない。だけど、今はもっと言いたいことがあった。
「創弥くん!」
「あのさ、もしまた私が困ってたら、また助けに来てくれる?」
「もちろん、またドジなことして泣きそうな顔してても助けに行くよ」
「別に泣きそうな顔はしてないよ」
「してたよ、こんな顔してた」
創弥くんは突然変顔を見せてきた。
「そんな顔してない!!」
私は言い返したけど、思わず笑ってしまった。
「やっぱり笑ってるほうが可愛いよ」
創弥くんは嬉しげに笑った。可愛いなんて言われたことなかったから、私は何も言えなかった。
「ちょっと俺まじでそろそろ行かなきゃ、じゃあね」
「ほんとありがとね」
創弥くんはにっこりと笑うと、また私に背を向けた。だけどすぐに振り返って、
「美鈴が安心して笑えるように、俺が一生守るから!」
と耳を赤くしながら叫んだ。そして何も言わず走って学校を出てしまった。

第一印象は100%見かけで判断されてしまう。第一印象が悪いと、もうその人は悪い人扱いされて、世間の敵になってしまう。私も創弥くんに出会うまでは、きっと見かけで人を判断していた。美玲と創弥くんが歩いていた時も、美玲の話をろくに聞かず、創弥くんが美玲を連れ去ろうとしたんだって決めつけてた。
世の中には、いい人のふりをした悪い人だっているし、創弥くんみたいに、悪そうでもいい人だっているんだ。見かけだけでその人を知った気になっちゃいけないんだ。ちゃんと話すことはやっぱり大事なんだ。
「次はちゃんと花恋に言い返してみようかな」
創弥くんのおかげで、私は一歩前へ踏み出すことが出来た。