「社先輩ってその、いい旦那さんになりそうですよね。」


おうおう、釣れてら。
いじらしく頬を染める後輩の視線は俺の一つ隣、少し上を向いている。質量のこもった熱い眼差しに、「ほんと?ありがとね」とありえんくらい軽薄な応答が返された。

「故、それ美味しいの?」
「クソまずいよ」

可愛い後輩女子からのあからさますぎるアプローチをふいにした男の興味は、既に俺の手に持っているオーツミルクいちご味に注がれている。

「マジかあ。俺も気になってたのにな」
「絶対嘘、お前緑茶以外にレパートリーないだろ。…ていうか、さっきの女子お前のこと好きじゃん。」
「ええ、そうなの?」

なーにがええ、そうなの?だ。純朴そうな顔しやがって。
お前の性格が悪いことはよく分かってんだよ。
隣で人好きの良い笑顔を浮かべるのは、立花社(りっかやしろ)。俺の友人だ。

社と初めて喋ったのは一年の最初の頃。後ろの席の、明るい男。すげー爽やか。絶対仲良くなれない。それが第一印象だった。ただ、社は協調性とスポンジを掛け合わせて出来たような人間だったので、俺がどれだけ毒を吐こうが特段気にした様子を見せなかった。

変人だけど、お人よし。誰に対しても変わらない態度は、ある程度の信頼性があったし、そういうところは気に入っていた。

というか、興味がなかったんだ。こいつは。
思考は一年の中頃まで遡る。

「青英帰るの?部活は?」
「幽霊部員だから行かなくていーの」
「あー、写真部は文化祭以外活動ないんだっけなあ。俺も文系にすれば良かった…」
「お前じっとしてられんの?」
「寝てる時はじっとしてるよ」

確かに授業中は死んだように寝ている。彼女から返信待ちをしていた俺は、ロッカーからプリントを抜き出す立花を何となく眺める。

「何でロッカーにプリントを敷き詰めてんの?」
「俺よく忘れて帰るから、気付いた先生が入れてくれるようになった。」

どんなだよ。こいつまじ可愛がられ体質だな。

「あ、あの…社くん……」
「うん?」

頼りなげさげな声に振り返る。小さくておとなしそうな女子が、数人の友人を引き連れて立花に話しかけてきた。

(告白じゃん……)

そわそわと色めき立つ様子に何だか俺まで落ち着かなくなる。普段女子といる影響で、こう言う時なんとなく女子目線に立ってしまうようになった。
まあ、普通にモテるもんなこいつ。あるよなこういうこと。見た目もなんか、優男って感じで女子ウケ良さそうだし。

スマホを見ながらちらちらと様子を見ていると、もじもじとしながら立花の腕の裾を掴んだ。

「あ、あのね…今いいかな?」
「いいよお。どうしたの?」
「えっと…話したいことあって……えっとね……」

(うわ!見てられん!)
甘酸っぱさと羨ましさと気まずさで固唾を飲む。目がぎゅぎゅとなってしまう俺とは対照的に、立花はいつも通りのんびりした笑顔を浮かべていた。

「私、委員会で一緒になってから…社くんのこと好きで……すごい優しいとこ、いいなって…」
「えっ」
「そう思ってて…良かったらその…彼女にして欲しくて……!」

意気込んだ後、それで…ですね…と語尾が下がっていく女子の顔真っ赤な様子に、見てられんとばかりに友人数名が目を伏せる。その気持ち、分かる。

社は数回瞬いてから、「そっ…か。そうだったんだ。」と溢して背を女子の目線までかがめた。

「気持ち嬉しいけど、ごめん。俺、もうずっと、一緒にいたい人がいるんだ。」
「あっ……」
「…伝えてくれてありがとう。俺、そんなふうに思ってもらえてるなんて知らなかった…絶対忘れない。」
「うっ…………うん…………っ…!」

ぽろ、と泣きそうになった瞬間、後ろの女子が腕を引っ張って連れて行く。

(おっ…おお……)
凄いスマートに振った。なんだか青春ドラマを見ているかのようだ。ん?てか今こいつ…

「お前今好きな人いるっつった?」
「うん、今は青英と一緒にいる方が楽しいからなあ」
「……は?」
「いっぱい遊びたいし、彼女とかはいいかな」

(つまり、友達と遊んでた方が楽しい…っていうのを諦めさせるためにあんな意味深に伝えたわけ…?)

「お前、性格悪〜………ないわ………」
「ええ、嘘ついてないじゃん。ほんと、青英の事好きだよ。」
「うるさいわ、きもちわり〜…何が忘れない、だよ…あの子かわいそう…」

何で俺がこんなにげんなりしなきゃいけないんだ。立花は特に傷付いた様子もなく、かなしい…と口を押さえた。やめろやめろ。わざとらしい。

「嬉しかったなあ〜…いい子だし、可愛いし。」
「……お前、あの子の名前覚えてる?」
「…………。告白してくれたのは忘れないよ」

マジで最悪。

その後、彼女がかけよってきたので目の前でイチャイチャして帰った。あいつ、優しいわけじゃない。自分の立場が悪くならんように、保身で立ち回ってるだけだわ。

「マジでだるいそういうの。キモい。」

次の日、変わらずおはよ〜なんて声をかけてきた立花に拒否反応で毒が出る。

「あー、青英、怒ってる?」
「いや、別に。なんか勝手に信頼してた自分がキモくて無理。お前も結局男な。」
「……………。」
「…………何笑ってんの?」
「いや……ごめん。相変わらず青英って、人のために怒るよなあ。」
「は?俺は俺が不快だから…」

「いや、そうなんだけど。不快って思うラインがさあ、優しいよなあ。昨日の俺、確かにキモかった。最低だったわ。帰ってから思ったけど…失礼だったよね。」
「………いや、俺に反省してもしょーがないし…」
「うん。でも、気づかせてくれたのは青英だから。言っときたかった。ありがとね。」

立花は、ちょっと目を伏せながら感謝を口にした。偽善や保身にしてはあんまりに真っ直ぐな表情に、少しだけ罪悪感が抉られて、はっとする。
この表情、この口調、昨日女子に誤魔化し振りした時とおんなじじゃね。

「あぶね。お前マジそういうところ、ほんとキモいわ。消えてください」
「あーあ振られちゃった……かなしい……」

どこが。全く悲しいって顔してないくせに。
こいつ、悲し「そう」なふりはよくするけど、目が微妙に笑ってんだよな。
あー無理。完全に無理になってしまいました。
やはり同性と仲良くなるなんて無理ゲ。解散。

完全に嫌悪感を覚えた俺は、そこからしばらく立花をガン無視していた。立花は相変わらず話し掛けてはくるけど、あからさまに嫌がればそこそこに退いていく。
そもそも、俺といなくても大体周りに人がいるのに、何でわざわざ孤立してる俺と一緒にいたのかがよくわからんかったよな。

ただ、入学してから立花と行き帰り一緒にしていた俺は忘れていた。俺が1人になると、めんどくさい奴らが屯ってくることを。

「あっ!故ちゃんじゃ〜ん、今日ひとり?」
「女の子連れてないの?てかぼっちじゃん、かれぴにも捨てられたのかな〜」
「かわいそでちね、おい、慰めてあげろよ」
「あはは!!キモ、無理だって!!!」

(あー、だる……………)
そうだ、中学まではこんな奴らいたわ。この前までは立花が隣に居たからなんとなーく声をかけてこなかったが、俺が1人になった瞬間味を占めて寄ってきやがった。

「お前ら誰だっけ。クソキモいんだけど、女の子待たせてるからどいてくんない。」

ぷっ…

俺の言葉に、噛み殺せなかったような不快な笑い声が広がる。わらわらわらわらゴキブリみてーな男どもだな。本当に誰か知らんし。

俺は女友達は多いけど、男からはマジで嫌われる。大概が近寄りたくない、の感情を示すけど、陰湿でねちねちしてて、集団でイキるタイプの非モテゴミクズどもからはこうしてよく囲まれていた。
暴言吐かれたり、馬鹿にされたり、暴力で脅されたり。
俺は孤立してるから、ある程度何してもいいとさえ思っている。吐き気がする。

少し立花が羨ましい。あいつ、外面と味方作るの上手いから、こういうの全然ないんだろうな。運動部で体格もしっかりしてるから、こいつらも近寄れなかったんだろうし。

「何黙ってんの?ビビっちゃった……?」
「かわいそ〜あんま怖がらせんなよ〜優しくしてやれって」
「女の子みたいに?」「ウケる」

「…なんか、頭軽そうで羨ましいわ、かわいそすぎてなりたくはないけど」
「あ?」
「下半身と承認欲求しか生き甲斐ないっぽいのに、女の子から相手にされなくてかなちいんすね。口臭いし、顔キモいし、まあ女の子も無理だとは思うわ。ご愁傷さまでつ。」
「……………」
「えっ…なんか琴線に触れちゃいました?非モテ、乙すぎ…?俺は特に意識しなくても女の子と一緒にいれちゃうんで、ちょっと労わってあげること、出来ないかもですね〜」

口に手を当ててニヤニヤしながら言葉を返してやる。
束にならなくても言えんだよこのくらい。雑魚がよ。

「テメェ………」
「おい、やめろよ。もういいわこいつ。わからせよ。」

熊みたいな汚え男の拳が振りかぶってくる。ああもうだるい。ああ、あとで女の子達に泣きついてめちゃくちゃヨシヨシしてもらお。それでプラスにするから。

「え……あれ?原田先輩…?」
場にそぐわないふわっとした声に割り込まれて、一瞬静まり返る。

(……ん?)

「ん?あ、ああ……立花か。ビビった、何?」
「え、何?原田、こいつと知り合い?」
「いや…部活の後輩。」
「最近こないから、マジ寂しかったですよ〜。山口とかめっちゃ拗ねてたし…今何やってるんですか?」

険悪な雰囲気なんて見てないかのように、手を振りかぶった熊男の後ろにいた男に親しげに話しかける立花。少し顔をずらしてこちらを見てから、「ん!?」と大袈裟な声をあげた。

「先輩、青英と知り合いだったんですかあ?」
「あ、いや…知り合いってか……」
「てかどんな状況すか?俺は呼ばれたから来たんですけど……」
「呼ばれた?…こいつに?」

男達の目線が俺に刺さる。いや呼んでない呼んでない。何も聞いてない。

「水原せんぱ…あ、いや、3年女子の先輩に…ケンカ起きてるから男子助けに行って〜って。先輩は警察呼んだみたいなんすけど…ちょっと大袈裟すよね?」

「警察!?」

その場にいた全員が騒めきだす。
「そんで、何があったんですか?」
立花は平然とした様子で、ゴミどもに心配そうな目を向けている。たまに俺の方も見る。どっちの事も心配してる、かのように見える。
こいつらは俺と立花が一緒にいたのを知ってるけど、それにしてもあまりにもまっすぐした目をしているので、本当に先輩を慕う後輩に見える。原田先輩とやらは、あからさまに動揺してるし。

ゴミカスどもは少し考えてから、「いや、なんもないよ。話してただけだし、なあ?」と口々に言い合い、最後に原田が「また部活でな」と立花の肩を叩いて去っていった。

「……帰る。」
「うん、気をつけて。」
「……立花も。帰ろ。」
「え、女の子待ってるんじゃないの?」
「こんな危ない時に一緒に帰れんから、もうLINEした。てか最初から見てたんじゃん。」

立花はちょっと嬉しそうな顔をしてから、ごく自然に俺の後をついてきた。

「青英ならすかっと言い返せるかなあって」
「当たり前じゃん。いや鑑賞してたのはキモいけど、何でいたんだよはある。水原誰だよ。」
「存在しない人」
「お前そういうとここえーよ…」

俺が囲まれてるの見て、言い返すところまで待って、原田を引き合いに適当言って帰らせたんだ。
確かに、最初から口を挟まれていたら逆ギレしてた気しかしない。こいつはそこまで読める人間なんだ。女子の名前覚えてなかったのはクソだけど、あの対応は相手の事を思ったものでもあったはず。

見上げた立花の顔は穏やかだ。いつも通り。
多分俺の考えが極端すぎたんだ。恥ずかしくなってきた。自分の思想と自我が強いのが辛い。

「…ごめん。俺がクソだった。立花のこと全部決めつけたの、マジでダサい。」

立花の赤褐色の目が瞬いた。また目を伏せる。

「いや、青英の言ってることは合ってたよ。俺、青英のそういうとこかっこいいなあって思ってるから、別に怒ってないし、ダセーとも思わないけど。」

「いや…」

善人かよ。俺はそんなかっこいい人間じゃない。
罪悪感で顔を上げられなくなる。

「だからさ、また話してよ。無視されるのは結構悲しかったからさ。」
「ん……分かった。」

頷きと共に返すと、立花はよかった〜と脱力した笑顔を見せ、楽しげに話し出した。

「俺ほんとに、あの子の名前覚えてなかったし。俺のこと好きなのは知ってたけど、興味なかったから」

「うん…ん?」

「告白された時もだるいなあと思っちゃったし、今日喧嘩見た時も、一瞬帰ろうかなと思ったんだけど。争いごととかうっとおしいし。」

「は?」

「でも言ったじゃん、俺、マジで友達になりて〜って。青英といるの好きなんだよ。おもろいし。だから別に、青英が反省することないんだけど、結果良かったな。仲直りできて。」

ね。と非常に穏やかな声色で笑いかけられる。

「…………………………いや、やっぱお前クズだわ」

「えっ…」

「謝罪は取り消す」





「故?どしたん」

現在、あの頃より随分と背丈の差が縮んだ社が、もう2年くらいずっと買ってる緑茶のパックをストローで吸いながら首を傾げている。

「いや、お前はクズだなって思い出してた」
「ええ、傷ついちゃう……」

だから嫌なんだよな。故の前で女の子に来られるの。そうぼやくこの男は、結局今でもほとんどの人間の名前を覚えていない。興味がないからだ。

俺と関わりのある人間については、何度も復唱したので流石に覚えたらしいけど…。よくそんなふわふわで名前覚えてない人間とわちゃわちゃと話せるもんだよな。恐怖だよ。お前が怖い。

「2年いるけど、故以外にそんなふうに言われた事ないよ」
「お前は利己的に振る舞ってるだけだろ。いつかボロ出てしまえ……」

このふわふわした優男風の見た目と振る舞いに騙される女の子達が不憫だ。後なんか知らんけど、社の事を好きになる女の子ってマジで俺好みで腹立つ。
俺の方に流れて来んかなと何度も裏で慰めてみたが、みんな一様に逃げていく。なんなの。

ちなみに俺と仲のいい女の子達も、わりと社の事が苦手だ。さすが波長が合うだけある。気持ち悪さとクズさを何となく見透かしてるんだろう。

(え?てことはあの子達からしても俺は気持ち悪いって事………?落ち込んできたな……)

なくなった緑茶のパックを虚無吸いしてる社に、クソまずオーツミルクいちご味を贈呈する。
何も考えずに口に入れて目をギュッとした。ばかめ。少し前の言葉すら覚えられないからそうなるんだ。

「クソまずいだろ、全部飲めよ」
「なんだろ…消しゴムみたいな味がする…」

それでもこいつは律儀だから、眉を顰めながら全部飲み切った。愉快愉快。苦しめ。

「捨てておきなさい。」
「女王様なの?いいけどね、緑茶も捨てるし…」

体育会系の男がほぼ体当たりの形で社に声をかけた。
「立花!お前今度の打ち上げくるよな!?」
「ああ、いくよ〜」
「おし、お前来ねーと先輩達ごねるからさ、絶対こいよ。原田先輩とかマジでお前好きだよな」

原田は高一の時絡んできた筆頭格だった。社が懐柔したおかげであの後絡まれることは無くなった。

「社くん、この前ありがとうね。先輩も喜んでて…また相談乗ってね。」
「よかったねえ。全然いいよ。」

この子はあの時社に告白した女の子だ。優しい彼氏を捕まえて…というか、社の紹介で知り合って、付き合うことになったらしい。今では普通に女友達だ。

「やしぴ〜今度の飲みコンくるっしょ?」
「アルコールじゃないよね?数合わせならいくけど…」
「マジ助かる!いてくれるだけでいいんだわ!神あざす」

1番最初、社をガン無視していたギャル女子ともすぐ和解しており、今ではよく遊びに行っているらしい。たまに巻き込まれる。

社は考え方はクズだけど、絶対に人を傷つけるような人間ではない。よくない事が起きても関係を修復できるし、興味がなくても優しくできる。言い換えれば、下心が一切ない。

俺は一度破綻させたら関係の修復はできない。こいつに中に入ってもらった事は何回もある。その恩もあるし、単純にそういう人間性に関しては尊敬している。

「社」

あと、こいつは俺のことが好きだと思う。

「なあに、故」

恋愛感情かはよく分からんけど。
まあそもそも、固執して興味を持つのが俺だけなんだ、あれなんか普通の好意とは違くねとなるのは当たり前だろう。

よく考えたらこいつが何かしら「期待」して善行を行うのは俺だけな気もする。ただ、確信はない。
他の人間よりはよく知ってるとはいえ、社は依然として腹が見えない。人間性は何となく分かるようになったが、喋んないことには何も分からない。

(腹を隠すのも上手いからな…)

社がどう思っていようが、何となく、俺との関係性を変えようとはしない気がする。
それはそれでいーけど、どう言う感情を向けられてるのかハッキリしないのは気持ちが悪い。

何れにせよ、社の俺への好意がどう言う類のものなのか、確認する必要があるけど…

「故?どしたの悩み込んで」
「ちょっと今忙しいから話しかけないで」
「ええ、呼んどいて…?」

こいつ、滅多な事じゃ動じないし、笑顔能面すぎてよく分からんからな。嘘付くのは性に合わんけど…

ま、やってみるか。

小さく決心し、目の前の茶髪を見据えた。