養父はリリシアを冷たい目で見る。その目はこれ以上の質問は許さないとはっきり言っている。

「なにか問題でも? こちらが準備するのはお前の身体だけだ」
「あの、お、お話を受けていただいたのは本当にありがとうございます。でも、あの、せめて旦那様となる方のお名前を教えていただけませんか?」

 リリシアはもう一度縋るように尋ねた。
 伯爵はしかたない、といったふうに大きく息を吐くと
「セヴィリス・デインハルト卿だ」
 と早口で答えた。

「デインハルト伯爵家の二番目のご子息で、先日グリンデル地方の領主となった」
 グリンデル地方はこの国でも有数の山林地帯だ。山の向こうは未開の地と言われている。
「セヴィリス・デインハルト、さま……」
 彼女は夫となる人の名前をそっと口に出してみた。伯爵はそれ以上なにも答えず、リリシアを追い立てるように辞去させた。

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(本当に、わたしが結婚を……?)

 自室へと戻る廊下をゆっくりと歩く。突然身の上に起こった出来事にリリシアは半ば放心状態だった。

(デインハルト卿……セヴィリスさま)

 リリシアはもう一度心の中で未来の夫の名を呼んでみた。全く心当たりのない名前だ。デインハルト伯爵家というのも彼女の記憶にはない。

(どんな方か、わからないけれど、でも……)

 今まで数えるほどしか出席できなかった夜会や滅多にない式典などで自分を見かけたのだろうか。リリシアが養女であることは高位の貴族なら少し調べればすぐにわかるはずだ。それでも、望んでくれたのだろうか。

 リリシアは嬉しいような、騙されているような、不思議な気持ちになる。ただ彼女はしっかり心に決めた。

(ちゃんと寝なくちゃだめだわ。こんなふうに毎日怖い夢ばかり見ている妻など、きちんと役割を果たせないもの)

リリシアが密かに心の中で頷いていると、目の前に二つの影が落ちた。

「あーら。やっぱり。この子ったら喜んでるわ。お姉様」