はじめ、それは小さな黒い点でしかなかった。
 リリシアの夢の中に現れた、黒い滲み。
 真っ白な空間でリリシアはただ漂っていた。穏やかな波に揺られるようにゆっくりと体が揺蕩う。心地の良い眠りにリリシアが浸っていると、そこへ黒い染みが現れたのだ。

 それはだんだんと大きくなり、こちらに近づいてきた。夢の中なのに、リリシアは自分が寝ていることに気づいて目を開けた。ぼうっとした感覚のまま、その黒いモノを見つめる。

 やがて、それの姿がはっきりしてくると、リリシアは
「ひっ……」と息を呑んだ。

 毛むくじゃらの身体に狼の顔を持つ獣。長い腕は人間のようなのに、黒い毛に覆われている。ぎらぎらした赤い眼は、三日月のように弧を描いてこちらを見据えている。
 あいつだ。
 森で出会った、この世のものとは思えない醜悪な姿。

 それはリリシアの身体を上から下までいやらしい目つきで眺め、一歩、また一歩と近寄ってくる。
(や、やだ……)
 怖い。 リリシアは身をよじって夢から抜け出そうともがいた。でも、どれだけもがいても目は覚めない。真っ白な空間にひとり、彼女は放り込まれてしまった。
 その間にも、魔獣はリリシアのそばに近づいている。まるで人間のような確かな足取りで。

「い、や……」

 息が届きそうな距離まで鼻面を頬に寄せられてしまった。獣の長い手が伸びる……。

「……っ」

 リリシアは小さな悲鳴をあげて飛び起きた。肩で息をしながらあたりを確かめる。

(私の、部屋だわ……)

 外はまだ深夜。重たい闇があたりを支配している。リリシアは目に涙を浮かべ自分の肩を抱きしめた。全身が冷や汗でじっとりと湿っている。
(な、ぜ。こんな夢を……)

 リリシアは寒さと恐怖に身震いした。それでも、夢で良かったと深く息を吐く。
 きっと、あの森の出来事があまりにも衝撃的だから、こんな夢を見るのだ。

(シノたちは大丈夫かしら。私みたいに怖い夢を見ていなければいいけれど……)