あの場から逃れたかったから頷いてしまったとはいえ、ライマくんと彼氏彼女の関係になってしまった。
 確かにライマくんのことは好きになり始めている予感はしていたけれど、こんな押し切られる形でお付き合いだなんていいのだろうか。
 一晩悩んだけれど、ライマくんの嬉しそうな姿を見るとまぁいいかと思ってしまう私はすっかりライマくんに絆されてしまっているようだ。
 それにしても朝から糖度が高い。
 おはようのハグをされ、やりたいと言われ髪の毛を梳かしてもらい、玄関を出たら手を繋ごうと手を繋いで登校してしまった。
 ハグなんて前からされていたことなのに、お付き合いをし始めた途端に変な意識をし始めてしまい始終ドギマギしている。私だけ。
「学校ではやっぱり恥ずかしくてムリ!」
 思わず手をはなすと、ライマくんはしょんぼりとしてみせた。それからすぐに口もとに人差し指を当てて「いいよ、イチャつくのは2人きりの時だけってことね」といたずらっ子の顔で言った。
「ちっちが……!」
 否定をしたけれど、私は昨日の夜のライマくんに触れられたことを思い出して恥ずかしくなってしまうからなんて言えなくて。
「ぼくもりおちゃんのそういう顔は誰にも見せたくないからさ」
 ライマくんはそう言って私の頭にキスをして先に教室へと入って行った。
「なっ……!」
 だからそういう事するからまたクラスメイトに勘違いされるでしょう?
 あれ、もう付き合ってるから勘違いではない?
 でも恥ずかしいからやっぱりダメー!
 ひとり心の中で喚いていると、後ろから「まさか……」と小さな声が聞こえた。
 ハッとして振り向くと、マユちゃんが私を見つめながら手を合わせている。
「推しカプが結婚した」
「まだしてない……!」

 マユちゃんは昨日のタケダ君のことを謝ってくれた。
「マユちゃんが謝ることではないよ」
「うちがめっちゃ怒っといたからもうしないと思うけど、また近づいてきたらすぐに言って」
「ありがとう」
「でもおかげで推しカプが付き合う事になったなら、タケダもナイス当て馬……じゃ可哀想か、ナイスアシストだったかな」
 ぐっと親指を立てていい笑顔のマユちゃんに私は照れていいのやら否定したほうがいいのやら。
 お昼ご飯を食べ終わった私の元にライマ君くんがやってきた。お昼はいつも教室からいなくなる。どこへ行っているのだろう。前に聞いた時はナイショだよと言われてしまった。
「一緒に帰ろうって言い忘れてた」
 特に言わなくても一緒に帰ったりしていたのになぁと思いながら「わかった」と返事をする。
 教室中の視線がなんだか生温かかった。
「なんか……、みんなどうしたの?」
 マユちゃんにこっそり聞くと、菩薩の静かな微笑みのような笑顔で「やっと付き合ったかと思っているのですよ」と答えてくれた。
 その答えに私は赤面するしかなかったのだった。

 放課後、約束通り一緒に帰ろうと準備をしていると、ライマくんは先生に呼び出されてしまった。
 しょんぼりと私の方を見て先生の後をついていくライマくんに、待ってるよと心の中で言って手を振る。
 しばらく教室で待っていたけれど、なかなか帰ってこない。たまには図書館にでも行ってみようかなと教室を出た。
 そこへ、他のクラスの女の子3人が私の行手を阻んだ。
「田中さん、ちょっといい」
「あの、何か?」
 話したこともないし、リボンの色が私と一緒だから同じ学年ということしかわからない。
「ねぇ、五十嵐くんと付き合ってるって聞いたんだけど」
「えっ、あ、それは……」
 まさか付き合うことになって初日から学校中にバレてるってこと!?
 私は照れてモゴモゴと返事をする。それが彼女たちの気に触ったらしく、はぁ、と大きなため息をつかれた。
「五十嵐くんがあんたのこと好きだって公言してるけど、五十嵐くんのこと本気じゃないなら適当な気持ちで付き合ったりしないでよね!」
「五十嵐くんが田中さんを好きでも、二人は釣り合ってないから勘違いしない方がいいよ」
「五十嵐くんに謝るなら早いほうがお互いのためだと思うよ」
 3人がそれぞれ言いたいことを言って私を睨みつける。
 なぜこんなことを言われないといけないのだろうと思うと同時に、ここまでの嫌悪感をぶつけられたことがなかった私は頭が真っ白になる。
 なんと答えたらいいのかわからない。
「ちょっとなんか言いなさいよ」
「まるで私たちが田中さんをいじめてるみたいじゃない」
「忠告してるだけなのにねぇ。もしかして、真実を言い当てられてショックなんじゃない」
 私は息ができなくなってしまっていた。
 なぜ知らない人からこんな嫌な感情をぶつけられているのだろうか。
 何か、言い返さないと。
 そう思うのになんと言えばいいのか言葉が思い当たらない。
 あまりにも長い時間に思えたその時。
 ライマくんが私を抱きしめ、私の視界は彼女たちからライマくんの制服へと移った。
 ライマくんの匂いと、背中をさする手に安心し肺に空気がたくさん入ってきた。
 その時ようやく自分が震えていたことに気がつく。
「あ、五十嵐くん」
 3人の声色は先ほどとは打って変わって猫なで声になる。
「りおちゃんを傷つける奴は許さない」
 聞いたことのないような冷たい声のあと、ライマくんからブワッと何かが湧き上がるのがわかった。
「「「ひっ」」」
 3人の悲鳴が聞こえたとおもったら、バタバタと倒れ込むような音がした。
 震えはおさまらないけれど、呼吸が楽になったことで頭がだいぶはっきりしてきた。そっと様子を見ると、3人は廊下で倒れていた。
「えっ」
 何があったのかとライマくんを見上げる。
 その瞳が真っ赤に輝いていた。
 くらり、とめまいがする。
 ぎゅっとライマくんの制服にしがみつくと、ライマくんはハッとしたように私を抱きとめる。
「ライマ様、あとは我々が」
 音もなく以前ライマくんの国で会った2人が現れていた。
「頼んだ」
 ライマくんは落ち着いた声音でそう言うと、私を見下ろす。
「りおちゃんしっかりつかまってて」
 さっと持ち上げられたと思ったら、お姫様抱っこである。
「お、重たいから」
 私の慌てた姿に、ライマくんの瞳の赤色が揺らいで灰色に戻り、にっこりと微笑んだ。
「全然重たくないよ。ぼく魔族だから力はあるほうなんだよね」
 執事服とメイド服の部下2人に背を向けると、ライマくんの足元から風がふわりと湧き上がり、瞬きをしたらそこは私の家だった。
「えっ?」
 驚きのあまり目を見張ると、ライマくんがぎゅうっと私を抱きしめた。
「ごめんねりおちゃん。1人にするんじゃなかった」
「ていうか。それよりも、瞬間移動……?」
「ぼくは魔族だからね。このくらいは」
 ライマくんが魔法を使ったの、初めて見た……。
 というか、魔法で瞬間移動してしまった……!
 感動と驚きで、先ほどの恐怖はすっかりどこへやらだ。
 けれど、あの倒れた3人は大丈夫なのだろうか。
「あの、さっきの3人は?」
 ライマくんは驚いたように私を見る。
「どうして? りおちゃんに酷い事を言っていたのに」
「だって突然倒れて心配だよ」
「りおちゃんって本当に優しすぎ……。ぼくの目を見て気を失っただけだから大丈夫だよ」
「ライマくんの赤い瞳を見られても大丈夫なの? 何か噂になったりしたら困るでしょう?」
「りおちゃん……! ぼくの心配までしてくれるの嬉しい」
 ライマくんはさらにぎゅっと抱きしめてくる。ちょっと苦しい。
「だって、ライマくんが学校にいられなくなったら困るでしょう?」
「まぁ一応、国からは人間界への遊学という名目で来ているからね。高校には行かなくても遊学にはなるからさ。でもりおちゃんと学校に通う夢が叶って幸せだけど、まだ一緒に通いたいんだよね。だからさっきの2人があの3人に記憶操作の魔法をかけてる。さっきのことはすっかり記憶からなくなってるはずだよ」
 へぇ、魔法ってすごいなぁと感心しつつ、あの3人は無事なんだろうと思うと悪意を向けられたとはいえ少しほっとした。
「りおちゃんは心配しなくて大丈夫だよ。それよりも怖い思いをしたんだから楽しいことして忘れよう」
 制服を着替えてくると、ライマくんはテーブルにおやつを用意して私を待っていた。
「りおちゃんここにおいでよ」
 自分の膝をたたくライマくんに、流石の私もそんなところには座れないとと赤面しながら隣へ座る。
 ライマくんはちょっとしょんぼりしてみせると、後ろから私に覆い被さってきた。
「膝の上に座ってくれないならぼくの檻に入れちゃうからね」
 なんか怖い単語出てきた……。
 とはいえ、私よりも大きいライマくんは私の体をすっぽり覆ってしまうくらいだ。後ろから抱きしめられることには慣れたはずなのに、座っていると守られているような気持ちになる。
 嬉しいけれど、なんだか恥ずかしい。
「ライマくん、この体制はちょっと恥ずかしいな」
「えー、一番恥ずかしくないやつだと思うんだけどなぁ」
 すっとぼけながらそのままお菓子を私の口に入れてくれる。
 離してくれるまで諦めた私はそのままおやつを食べる。テレビは5年くらい前の学園ドラマが流れていた。
 そのうちに、クンクンとライマくんが私の髪やうなじの匂いを嗅ぎ始める。
 恥ずかしさを忘れていたのに、そんな事をされたらもっと恥ずかしい!
「汗くさいからダメ」
 手でガードすると、ライマくんは優しくその手を握ってガードを剥がされてしまった。
「りおちゃんいい匂い。はぁ。一緒にお風呂に入りたいなぁ」
 なんでこんな急に甘えん坊な子どもみたいこと言うんだろう!?
「そ、そ、そんなのダメだよ! そういうのは結婚してから」
 慌てて断ると、ライマくんは後ろから私を覗き込んでニンマリと笑った。
「結婚してから、ね」
 あー!
 余計なことを言ってしまった!
 思わず顔を両手で覆うと、ライマくんのクスクス笑う声が聞こえた。
 その時、ライマくんのスマホが鳴る。
「ちょっとごめん」
 電話かな? と振り返ると、ライマくんが難しい顔をしていた。
「了解。すぐ行く」
 電話を切ったライマくんは、すまなそうに言った。
「ごめんりおちゃん、さっきの件で父さんに呼び出されちゃった。ちょっと行ってくるね。すぐ帰るから」
 さっきの件というと、赤い目を見られたこと?
「うん、いってらっしゃい」
 私がそう言ったのを確認すると、ライマくんは玄関を出て行った。そこは瞬間移動じゃないんだ。
 夕食の準備を済ませてもライマくんは帰ってこなかった。
 寝る準備を済ませてもまだ帰ってこない。
 すぐっていつなんだろう。
 1人の部屋が、こんなに広く感じるとは思わなかった。
 ママがアメリカに旅立った日よりも物悲しく感じる。どうしてだろう。
 寂しくて、見ているようで見ていないテレビの音を少し大きくした。
 時計を見ると10時を過ぎている。
 もう寝てしまおうか。
 膝を抱えてしばらく考える。
 ライマくんがいないだけでこんなに寂しくなるなんて。いつの間にか、ライマくんの存在がこんなに大きくなっていたんだと実感する。
 後ろから抱きしめてくれたことを思い出し、胸の奥がきゅうっと握りしめられるような感覚がした。
「早く帰ってきてさっきみたいに抱きしめてよ……」
 思わず声に出していってしまったことに気がつき、ひとりで赤面する。
 なんてことを言っているんだ!
 これではまるで……
 まるで、ライマくんのことが好きみたいだ。
 みたい、じゃなくて、好きになっていたんだ。
「好き……」
 抱えた膝に顔を押し付ける。気づいた感情に恥ずかしいやら嬉しいやら。
 その時、やっとライマくんが帰ってきた。
「ただいま。りおちゃんぎゅーってしてぼくを癒して」
 疲れた顔をして帰ってきたライマくんにおかえりと言いながら駆け寄ると、ぎゅうっと抱きしめられた。
 気づいたばかりの恋心にドギマギしながら抱きしめ返すと、ライマくんは耳元で「ぼくも、りおちゃんのこと好きだよ」と囁いた。
 私は顔から火が出る思いだった。
 独り言はこれから気をつけなければ。