シロツメクサの絨毯に5歳くらいの男の子と女の子が座っている。
 男の子のその目には先ほどまで泣いていたため、まだ涙が残っている。目元も鼻先も赤い。
 先ほど砂場で遊んでいた時に、ショベルを取られて泣いていた所に女の子が取り返してくれたのだ。
 あっちで遊ぼうと手を引いてこの花畑までやってきた。

「四葉のクローバー、あるかなぁ」

 女の子は白い花が咲く中から四葉のクローバーを探し出す。

「あった!」

 ようやく見つけた頃には、男の子の涙はすっかり引っ込んでいた。

「はい、らいまくん」

 男の子に見つけた四葉のクローバーを渡す。

「もう泣かないで。四葉のクローバーは幸せになれるんだって。ママが教えてくれた」

 そう言っていい微笑む女の子。
 その眩しい笑顔につられ、男の子もにこりと微笑む。

「ありがとう」

 儚げな笑顔に、女の子は男の子が消えてしまいそうだと心配になる。
 今度は男の子が大ぶりの白い花を差し出した。女の子が四葉を探している間に大ぶりの花のものを探していたのだ。
 その花は茎が輪っかになっていた。

「手、貸して」

 女の子は言われるがまま手を差し出す。
 手のひらを上にしていたため、男の子に手を取られ裏返される。手の甲が上になり、手に乗せてくれるんじゃないんだなと女の子は不思議に思う。
 男の子はその丸い花でできた指輪を女の子の薬指に優しくはめていく。

 それは、まるで婚約指輪のように。

 ゆっくりとしっかり指の付け根まで入れられたシロツメクサの指輪を見て、女の子は「わぁ! 指輪だ!」と喜んだ。

「りおちゃん、大きくなったらぼくと結婚してね」

 男の子はぎゅっと手を握る。女の子はそれを握り返して「うん!」と答えた。



***

 まるで絵本のような光景だ。
 通学路の途中で今朝見た夢を思い出す。
 懐かしい夢だったな。
 子どものころの出来事だ。あの男の子は今はいない。
 シロツメクサの指輪をくれたあとすぐに遠くへ引っ越したのだ。お別れはした記憶がないから、ママからそう聞いたのかもしれない。
 シロツメクサの指輪は、ママが栞にしてくれた。それもどこかへ紛れてしまった。部屋の中にはあるはずなんだけど。

 私は高校生になった。
 あの男の子は元気だろうか。

 この夢を見ると、私は元気だよ、と心の中で成長した姿を思い浮かべる。

 黒髪に色素の薄い瞳の男の子。

 そのまま成長していたらとても美しい顔立ちになっているに違いない。
 スカウトされて、モデルとかしているかもしれない。

 そんなことを考えながら通学路を歩いていると、目の前にまさに今思い浮かべていた姿の人物が私を見て微笑みかけた。

 まだ夢を見ているのかな?
 ギョッとして立ち止まる。

「りおちゃん、久しぶりだね」

 艶のある黒髪に美しい顔立ち。声も低くなり、背がぐんと高くなっているけれど、目元にはあの頃の面影がある。

 けれど、瞳の色が違う。

 私の想像している人物とは別かもしれない。

「どちら様でしょう」

 私は恐る恐る聞いてみる。

「ライマだよ、昔りおちゃんと結婚の約束をした……覚えていない?」

 僕はりおちゃんをずっと想っていたよ、と言いながら彼は私に手を差し出す。

「迎えに来たんだ。約束を果たしに」

 赤い瞳が、キラリと光った。

 私はわけがわからず怖くなり、ライマと名乗った男の人の脇を走って逃げた。


 なんとか高校の敷地内に入り後ろを振り向く。
 彼はいなかった。
 本当にあれは私と約束をしたライマくんだったのだろうか。
 記憶の中の、そして夢で見たライマくんは瞳の色はもっと薄いグレーのようだった。あの人は、吸い込まれそうな赤い瞳だった。

 とぼとぼと下駄箱へ向かい上履きに履き替える。
 高校の校風も制服もとても気に入っているが、教室へ入るのはいまだに慣れない。

 入学して2ヶ月。
 まだ同じクラスの友だちはいない。みんなそれぞれ部活の仲間や同じ中学の友だちで固まってしまい、輪に入るタイミングを逃してしまった。
 隣のクラスにいる中学からの友達の坂井心春(さかいこはる)だけが私の心の拠り所だ。
 隣のクラスを覗き込むと心春が隣の席の女の子と話していた。

 さっきの話をしたいけど……
 私は静かに自分の教室へ戻った。



「急だけど、今日は転校生がいまーす」

 ホームルームで担任の川上先生からの突然の発表にクラス中がどよめく。

 こんな時期に? とか、どんな子だろ〜! と期待の声が大きい。
 私もクラスに馴染めない同士で仲良くできたら嬉しい、とつい淡い期待をしてしまう。

 ちょっとだらしのない担任の先生はいつもジャージ姿で、そのジャージも膝が溶けて擦れていたり、裾がほつれていたりする。新品のジャージを持っている身としては、どこまで着古せばこうなるのかと不思議だ。
 そんな先生が廊下から転校生を招き入れた。
 途端に女子たちの黄色い歓声が湧き上がる。男子からも、おおっと声が上がった。

 私は……凍りついた。

 なぜなら、その転校生は先ほど道端で会ったライマと名乗った人物だったからだ。
 けれどその瞳の色は私の知っている薄いグレーだった。

 私は混乱する。
 さっきの赤い瞳はカラーコンタクトを付けていたの?
 それとも別人?

 ライマくんは私を見つけるとにっこり微笑んだ。

 クラスの全員がライマくんの視線を追い私を見つけると「田中さん知り合いなの?」とコソコソし始めた。
 隣の席の大木さんから「田中さん知り合い?」と声をかけられた。
 私は首を横に振る。
 しまった否定してしまった、と慌てて付け加えた。

「小さい頃にちょっと遊んだことがあるくらい」

 自分でも気の利いた答えができてホッとした。
 みんな良い人なのに、少し会話するだけでも緊張する。ドキドキして手汗をかいてしまった。
 先生が紹介し始める。

「五十嵐ライマです。ライは未来の来に、マは真実の真です。小さい頃は日本にいて、しばらく海外にいました。よろしく」

「ほい、じゃぁ五十嵐は悪いけど一番後ろの席な」

 川上先生が渡辺さんの後ろを案内する。まだ席替えなどしていないので、空いている席は渡辺さんの後ろしかない。

 ザワザワした教室内を奥へと進むライマくん。

 私の目の前に来て立ち止まり、机に手を置いた。

 ぎくりとする私。

 ライマくんの顔を見上げると、にこりと私に笑いかける。それからクラスを見回して
「りおちゃんはぼくの恋人なので、みなさんよろしく」
と、とんでもない発言をして自席へ去っていった。

「うわぁ〜!」とか、「ひゃぁー」とか、ライマくんが教室へ入ってきた時以上に教室内はざわめいた。

 私は顔を真っ赤にして俯く。
 なんでそんなことを言うんだろう。
 再会してひとこと(私は)言葉を交わしただけだし、私はまだあの可愛かったライマくんがあんな怖そうな男子に成長してしまったとは認めていないのに!

 大木さんが心配そうに私を覗き込む。

「田中さん大丈夫?」
「大丈夫じゃないデス……」
「彼氏ならそう言ってくれればよかったのに〜!」

 大木さんはあっけらかんと言った。その気づかいが嬉しかった。

「ほんとに、再会してひとことしか交わしてないから、付き合ってるとかじゃないの、ほんと」

 私の顔の熱は引かないまま。
 これはライマくんへの照れとかじゃなくて、突然教室中から注目の的になってしまった事への羞恥だ。

「だとしたら五十嵐くんの片想いで″恋してる人″の恋人ってこと? それはそれで良い……」

 大木さんはポニーテールをぴょんと跳ねさせて興奮していた。
 せっかく話せた大木さんに悪い印象を持ってもらいたくなかった私は、大木さんの解釈に安心した。でもその五十嵐くんの片想い云々のくだりがなんか怖い……。

「おいおい五十嵐、転入早々厄介ごとはやめてくれよー」

 一部始終を見守っていた川上先生が教室のざわめきを鎮めた。
 私はホッと小さくため息をつく。
 周りからの視線は痛いけれど……。

 無事ホームルームが終わり先生が退出すると女子数人に囲まれた。みんな挨拶を交わしたことがあるくらいのクラスメイトだ。

「田中さん、五十嵐くんと付き合ってるの?」

 みんな口々に聞いてくる。私は萎縮してしまったが、すかさず大木さんが『私が答えましょう』とばかりに対応を引き受けてくれた。

 どうやら五十嵐くんの片想いだという話に落ち着くと、みんな嬉しそうに席へと戻っていった。

「大木さん、ありがとう」

 気持ちを最大限に込めてお礼を言うと、大木さんは嬉しそうに任せて! とピースしてくれた。

「ねぇ田中さんのことリオって呼んでいい? うちのことはマユって呼んで!」

「うん、嬉しい」

 こんなやりとりに心を躍らせていると、英語の先生が教室に入ってきた。



 ライマくんのおかげといっていいのかどうか、けれどライマくんの登場で高校でも友だちができた!
 嬉しい気持ちでお昼ご飯もマユちゃんと一緒に食べ、マユちゃんは部活(テニス部だ)の後でよければ一緒に帰ろうと誘ってもらった。
 部活に入っていない私は、家に帰って晩ご飯の準備をするから先に帰るねと断った。
 ライマくんはいつも誰かしらに囲まれていたから、私は気にせず過ごせたし、これもマユちゃんのおかげだ。

 あまり関わりたくないからすぐに教室を出る。

 心春に話したいけれど、心春も陸上部の練習があるから聞いて欲しいことがある旨のメッセージを入れておいた。夜に電話しようかな。
 転校生の話もしたいけれど、一番話したいのは新しい友だちの話だ。私もこれで高校生活をエンジョイできる未来に気持ちが明るくなった。
 明日も学校が楽しみだ。

 浮かれて校門を出ると、手を取られた。
 驚いて振り返るとライマくんだった。

「何度も声をかけたんだけど。一緒に帰ろうよ」

 浮かれてたせいで追いかけられていることにも、声をかけられていることにも気が付かなかった。

「い、五十嵐くん」

「ライマって呼んでよ。前みたいに」

 ライマくんはにこっと優しく微笑む。
 瞳の色は、やっぱり薄いグレーだ。

「ライマくん、本当にあのライマくんなの?」

 私は勇気を出して聞いてみた。
 いつまでも引っ張ることではない。同じクラスメイトになってしまったし、あんな発言をされたのだから今後関わらずにはいられないだろう。

「そうだよ。結婚しようって約束したから迎えに来たんだ」

 そう言って私の左手を取ると、薬指に指輪をはめた。
 それも、幼い頃にシロツメクサの指輪をはめてくれたのと同じ指に。
 大きな石の周りを小さな石が囲っていて、全てが光に反射してキラキラと輝いている。

「あの時は本物を用意できなかったからね。今度は本物」

 そのままライマくんは私の指先に口づけを落とした。

「りおちゃん、結婚しよう」