「とりあえず、お母さんの方は簡単だと思うんだ」

 三尋木(みよぎ)君のママの収録用スタジオを窓の外から眺めながら、ワッカがそんなことを言い出した。このスタジオもかなり高いビルの中にある。

「簡単?! いま簡単って言ったぁ?! もしかして『お宅の息子さんが寂しい思いをしてるので、仕事終わらせて家に帰ってください』って言えばオッケーとか思ってないよね?!」

 私だってそろそろわかるよ。それを言うこと自体は簡単かもしれないけど、「ていうかあなた誰?」「どうしてウチのこと知ってるの?」みたいなことになるから! この場合、このメンバーの誰が行ったって不審者だよ! イケメンならオッケーとか、サンタクロースなら大丈夫とかないからね?!

「もぉ、やだなぁ花ちゃんってば。僕だってそれくらいのことわかってるって。何年――いや、何十年アディ様のトナカイやってると思うのさ」
「い、言われてみれば……」

 そう、このトナカイ達、人の姿になるととっても若いんだけど、実はアドじいの専属トナカイとしてもう何十年も働いているのだ。サンタのトナカイっていうのはやっぱり特別で、野生のとは生きる時間が違うらしい。

「それに」

 と言って、トナカイ姿のワッカが、ふるんふるん、と首を回す。それに合わせて、三頭の中で一番細くてしなやかな角も、ぐるんぐるん、と空気をかき混ぜるように揺れた。

「僕の名前は(ワッカ)。『水』のトナカイだよ」

 すると。

 建物のどこかからホースみたいに細い水が流れてきて、大きく円を描くその角に巻き取られていく。水は巻き取られながら角の中に消えていった。

「えっ、何したの、ワッカ!?」
「あのスタジオの中を通る水だけ借りてきた。僕が返すまで、しばらくは使えないよ」
「えーっ! 何やってんの!」
「さ、アディ様、お願いします」
「えっ、アドじい!? 打ち合わせ済みなの!?」
「ううん、ある程度は予測してたけど、打ち合わせはしてないよ。でもわかった。行ってくるね」
「打ち合わせなし!? でもわかったんだ!?」

 さ、さすがはずっと一緒に仕事をしているだけはある。って感心してる場合じゃない。えっ、大丈夫なのかな、ほんとに!?

 私がアワアワしている横で、アドじいは『サンタクロース七つ道具』の入った袋からごそごそと大きな布を取り出した。それをサンタスーツの上からばさりと羽織る。すると一瞬で、アドじいは、作業着姿のちょっとほっそりとしたおじさんに変わった。

「変身した!」
「ふっふっふ。これはね、『なりすましマント』といってね、見た目を思い通りに変えることができるんだ。いまのウッキは水道局の職員さんだよ」

 それじゃ行ってくるね、と言って、ウッキは窓から侵入した。鍵がかかっていてもサンタには関係ないのだ。ほんとにやってることはどろぼうと変わりない。ていうか、『なりすましマント』って名前もどうなのかな。なりすましって……。もう少し何かなかった?

「大丈夫かなぁ」

 ハラハラと窓からスタジオの中を見る。案の定、突然水が出なくなったことに大慌てのようだ。幸い、料理を始める前だったから火事になるとかそんなことはなかったけど。

 そこへ、水道局の職員さんになりすましたアドじいがやって来て、何やら切羽詰まった表情で説明している。テレビ局のたぶん偉い人がアドじいに向かって怒鳴っているのも見えて胸がどきどきする。私だったらあんなに怒られたら泣いちゃうよ。

 アドじいはペコペコと頭を下げるだけだ。 
 そのうち、アドじいに怒鳴り散らしても仕方ないと思ったのだろう、(たぶん)偉い人がスタジオの人達に何やら説明をし始め、何人かは不満そうに、でも何人かはちょっとホッとしたような顔をして帰り仕度を始めている。こちらをちらりと見たアドじいが、全く知らない人の顔のまま、私に向かってぱちり、とウィンクをした。


「ねー! うまくいったでしょー!」

 アドじいがそりに戻りマントを脱ぐと、ワッカはもう得意気だ。僕だってやる時はやるんだからね、と言いながら、角をぐるんぐるんと振り回している。

「いやぁ、ありがとうねぇワッカ。さすがウッキのトナカイだねぇ」

 ふさふさのおヒゲをもふもふさせながら、ワッカの背中をなでる。ワッカはアドじいの頬に額を(こす)りつけて嬉しそう。ただ、角が危ない。アドじいは慣れているのか平気そうだけど。


 三尋木君ママがビルから出て来て、いそいそと駅の方に向かう姿を確認してから、そりは再び動き出した。次は三尋木君パパだ。

「しかし……次はどうしようかねぇ」

 むむ、とアドじいが腕を組む。
 三尋木君のパパはIT会社の社長さんだ。ITの会社が何をする会社なのかはさっぱりわからないけど、また水を止めてどうにかする? でもトイレが使えなくなるくらいだろうしなぁ。まぁ、トイレが使えないって、かなり深刻だけど。

 そんなことを考えて、ちらりとワッカを見ると、へにゃ、と角を下げて「花ちゃん、さすがに連続では無理だよぉ」と弱々しく笑った。スタジオの水はもう全部返していて、角の先から、ぽた、と雫が落ちる。

 だ、だよね。ごめんごめん。

 でも、だとすると、本当にどうしたらいいんだろう。ルミ君にお願いしたら、なんか便利な道具を出してくれるかな。でも、あんまりお金かかっちゃうのはなぁ。

「アドじい、なんかいいアイディアない?」

 そう尋ねると、「まずは、会社に行ってみてだね。建物の構造とか、どれくらいの人が残ってるのかとか、その辺も確認しないとだし」
「なるほど。よくわからないけど、そういうのも大事なんだね!」
「ノンノは何も心配しなくていいからね。もしもの時はルミ君にたくさんお願いすればいいんだから」

 ふぉふぉふぉ、と大きな身体を揺すって笑うけど、そこでそんなにお金使っちゃうから、ここの売り上げが悪いんでしょうが!