校外学習以降、生徒たちの間で私の株が上がったらしい。「地味メガネ」からただの「メガネ」に昇格した。

 だからといってちっとも嬉しくないんだけど。
 もう少し可愛い呼び名にして欲しいのが本音だ。
 昔も今も、前世の世界でも今世の世界でも、生徒が教師につける呼び名は残酷なほど適当な気がする。

 変化といえばもう一つ、ノエルとの婚約の話が瞬く間に広がって、しばらくは女子生徒たちに質問攻めされてしまった。
 ノエルが用意したなんとも甘ったるい設定を繰り返し話さなければならなくて恥ずかしかったが、恐ろしいことに最近は慣れ始めてきた。


「今日の授業はここまでにします」


 そう言い終わるや否や、気の早いドナは立ち上がって廊下へと出て行こうとする。フライングだぞこのやろう。
 注意しようとしたその時、唸るほど見事なドリル……いや、縦ロールをぶわんと肩に払ってイザベルが立ち上がった。

「お待ちなさい。終業の挨拶もせずに出て行くだなんて先生に対して失礼ですわ。席に戻りなさい」

 イザベルは本当にいい子だ。

 規律を乱す生徒には身分の区別なく注意できる。たとえ相手が貴族であろうと平民であろうと、ダメなときはダメと言える。
 さすがは公爵令嬢。アロイスとの婚約が決まっているのは、単に家柄が良いからだけではないと思う。

 アロイスとの婚約……心底羨ましい(本音)。

 同い年で生まれてたらイザベルに嫉妬してたかもしれない。

「チッ。貴族だからってお高くとまりやがって」
「そのようなつもりは微塵もなくてよ。私は生徒のあるべき姿について言及しただけですわ!」

 ドナが悪態をつくと、イザベルの友人たちが加勢する。

「まあ! せっかくイザベル様が忠告してくださったというのに口ごたえするなんて、庶民は本当に礼儀がなっていませんのね」

 そうなるとまあ、ドナのツレたちも加勢してしまう。

「なんだよ! やっぱ庶民だからって見下してるじゃねぇか!」

 ああ、頭が痛い。
 しかしここは前に出て止めなければならない。後で頭痛に効く薬でも作ろうかしら。

「みなさん、お静かに。まずは終業の挨拶をしましょう。話はその後よ」

 手を叩いて注意を引くと、言い合いを始めた生徒たちは渋々と席に戻った。

 実はこの学園、身分差別が長年の問題なのである。
 基本的にお金持ちの生徒が多く、平民の生徒との衝突がたびたび起こるのよね。 
 今まではこの世界で育ってきたから当たり前のように思えていたけど、前世の記憶が戻った今ではこの身分制度って本当に面倒だ。
 せっかく同じ学舎で出会ったもの同士なんだからもっと仲良くしてほしいんだけど。

 そんな事情があるため、私は生徒たちにお説教をすることになる。
 一日の最後の授業が後味の悪い締めくくりになってしまったわ。

   ◇

「みんなが心を一つにできたらいいんだけど」
「そんな簡単に解決できるなら身分差別なぞとっくの昔になくなっておるぞ」

 ジルの言う通りだけど、だからといって目の前の問題をほったらかしにするわけにはいかない。

 準備室へと向かう道すがら、良策がないだろうかと頭を捻らす。前世での教師生活が参考になったらいいんだけどな。
 前世の学校なら体育大会でクラスTシャツとか作って一致団結していたっけ。かといって、この世界にはプリント技術はないし。

「いいこと思いついたわ」

 プリントなんかしなくても、お揃いの物を身につけたらいいのよ。芋ジャージとかどうかしら。みんなで着れば統一感があるし、動きやすいし、リラックスできる代物よ。
 芋ジャージを着せてミニゲームみたいなことをさせたら仲良くなるんじゃないかしら。

 うん、我ながら名案だ。

 みんなであの独特なデザインの服を着たらプライドも何もかも捨てて話せる気がするわ。

 それに、正当な理由でアロイスにコスプレさせられるなんて最高よね。

「そうと決まったら材料を買いに行かなきゃね」

 この週末にでも街に行こうかしら。
 ついでに本屋に寄るのもいいかもしれない。

 楽しい予定を立ててうきうきとしているところをノエルが通りかかった。彼も授業が終わったところのようだ。
 
「あ、ノエル。今から準備室に行くとこなんだけど寄っていく?」
「準備室、か。お邪魔しよう」

 意外にもすんなりといい返事をくれた。
 たぶん、魔法薬学の準備室がロアエク先生との思い出の場所だから久しぶりに行きたいというのもあるかもしれない。

「そこの椅子を使って」
「……ここは変わらないな」

 彼は椅子の透かし彫りの背もたれを撫でながらそう言った。

 実は、私はロアエク先生と入れ違いでここの魔法薬学教師になったんだけど、ロアエク先生が居た時のこの部屋の雰囲気が好きだったから内装を変えなかったのだ。

 暖かい色の木でできた机と椅子、同じ色の薬棚に、簡易的な台所と食器棚、浮遊石を取りつけた鉢の数々に、ときどき現れる妖精たちのために用意しているミニチュアの家具たち。
 そんな調度品に魅力を感じてるのもあるけど、部屋の中だというのに緑に溢れていて、小さな植物園のようなこの空間自体を気に入っている。

「お茶を淹れるわね」

 台所に立つと、ジルが足元でわあわあと騒ぎ始める。

「小娘、俺様にはミルクを用意しろ」
「はいはい」
「ちゃんとぬるくしろよ。熱いのも冷たいのもごめんだからな」
「はいはい」

 さっと指を動かせばコンロに火がつく。この世界のいいところは、簡単な魔法だと詠唱無しで使えるといったところ。
 本当に魔法世界にいるって実感できるから、ついついこうやって料理をしたくなっちゃって、お屋敷(マナーハウス)にいる時は料理人たちを困らせてしまった。

 お湯を沸かせているうちに隣のコンロに鍋をかけて、ジルに上げるミルクをさっと温める。冷ましている間にティーカップと薬草を用意した。

 チラッとノエルの方を見ると、彼はぼんやりと室内を眺めている。その姿はどこか寂し気で――あれ、待てよ、これはチャンスなのでは?
 孤独を抱えるキャラを主人公が外に連れ出して心を開かせる物語とかあるもの。
 今は警戒されているけど、一緒にお出かけしていくうちに親近感を覚えてくれるかもしれない。

 今日は本当に冴えてるわね。いい作戦を思いつけたわ。

 その名も、【オープン⭐︎ハート作戦】!

 お出かけをきっかけにノエルの心の扉を叩いてブチ開けてみせるわ!
 そうと決まれば行動するのみ。思い立ったが吉日だ。

「ノエル、今週末デートに行こう! 私が迎えに行くから! (心の)扉を叩くから!」
「……へ? 扉?」

 一瞬だが、彼の目と口がパカッと同時に開いたのが見えた。すぐに取り繕っていつもの表情に戻ってしまったけど、なんとも無防備すぎる、貴重な表情を拝んでしまった。