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 今日は魔術省の仕事が立て込んでいて、オリア魔法学園には行けなかった。
 彼女の近くにいるであろうジルに心の中で話しかけると、すぐに返事をしてくれた。

「ジル、様子はどうなんだ?」
『すっかり眠ってますよ。ヨダレをたらして締まりのない顔をしてます』
「そこまでは聞いてない」

 頭の中に届いてくる、すっかり呆れ返っているジルの声から察するに、彼女はよほど無防備な顔をして眠っているんだろう。
 少し、笑いたくなる。

「日中はどうだ?」
『密告しているような様子はありませんでした。ただ――』
「ただ?」
『妙な行動をとることがあります。まるで未来がわかっているかのようで、これから起こる何かを見守ろうとするように、じっと影に隠れて生徒たちを見ていることがあるんです』
「未来がわかる、か」

 ますます不可思議な存在だ。

 レティシア・ベルクール。
 僕の婚約者になった人は、ある日いきなり、人が変わった。

 前まではほとんど存在感のない人だった。それに、よく準備室や温室に籠っては薬草の研究をしていたから顔を見ることもそんなになかった。

 それなのにいつの間にか、気づけば視界の中に現れるようになっていて、前よりも溌剌としている姿をよく見かける。
 その姿は、まるで違う人が憑りついたかのようで。だから、婚約を持ちかけられた時は、もしかしたら国王の差し金かと思って警戒していた。あの人なら手段を選ばないはずだ。もう僕を用済みに思って消しにきたんじゃないかと思った。
 そのために彼女を利用したんじゃないかと。

 最初は、様子を見て消すつもりだった。
 ロアエク先生のことを知っている時点で要注意人物だ。
 先生の呪いを解く邪魔をするなら容赦はしないと、婚約を受け入れて油断させるつもりだった。

 それなのに、もう少し様子を見てからでもいいかもしれないと、気が変わってしまったのは、間違いなく植物園での出来事が関係する。

「植物園のあの一件も、起こるとわかっていながらあのような無茶な行動を取ったのだろうか?」
『あれは本当に心臓に悪かったですよ。寿命が三百年は縮みましたね』

 彼女は、生徒のために命をかけていた。その姿をロアエク先生の姿と重ねてしまった。
 震えている生徒には寄り添って不安を取り除いてあげている彼女を見ていると、少し縋りたくなったのは、秘密だ。

 あの時、疲労困憊だった彼女を王宮という魔の巣窟に置いていきたくないと、なぜか必死になって訴えてしまった。

「絆されたというのか?」

 妙に話しやすいのも気が変わった理由かもしれない。

 淡々と話してくるから気兼ねなくこちらも話せる。
 そもそもあの人は僕に興味がない。顔を見ればわかる。取り入ろうとしてくる女性たちが持つ独特の、あの熱に浮かされたような視線ではなくて、凛とした目で見てくる。
 その目に見つめられるのは、それほど嫌ではない。

「はは、なにを言っているのやら」
『ご主人様?』
「悪い。こっちの話だ」

 彼女の真の目的が分からない以上は警戒し続けなければならない。
 邪魔をするなら始末するんだ。余計な感情を持ってはならない。

「引き続き見張っていてくれ。やむを得ない場合はお前が始末しろ」
『お安い御用です』

 全ては復讐のために。
 ロアエク先生に手を出した奴らを絶対に許すものか。

 それでも。

「いい香りだな。紅茶を作る令嬢だなんて、変わってる」
『あの小娘が作ったものを飲むんですか?!』
「毒が入っているなら耐性があるから大丈夫だ」

 彼女が作った紅茶の香りもまた、嫌いではない。

――『あなたのこと、大切にしますから、よろしくお願いします』

 契約を破れば己の命を差し出すように契約書に書いたのは私だというのに、彼女は大切にすると言ってきた。
 その本心はまだわからない。

 この婚約者については、手にかける前にもう少し知りたいと思う。